昨年(2019年)12月に出版した『社長って何だ!』は、経営者のみならず多くのリーダーとその予備軍の評判を呼んでいる。著者の丹羽宇一郎氏は、伊藤忠商事株式会社の社長、会長を歴任し、民間出身で初の駐中国大使としても手腕をふるった。伊藤忠商事社長時代には、約4000億円の不良資産を一括処理し、その翌年度の決算で同社史上最高益(当時)を記録している。今の日本の行く末も見つめる丹羽氏に、担当編集の丸山勝也があらためてその思いを聞いた。
夢を持てない日本の若者たちへ
丸山 昨年末に出版した『社長って何だ!』は、すでに5刷6万5000部を突破しました。かなり強気に思えるタイトルですけど、最初から「これで行こう」となりましたね。
丹羽 私は最初、「社長って何なんだ」と言ったんだけどね(笑)。「何だ」というのは生意気じゃないかと。でも、こんなことを書く人は私くらいでしょう。普通の人が書くと「あいつ、生意気だ」ってなるけど、私はもともと生意気だから(笑)。
丸山 前作品の『仕事と心の流儀』を含め、丹羽さんは多くの著書を執筆されていますが、『社長って何だ!』には丹羽さんの特別な思い入れみたいなものをずっと感じていました。どのような思いがあったのでしょうか?
丹羽 この本にはね、とにかく「権力は腐るものだ」という私の昔からの思いがあります。そしてもう一つの大きな思いは、今の若者たちに対してです。アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、韓国といった国で「将来に明るい希望を持っているか」という若者への意識調査を行ったところ、日本は最低だった。アメリカの5分の1弱しか希望を持つ若者がいないというデータがある。
今の日本の若い人たちは、私の若い頃に比べると、どこか老人的なところがある気がしています。今が良ければいいという感じがあって、自分の体を張って何かをしようというのがあまりない。これから何十年と生きていくのに、今から年寄りみたいに金を貯めていないで、「もっと思いっきりやってみよう!」と言いたい気持ちがあります。
丸山 現役バリバリのビジネスマンに対しても、思われているところがあるそうですね。
丹羽 40代の後半で大企業の部長くらいになるとね、「人よりも役職が上になった」とか、「人よりも給料が上だ」とか、そんなことばかり言っている。自信を持つのはいいんだけれど、「それで君は何をやろうとしているんだ?」と問いたい。「会社をこういうふうにしたい」とか、それ以上に「自分は日本をこうしていくためにこの仕事がやりたいんだ」とかね、そういう言葉が一つも出てこない。若者や今後の日本のリーダーになるべき世代の姿が、まるで老人社会にいる人たちみたいに感じるんですよ。
政治家もまた国の「社長」である
丸山 日本全体がそうした空気に覆われていますね。
丹羽 だから私は政治のリーダーにも言いたい。日本だけでなく、トランプ大統領や習近平国家主席とか、世界のリーダーたちに「誰のことを考えて政治をやっているんだ?」と言いたいね。社長が社員のことを考えなければいけないように、日本のトップも選挙区だけじゃなく、もっと国民全体のことを考えてほしいんです。
丸山 そうやってトップに立つ人間が変わると、世の中も変わってくるわけですね。
丹羽 それは本当に“社長次第=リーダー次第”です。極端な話、心根が悪くなって人を殺めるとか、そんなケースが増えるというのは政治が悪い。そういうことですよ。社長というのは、自分のことよりもまず社員のことを考え、会社のことを考えなければならない。株主の在り方も、最近は批判されていますね。
丸山 昨年の夏、アメリカ最大規模の経済団体「ビジネス・ラウンドテーブル」が、それまでの「株主第一主義」を見直して、従業員や地域社会の利益も重視した事業運営に取り組むとする声明を発表したことも、本では詳しく触れました。まさに丹羽さんの言う「社員第一」「会社第一」の考えに通じるものですよね。
丹羽 株主と言っても短期投資家は、利益が出たら売って逃げる。本当にその会社のために、お金を投資して株主になって、会社とともに自分も利益を、という株主が少なくなっています。
