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神整備で知られる「阪神園芸」が舞台の話題作。著者が語るスポーツ小説への思い

高校野球部を舞台にした『白球アフロ』や『野球部ひとり』、女子投手の奮闘を描いた『つよく結べ、ポニーテール』など、朝倉宏景さんは野球を軸にしたみずみずしい人間ドラマを描いてきた。最新作『あめつちのうた』の舞台は、阪神甲子園球場の「阪神園芸」。黒土と天然芝のコントラストが美しいスタジアムを維持し、大雨の後のグラウンドも見事に蘇らせる“神整備”で知られる。現在、各方面から注目されるこのスポーツ小説への思いを、担当編集の戸田涼平と語った。

2020.09.10
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「土は生きている」という言葉を聞いて

戸田 今年6月に刊行した『あめつちのうた』は、日本屈指の“神整備”で知られる阪神甲子園球場の「阪神園芸」を舞台に書いていただきました。

朝倉 僕はもともと阪神ファンですが、野球好きなら誰もが知る阪神園芸を小説にするというアイディアは、戸田さんからでしたよね。

戸田 阪神園芸はメディアでも話題となって何度も取り上げられていました。甲子園を支える裏方的な存在として、地味ですが、でも絶対に欠かせない活動をしているのを知って、これは小説に向くのではないかとテーマとして温めていたものでした。朝倉さんの担当となったのは『つよく結べ、ポニーテール』の文庫化からですが、「次は何をしましょう」という話になったときに、「ぜひ阪神園芸を題材にしましょう」と提案させてもらったんですよね。

朝倉 ええ。最初にその話をしたのは、2年ほど前でしたね。書き始める前に、阪神園芸には何度か足を運び取材させていただきました。最初に話を伺ったのは、本の帯にもコメントをいただいた金沢健児さん(スポーツ施設本部・甲子園施設部長)です。

戸田 現場のトップである金沢さんは、阪神園芸について本も書かれています。『あめつちのうた』をどのように読んでいただけるのか、不安なところもありました。でも、「自分の本より詳しいことが書かれているよ!」なんてコメントをいただきましたね。

朝倉 あれは、とてもうれしかったですね。

戸田 それだけ朝倉さんが取材に力を入れて、自分の中でしっかりと消化できたから、作品の中で阪神園芸が生きているんだと思います。阪神園芸の総務担当の方からは、小説に出てくる甲子園施設部長の島さんが、「もう金沢さんにしか見えない!」という声もいただきました!

朝倉 まさに、モデルですものね。最初に、金沢さんからは1年の大きな流れや、1日の細かい流れなどを伺って、それまではまだ見えていなかった小説としてのイメージが膨らんでいきました。その後、若手社員の方もご紹介いただいて、苦手な作業や得意な作業など、具体的なことをいろいろと聞かせてもらいました。さらに、実際に作業されている姿も見学させてもらううちに、だんだん形になっていったんです。球場の土はただ表面をトンボでならしているだけではなく、最初に掘り返しているのだというのも取材で初めて知って……。「土は生きている」という言葉を聞いて、自分なりにその真意を考えました。「掘り返して水を与えないと元気にならない」、それは人の心と同じではないかと。

戸田 それが今回の作品の肝になっていますね。

朝倉 はい。さらに「芝も生きている」という言葉にもハッとさせられました。毎日数ミリ単位の芝刈りをしたり、水をやったり肥料を与えたりしているからこそ、あれだけの球場になっているんです。当たり前といえば当たり前なのですが、その話もすごく印象に残っています。

戸田 僕も朝倉さんも高校時代には野球部だったので、もともと憧れの地だったんですが、やっぱり阪神甲子園球場は他の球場と違いますよね。あらためて見ると、芝も本当にきれいで眩しくて。

朝倉 きれいでしたね。去年の夏の甲子園も取材させていただきました。ベンチ前の人工芝のところまで入らせていただいて、土も少しだけ触らせてもらって。グラウンドレベルから客席を見上げると、視点もまったく変わります。トラクターが牽引する爪がガーッと土を掘り返すのも間近で見て、毎日こうして地道な作業をされているんだなぁと感慨にふけっていました。

『あめつちのうた』

戸田 先日、ゲストとして呼んでいただいたラジオ番組で、スポーツジャーナリストの金子達仁さんに「元高校球児が書いたとは思えないぐらい女性的な作品ですね」とおっしゃっていただきました。たしかに、この作品はストレートなゴリゴリの野球小説感みたいなものがないので、それほど野球を知らない女性でも読みやすいのだと思います。

朝倉 今回の作品は阪神園芸に興味を持って手に取る方も多いだろうと考えました。普段は小説を読まない人にも読みやすいものになるように追求したところがあります。柔らかさやテンポの良さも意識しました。

戸田 そのためには、ページ数もある程度あってもいいだろうという話をさせていただきましたね。最近の傾向だと、なるべくボリュームを抑える相談をしがちなのですが、幅広い層の読者が読みやすいように、丁寧に伝わるものにしていただけたらと思って。

朝倉 そうですね。削られるより、誠にありがたい話です(笑)。僕はもともと、どんどん書いてしまう傾向がありますし。

戸田 ある程度ボリュームがありながら、とても読みやすい。それがツイッターなどでの反応の良さにつながっていると思います。また、この作品は本当に多くのメディアで紹介してもらっています。

朝倉 「Number」やスポーツ紙でも紹介されるなんて思いもよりませんでした。ありがたいことです。

全国の高校生に向けて8月に無料公開!

戸田 今年は残念なことに、新型コロナウイルスの影響で夏の甲子園大会も中止になってしまいました。8月には交流試合が行われましたが、僕たちにも何かできないかと朝倉さんに相談しました。そして、高校生に向けて8月の1ヵ月間、Webで無料公開しました。

朝倉 それはぜひ、と思いましたね。野球部だけというのもケチ臭いので(笑)、いっそのこと高校生全員に無料公開という企画になりました。これは、とてもいい取り組みだなと思いました。

戸田 とにかく今はたくさんの高校生に読んでもらって勇気づけられれば嬉しいなという思いでしたからね。朝倉さんにはこの作品のスピンオフとなる短編小説『雨を待つ』も執筆していただきました。もともとその短編をプロモーション的に電子版で無料公開したところ、その反響も大きかったんですよね。公開当初は無料公開ランキングのトップ3に入るほどでした。まわりには太宰治や夏目漱石の作品が並び……。

朝倉 『走れメロス』とか『吾輩は猫である』に挟まれて、僕のタイトルがあるというね(笑)。

戸田 そんな感じでしたね(笑)。あの短編を読んでから『あめつちのうた』を読んでも面白いし、その逆もまた良し、だと思います。この本は今年6月の発売から2ヵ月でまだ売り上げが全然落ちていません。若い人たちにもっと読んでもらえるようにしていきます!

ともに野球経験者というだけではなかった不思議な縁

戸田 朝倉さんは元高校球児で、デビュー作も『白球アフロ』という野球小説。僕も高校時代は野球部だったのですが、担当させていただくときに詳しいプロフィールを拝見したら、僕と同い年で、偶然にも大学も一緒だったということがわかりました。だからなんだか、他人の感じがしないんです(笑)。そんな共通点もあって、ずっと温めていた阪神園芸の企画をやっていただくなら「朝倉さんしかいない!」と思っていました。

朝倉 大学時代はお互いにまったく面識がなかったですけど、まさかこんな縁があるとは。高校のときは真剣に野球をやっていましたが、野球部としては弱小校で、万年1回戦負けレベルでした。

戸田 うちもそんな感じです。もちろん、一生懸命やっていましたけど。うまくいけば3〜4回戦くらいまでは行けるくらい強い代もありましたが、僕の代は1回戦負けです。甲子園は遠かったですね……。

朝倉 うちは部員も人数がギリギリだったので、ピッチャー以外は全部の守備を経験しましたよ。

戸田 逆に、なんでピッチャーはやらなかったんですか(笑)? 