会社にとって一番重要なのは人なんです。まず「従業員」であり、次に「売り手」や「買い手」、つまり売っていただく人やお客さん。それから「社会」ですよね。最後に「株主」なんですよ。この5つの分野を考えて、会社は利益を配分しなければいけない。でも、経済団体や多くの経営者がそういう思いを持っていない現状がある。そんな振る舞いを見ているから、今の若い人は、会社のため、国の将来のためっていう思想を持てないわけです。このような世の中であっても、現状を自分たちの力で変えるために、若い人たちには何としても将来に向かって一歩前に踏み出してほしいと思っています。
撮影/神谷美寛
今も昔も社長の在り方は変わらない
丸山 丹羽さんは昭和、平成、令和の時代を駆け抜けてこられました。この本に書かれていることって、時代が変わっても変わらないことばかりですね。
丹羽 人間は変わらないよ。私は20年日記を書いているんだけど、それを見返していても、本当に20年一緒なんですよ。
丸山 歴史を見ると、繰り返しているわけですよね。
丹羽 あと30年経ったら、きっとあなたも私と同じことを言っている。勉強しても、だいたいはそんなものです。だからといって、何もしないというのは違うんですよ。やっぱり一生懸命に努力して、自分が何も知らないという自覚を持って勉強する。これが大事なことなんです。
丸山 それこそ、東インド会社の設立以来、絶対に儲かる事業なんて存在していないですものね。繁栄しては落ちていく、という繰り返しです。
丹羽 運よく大金持ちになった人のまねをしているような人が、今、日本にもいっぱいいます。でもここで一度反省する時期がきていると思う。人間は反省したはずの誤った道をまた経験しないとわからない駄目なところがあります。近い将来、日本にはもう一度修羅場がやってくるんじゃないかな。でも、それを越えれば、また貧乏な時代から日本が成長していったように、立ち向かおうという気になるでしょう。まあ、それに備えてしっかり勉強し、努力を怠らないことです。
丸山 タイトルには「社長」と付けましたが、単に社長に向けたのではなく、会社組織であれば部長や課長、上に立つ人たちが刺激を受ける内容になっていますよね。
丹羽 そう。リーダーです。
丸山 スポーツなら、コーチやキャプテンにとって、チームを良くするヒントがたくさん盛り込まれていますね。
丹羽 私が社長を引き受けたときには、「俺はもうこれで死ぬかもしれない」と考えました。自分のすべてを注ぎ込むつもりだったからね。社員たちのことを考え、会社のことを考えていた。その経験が皆さんの役に立てば、こんなに幸せなことはないと思っています。
健全な肉体には「集中力」が宿る
丸山 『社長って何だ!』は、もともと昨年秋くらいに刊行する予定で進めていました。ほぼ原稿ができあがり、これから細部についてしっかり詰めようとしていた7月下旬頃だったと思うんですけれども……ひどく腰を痛められて。自宅で静養中だというご連絡を受けたときは、びっくりしました。
丹羽 まず、本人がびっくりしたよ(笑)。
丸山 やっぱり、そうですか(笑)。
丹羽 病院の先生によるとね、私がそうなんだけど、80歳前後の人でごく最近まで薬は飲んだことがない、元気いっぱいで病気になったことがないという人が、突然動けなくなるらしい。
丸山 足が動かなくなったんですよね。事務所を出てすぐだったとうかがいましたけれど。
丹羽 ええ。何が原因なのか、いまだによくわからないんです。私自身、それまで持病もなく、周囲の同世代は「血圧が高い」「目がよく見えない」と、いろいろ悪いところ自慢をしているけど、私はそういうのが一つもなかった。
丸山 すごいことですよね。
丹羽 でも、突然動けなくなった。あのとき、何が起きたんだと本人も驚いています。みなさん、「入院したんだから、たまにはゆっくりできていいじゃないですか」と思っているんだけど、その考え方は間違っている。
丸山 どういうことですか。
丹羽 「健全な精神は健全な肉体に宿る」って言うけれど、「健全な“集中力”」はやっぱり健全な肉体に宿るんです。ものを考えるときには、とても集中力がいる。集中力があるからこそ、次から次にアイディアが出てくるわけです。
丸山 なるほど。
丹羽 だから、丸山さんは「病室でゲラをゆっくり校閲できるんじゃないか」って思われたかもしれないけど、とんでもないことです。散歩に出ようかって思っても身体も動かない。そんなこんなでイライラしているんだよ。そして全然集中力がないから、読む気もしない。筋力も落ちていく。よく「築城三年落城一日」なんて言うけど、筋肉をもとに戻すのは大変だった。
丸山 以前、「入院したのは今回が初めて」とおっしゃっていましたが……。
丹羽 初めてです。私は盲腸だって入院しなかった。中学3年生のときだったけど、60年ぐらい前だから当時は軍医で有名な先生でした。麻酔は打ったと思うんだけど、盲腸を切ったら、すぐ「はい、立ち上がって」と言われた(笑)。看護師に両脇を支えられて、アメリカの大型の高級車に乗せられて、そのまま家へ帰らされた。昨年、入院して初めて何種類もの薬を飲む経験をしました。「朝はこれとこれを何錠」とか言われて、初めて老人の気持ちがわかった(笑)。この色のやつを2つと、こっちが1つとか、絶えず整理しておかないといけない。
丸山 わからなくなっちゃいますからね(笑)。しかし、そうはおっしゃいますが、自宅療養されている間も含めてゲラのやりとりを3度ほどしていただきました。毎回、細かい字で修正がびっしり入っていましたよね。
丹羽 誤字脱字はわりとパッと目につくんです。私は大学時代に新聞部にいたから。中部日本新聞社で校閲のアルバイトもしていたし。
丸山 そうだったんですか。大幅な修正箇所もかなりありましたよね。
丹羽 集中力が出てくると、次から次にアイディアが湧いてきます(笑)。
愛されるだけでなく、恐れられるべき
丸山 そうして作っていただいただけに、反響も各方面からきています。今回は経営者の方からの意見も多いですね。
丹羽 「会社として300冊買いました」とか、ありました。「本にサインしてください」と言われることも多いのですが、「あなた、僕のサインなんていらないんじゃない?」というような有名な経営者の方もいました。
丸山 一読者として見ても、いろいろ参考になる小見出しが並んでいると思います。「二重人格者であれ」というのは、社内でも「これは面白いな」という共感の声が特に多かったんですよ。
丹羽 そんなことをいう人は、ほかにいないから。落語家だって、うちに帰れば静かだというでしょう。あれだけしゃべると、うちに帰ったらもうしゃべりたくないものです。社長として社員の前で熱量をもって話していても、うちに帰ったら静かなものです。もう全然しゃべりたくない。僕自身、こんなに大人しい人がよくやれたよという感じです(笑)。
丸山 社長は「愛され、かつ恐れられよ」というお話も、とても興味深かったです。
丹羽 愛されることはそれほど難しくない。恐れられるというのは、本当は愛されているから恐れられる、ということなんです。
丸山 どちらか一方でも駄目だということですよね。
丹羽 人間は、「私は大人しい」とかそれぞれ思っているけど、それは違う。良いも悪いも、強いも弱いも、両方持っているものなんです。だからその良い面を引き出してやるということも、リーダーの資質になってくる。
丸山 そうですね。
丹羽 田中角栄さんも、僕はそういう意味ではいいリーダーだと思っています。誰に会っても「おい、子どもは元気にしてるのか?」とかって、絶えず人のことを気にしているようでした。偉い人です。
丸山 そんなリーダーにすり寄っていく、周囲のゴマすりの話もありましたね。いろんな「ゴマ」があって、だんだんそれに麻痺してくると。
丹羽 そう、だんだんゴマの匂いがしなくなってくるんだ。どんどん強い匂いのゴマをすってくるから。
丸山 それに人間としては甘えてしまうという。
丹羽 それはそうです。嫌な人は一人もいない。だって、ほめられたら嬉しいじゃない。でも、まわりはゴマだらけだから、「またやってるな」と思わなくてはいけない。本人に直接言うんじゃなく、この人に言ったら伝わるなという人に間接的に言う「間(かん)ゴマ」もあるし。
丸山 それに不感症になっちゃいけないということですね。
丹羽 僕は昔からそんなゴマが大嫌い。人間の最も嫌な側面です。それを平気で堂々と言う人がいるから。私が社長になる前、あまりに当時の社長にゴマをすっていた当時の上司に、「きさま、いい加減にせんか!」と言い放ったこともあります(笑)。料亭の女将もびっくりして青ざめていたな。
丸山 権力に対してゴマをするというのも、人間の本性なんですかね。
丹羽 権力にはすり寄るものです。でも僕は、うちの妻にもゴマなんかすったことない。すったってしょうがないから。
丸山 いやいや、それは潤滑油として必要じゃないですか?