朝倉 試しにはしましたけど……投げてみると、バッターが気持ちよく打てる“優秀なバッティングピッチャー”でした(笑)。

戸田 そうでしたか(笑)。スピンオフの短編『雨を待つ』で主人公にもなった長谷騎士(ないと)は、甲子園で優勝投手となり脚光を浴びたものの、故障によってプロへの道を断念した、という設定でした。朝倉さんにピッチャーの経験はなくても、その葛藤はとてもリアルに描かれていました。

朝倉 そこはすべて想像するしかないですよね。高校野球の投球数のことも、以前からすごく問題になっていたので、スター選手の故障についてもこの作品で入れたいなと思っていたんです。

戸田 見本ができたとき、ついうれしくなり、テンションが上がったまま自力でPVまで作ってしまいました。阪神園芸を取材したときの写真に、小説の中から言葉を引用させてもらって、音楽をつけてSNSにアップしたんです。

朝倉 そうでした。かなりテンション上がってるなぁって思いました(笑)。

戸田 ツイッターに上げたら、11万回以上再生されて。阪神園芸に興味を持つ人の多さも改めて感じました。

朝倉 特に、阪神の球団公式アカウントにリツイートされたのをきっかけに伸びていましたね。

登場人物それぞれの背景から生まれた人間ドラマ

朝倉 戸田さんから阪神園芸を小説にしてはどうかという話を最初に聞いたとき、ぜひやりたいと思ったものの、実際にグラウンドキーパーを小説にするとなると、すごく悩みました。野球好きなら知っている存在でも、それを一般的な小説に仕上げるには、どうしたら面白くなるだろうと。ともすれば狭い世界になりがちなグラウンドキーパーという存在を、どうすれば作品として成立させられるのかと本当に悩みました。

戸田 それで、まずは取材をしようということになったんですよね。そもそも、阪神園芸を小説の題材にして良いかどうかを聞かなければということで、先方にご連絡して。最初に朝倉さんと2人で事務所に伺ったのが、2019年の4月でした。

朝倉 ただ、挨拶しちゃった時点で、僕としてはもう戻れない、書かなきゃいけなくなりましたけどね……。

戸田 確かに(笑)。最初はそれこそ、女性を主人公にするのもアリかなという案もありましたが、直接お話を聞いてみると、体力的に女性には難しい仕事だというのが分かりましたね。

朝倉 そうですね。最終的にメインに据えた主人公の雨宮大地も、元野球選手なのか、どういう立場なのかみたいなところを固めていって。結局、大地は野球部の元マネージャーということになりました。大地を元野球選手にしてしまうと、出てくる人が野球をやっている人だらけになっちゃいそうだったので、そこはちょっと変化をつけたんです。

戸田 絶望的な運動神経の持ち主である大地には、自分とは正反対の、野球の才能に恵まれた弟がいます。そんな弟ばかりに期待をかけて、自分にはふり向いてくれない父親への鬱屈も抱えていますね。登場人物はそれぞれにいろいろな背景を持っていますが、朝倉さんご自身を投影したようなキャラクターはいるのですか? 長谷騎士ではなさそうですけど(笑)。

朝倉 いや、まったくないですね。今回のキャラクターに関しては、ほとんど全員100%近く想像です。

戸田 大地みたいに、子どもの頃お父さんとキャッチボールをしたりとかも……?

朝倉 ないですね(笑)。今回、エンタメ小説として成立させるためには、人間ドラマにもちゃんと力を注いでいけるようにしたかったので、最初に、それぞれバックグラウンドを決めましたし、その周辺も固めていたんです。最後をどうするかだけは決めずに書き始めて。当初は夏の甲子園をクライマックスにして終わろうと思っていましたが、それも最終的には変えました。

取り上げるのを悩んだテーマも

『あめつちのうた』

戸田 今回の作品は、LGBTの問題にも触れる内容になりました。同性愛者が体育会系の野球部にいるというのは、これまで読んだことのない設定ですね。

朝倉 戸田さんには、途中で「やめませんか」と言われたのを覚えています。

戸田 そうですね。エンタメの小説として敢えて扱いますか? と確認しました。

朝倉 はい。それで一度やめてはみたのですが、やっぱりうまくいかなくて、結局入れることにしました。

戸田 ストーリーに入れるなら、覚悟を決めて、いろんなことに配慮しながらやりましょうという話をしましたね。

朝倉 関心はあっても、実際に小説に書くとなるとハードルが高いので、本当に腹をくくって書いたんです。

戸田 それが、結果的に若い人たちの悩みや葛藤、解決方法を考える姿など、印象的なシーンにいくつもつながりましたね。

朝倉 登場人物それぞれに悩みがあって、それを1つずつ解決していくという構成にはなりましたね。

戸田 エンディングをちゃんと迎えているのだけど、この同時期にそれぞれ葛藤した若者たちが、その後どうやって生きていくのか、とても気になる作品になったと思います。スピンオフだけじゃなくて、続編が読みたいくらい(笑)。

朝倉 それはまだ考えられないかな(笑)。

戸田 実際に書くにあたって、関西弁についても苦労されましたよね?