丹羽 すったって、本人に効かないから。実は『社長って何だ!』では、妻について「それにしてもよくやってくれている」ってことを初めて書いた。でも、彼女にはひと言も伝えていない(笑)。
丸山 それは間ゴマですね(笑)。
撮影/神谷美寛
次世代のリーダーを選ぶには
丹羽 社長にとって一番重要な仕事はね、後継者を指名することなんだよ。指名できなければ、会社をつぶしてしまう。
丸山 今は指名委員会みたいなものもありますが。
丹羽 外部が指名しちゃやっぱり駄目だと思う。それでは本当にいい後継者にバトンタッチできるかどうか怪しいです。その会社の文化とか習慣とか、そういうのを肌身で感じてきた人間が、これがベストだというのを選んでいくべきなんですよ。プレゼンテーションをさせるからそこで選べなんて、事業計画を選ぶのとはわけが違うんだから。
丸山 その通りですね。
丹羽 ともかく、社長の後継者を選ぶのはすごく難しいです。本でも書きましたが、「未熟者」を選ばないといけない。頭の賢さじゃなく、やる気とか会社を愛する気持ちとか、そういう情熱がずば抜けて高い人にやらせないと。
丸山 もとより、完ぺきな人間なんていないんだからというお話でしたよね。
丹羽 人間の頭脳なんて大差がないんです。優しい気持ちを持っているとか、常識的な判断ができるとか、それで十分です。あなたにも社長はできます。ただね、やるためには「この人のためならついていこう」という部下がいなければできない。私腹を肥やそうという人には誰もついていかない。やっぱり清く正しくが基本です。
丸山 社長であっても、世間並みの自宅と車で十分だと書かれていますね。
丹羽 雨露をしのげればいいんですよ。「ああ、あの人は社長になってもあんな家に住んでかわいそうに」というくらいの。本にも書きましたが、クレームを入れるために私の自宅に来た人が「こんな家に住む社長の会社からは金が取れなさそうだ」とあきらめて帰っちゃったんだから。
丸山 あのエピソードは傑作でしたね。
丹羽 でも僕は本当にお金がいくらあるのか知らないから。妻が意外に借金しているかもわからない(笑)。
丸山 想像以上にお金持ちかもしれません(笑)。でも、そういうことよりも丹羽さんは仕事のやりがいのほうに価値を見出されていますよね。仕事で人は磨かれると。
丹羽 そう。お金には興味ありません。
丸山 そういうところも資質ですよね。丹羽さんが後継者を選ばれたときは、何人かの候補から決められたんですか?
丹羽 4、5人いたね。わりとギリギリまで決めなかったんです。
丸山 どのように本人に伝えたんですか?
丹羽 みんな、俺かな俺かなって思っていたんじゃないかな(笑)。だけど、前もって伝えて話が漏れると困るから、前日に呼んで「やってくれるか」と伝えたんです。「金と女性関係は大丈夫か」と、その2つだけ聞いたんだよ。それで「大丈夫です」というから、「誰にも言うなよ」と言って翌日発表したんです。
丸山 そういうものですか。年齢も結構離れていましたよね。
丹羽 10歳違いました。
丸山 本人はまったく想像していなかったんでしょうか?
丹羽 ひょっとしたら何人かのうちの一人かもしれないとは思っただろうけど、自分かどうかはわからなかったと思う。私は数年間、後継者になりそうな候補をそれこそ50人以上は見ていました。
丸山 そうして社長になっても、丹羽さんのように「もうこれで死ぬかもしれない」というほどの覚悟がないと務まらないポジションなのですね。
丹羽 本当に天にも昇るようないいことはない。
丸山 もとより、そんなことを期待する人はなるべきではないということですね。
丹羽 そういうことです。
丸山 『社長って何だ!』には、ここでは語りつくせないくらい、そういったいろいろな角度からの丹羽さんのメッセージがたくさん込められています。組織のリーダーにとってはバイブルになる一冊だと思います。是非一度お手に取ってみてください!
1939年、愛知県生まれ。名古屋大学法学部を卒業後、伊藤忠商事に入社。1998年、社長に就任。2004年、会長に就任。内閣府経済財政諮問会議議員、内閣府地方分権改革推進委員会委員長、日本郵政取締役、国際連合世界食糧計画(WFP)協会会長などを歴任し、2010年に駐中国大使に就任。現在、公益社団法人日本中国友好協会会長、福井県立大学客員教授、伊藤忠商事名誉理事。『仕事と心の流儀』『社長って何だ!』(以上、講談社現代新書)など、著書多数。