朝倉 そうですね。微妙な語尾とか言いまわしは、すごく考えました。テレビでも芸人さんがしゃべっている言葉を注目して観たりして。

戸田 確かに、お笑い的なテンポの良さもありました(笑)。でもそこは僕も東京出身で自信がないので、阪神園芸の方にも読んでいただきました。「そんな言い方はしないです」という指摘を何ヵ所もいただけたので、現地感がかなり出せたと思います。他には、書かれていて難しかったところはありますか?

朝倉 そうですね、やっぱり雨宮大地と父親との関係、最後にそのラスボスとどう決着をつけるかというところは難しかったですね。戸田さんにも相談して。いろいろ書き足したり削ったりしながら、最終的にああいう形になりました。

戸田 わりとギリギリまで、この決着の仕方でいいのかという話はした気がします。

朝倉 戸田さんには確か、今の形ではないほうがいいんじゃないかと言われたんです。いろいろ考えて、これに関してはアドバイスとまったく正反対にしちゃいましたね。いつも直しを入れてもらうと、結構「その通りだな」と思って直すことが多いんです。でも、これに関しては逆方向に振り切ったほうがいいなと思って、直す前よりもさらに振り切りました。作品自体に“心の土を掘り起こす”というテーマあったので、やっぱり大地の心の底のほうの層に固まっていたものを、全力で引き出さないといけないんじゃないかと思って。

戸田 そのあたりも読みどころですね。若い方から年齢の高い方まで、幅広い方に読んでいただいています。「野球の知識がないのに一気読みだった」「阪神園芸の仕事ぶりを球場で見たくなった」などたくさん感想をいただきました。普段本を読まない若い方たちに勧められる本になったと自信を持って言える作品です。野球や阪神園芸に興味がある人、そうじゃない人にも、たくさんの人に手に取ってもらえればうれしいですね。

朝倉宏景(あさくら・ひろかげ) イメージ
朝倉宏景(あさくら・ひろかげ)

1984年、東京都生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。2012年『白球アフロ』(受賞時タイトル「白球と爆弾」より改題)で、第7回小説現代長編新人賞奨励賞を受賞。選考委員の伊集院静氏、角田光代氏から激賞された同作は2013年に刊行され話題を呼んだ。他の著作に『野球部ひとり』『つよく結べ、ポニーテール』『僕の母がルーズソックスを』『空洞電車』などがある。元高校球児で、ポジションはセカンド。2018年『風が吹いたり、花が散ったり』で第24回島清恋愛文学賞を受賞。2020年6月、『あめつちのうた』を刊行。同作スピンオフ短編『雨を待つ』をKindleにて無料公開中。

  • 電子あり
『あめつちのうた』書影
著:朝倉 宏景

土と向き合う。雨を信じる。そうして、日本最高のグラウンドが生まれる。
甲子園の神整備、「阪神園芸」が小説に!
すべてのスポーツファンに捧げる、唯一無二のグラウンド整備お仕事小説。

絶望的な運動神経の持ち主・雨宮大地は、自分とは正反対の弟や頑なな父への鬱屈を抱え、甲子園のグラウンド整備を請け負う阪神園芸へと入社する。ところが、持ち前のセンスのなさから、仕事は失敗続き。広いグラウンドのなかで、たったひとりうろたえる自分は、本当に一人前のグラウンドキーパーになれるのか? 同性愛者であることを周囲に隠す親友・一志や、重い病気を患いながら歌手を目指すビールの売り子・真夏、ケガでプロへの道を断念した、同僚の長谷。大地は同じく「選べなかった」運命に思い悩む仲間たちと関わり合いながら、自らの弱い心を掘り起こすように土へ向き合っていく。

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