2020年1月号から大胆にリニューアルした文芸誌「群像」。1946年創刊という歴史ある雑誌に、これまでの純文学作品とともに、近年発表の場が失われつつある「論」のラインナップが新たに加わった。そこには、社会との接点を大事にした総合雑誌を目指す意図があるという。昨年6月に編集長に就任し、今回のリニューアルを決断した戸井武史に、新生「群像」における目論見や、それをとりまく背景について聞いた。
“読解者”を増やすきっかけの場にしたい
──今回のリニューアルではデザインが大きく変わったのが印象的です。文芸が苦戦するなか、やはり新しい層を取り込もうという意図があったのでしょうか?
もちろん、そういう意図はあります。編集長が変わってデザインが変わるというのはわかりやすいと思うのですが、デザイナーの川名潤さんも、そのあたりはかなり意識的にやってくれました。雑誌というのはだいたい統一感を持たせるものですけれど、川名さんは彼自身が「キュレーター」となって、この雑誌を「プラットフォームにしたい」と考え、表現しているんです。表紙は毎月、「群像」の「像」のロゴが変化していき、メインビジュアルも、写真だったり、絵画だったり、彫刻だったり、パフォーマーだったりと、毎号変えていきます。本文の書体も漢字は游明朝ですが、ひらがなはじつは「群像」オリジナル。しかも、現在進行形でまだ最適化を進めています。
──どのような読者をイメージしていますか?
今の時代、ツイッターをはじめとしたソーシャルメディアによって、誰もが「表現者」になれますよね。でも、コメントでもつぶやきでも、みんな理解する前に“脊髄反応”してしまい、それで終わってしまっている。最近気になるのは、「エモい」や「いいね」、そして「バズる」にしても、全部“言って終わる”単語だなということです。それ以上は考えない。それもある種の表現ではあるけれども、たぶん「いいね」をしても一瞬で忘れるんです。「桜を見る会」問題も1年後には何も覚えてないだろうし、東京五輪が終わってしまえば反五輪の声もどれだけ人々の心に残っているのか。そういう危機感がすごくあります。
作家や、その道の研究者というのは、表現ももちろんするんですけど、やっぱり相当な読み手でもあります。いろんなものを読み、解釈して取り入れ、自分の表現をしている。なかにはインプットの必要がない天才もいますが、多くの人はそうでしょう。新しい「群像」では、そのような〝読解者〟を増やす場をつくりたいと思っているんです。
──そうした「読解者」である読者というのは、やっぱりエンタメの読者とは違うところがありますか?
私は「群像」に来るまで「小説現代」でエンターテインメントに携わっていたのですが、よく聞かれるのが、「純文学とエンターテインメントの違いは?」という質問です。とても難しい問いですが、たぶん一番の違いが、エンターテインメントは「わかっていることをいかに面白く伝えるか」ということに尽きると思うんですよ。一方で純文学は、「わかっていないことを考える過程」なんですね。わからないんです、常に。だから「エモい」や「いいね」という言葉では、評価できないところがすごくある。「エモい」で終わるんじゃなくて、「なんでエモいの?」というのを分解していく作業が純文学なのかもなと思います。それが面白いか面白くないかだったりするのですが、そうした精神構造が今、失われていると感じています。
読解者は、作家や学者だけではなく、芸術や音楽など別のジャンルにも確実にいます。そういう人たちと話を重ねると、この人はその道の表現者としても一流だけど、読み手としても素晴らしく、さらにそこから新たな知見を取り込んで表現したい人なんだと感じます。だから、「群像」でも、そうして一緒に考えていける読解者を集めて、その数を少しずつ増やしていければいいなと。どんな時代も知的好奇心を持つ人は絶対にいるし、今の若い人は特にそうだと思いますね。
新たに「論」も加わった「群像」でできること
──今回のリニューアルでは、内容としても「論」の部分が加わったというのが大きな変化ですよね。
昨年6月に編集長になってから、1月号のリニューアルまでにも少しずつ「論点」という原稿用紙15〜30枚の記事風の論考を始めていました。かつて、私は「週刊現代」にいましたが、週刊誌の記事は長くて6ページ。それよりじっくり長めの原稿にしたい書き手は、月刊「現代」などの論壇誌で書いていた。でも、今は他社も含め、論壇誌自体が次々と休刊しています。一方でネットが発達して、はじめは「好きなだけ自由に書けるぞ」という感覚があったと思うのですが、意外に制限も多い。ネットで長文の原稿を読むかといえば、かなり敬遠されますよね。特にノンフィクションの書き手が書く場所が、以前に比べて激減してしまっているんです。
論壇誌を誰もが読んでいたわけではないですが、そこで書いて活躍した人たちが、テレビのコメンテーターになったり、ある程度の言論空間を作る先導者になることがありました。情報の取り方が大きく変化したこともあると思いますが、みんな自分の身の回りのことに終始して、“社会に対しての言語”を持ちづらくなってきているんじゃないでしょうか。
──そうした「論」が書ける人材に集まってもらうことで、これまでとは違う“読み応え”も提供できそうですね。
そう考えています。そして、純文学の世界もちょっと“ムラ社会”のようなイメージを持たれているところがあるので、少しでも社会との接点が持てれば、という思いもあります。それなら「群像」にこの「論」の側も入れて「総合雑誌」のようにしたらいいじゃないか、というのが、今回の内容面におけるリニューアルです。読者の細かいニーズに応えようとしすぎるのではなく、少し背伸びしてもらうくらいの内容でもいいのではと感じています。また、講談社には、現代新書や選書、マンガまである総合出版社の強みもあるので、その特性をできるだけ生かすものになればと思います。
──「文」と「論」に硬軟も取り入れられそうですね。
これまでの論壇誌はどうしても主義主張が立って、右や左に偏りがちになっていましたが、「群像」はあくまでも「実際はどういうことなの?」という論点で展開します。これは私自身にとってもそうなんですけど、「読みのトレーニング」みたいなイメージです。天皇制でも気候変動でも、一体何が問題で、今生きている僕たちは何を考えればいいのか。執筆をお願いする方々には、それぞれ「読みのトレーニングのための道具や武器をください」というリクエストをして原稿を書いていただいています。
群像 2020年3月号
特別定価1300円(本体1182円)
発売日:2020年2月7日
──リニューアルの効果は感じていますか?
おかげさまで、2月号は実売率が上昇したという報告を受けています。ですが、毎号が勝負です。次の3月号はリニューアル第3弾として、またバラエティに富んだ顔ぶれとなっています。「群像」としては女性のスターを育てていきたい思いもあるのですが、2016年に『ジニのパズル』で群像新人文学賞をはじめいくつも賞をとって話題になった崔実(チェ・シル)さんが満を持して登場します。今回のテーマはある精神病棟の話なのですが、彼女にはやはりスター性がある。本当にすごい小説なので、圧倒的な話題にできればと思います! 是非ご期待ください!
雑誌の「雑」を大切に、興味を広げる多様性を
──先程お話のあった「論点」では、リニューアル第一号となる1月号から昭和史の実証的研究の大御所である保阪正康さんの「天皇制」の話題が入っていたり、かと思えば「気候危機とマルクス」といった視点や、話題の「ルシア・ベルリン」を取り上げたり、石井ゆかりさんの「占い」論を入れたりと、かなり攻めた内容になっていますね。
「天皇制」と「占い」と「マルクス」が並んでいるという面白さを感じていただけたら嬉しいですね。私はどうしても、雑誌の「雑」の部分を大切にしたいと思っています。ウェブメディアがこれだけ広まっているなかで、「紙で出す意味ってあるの?」と当然のように聞かれるのですが、やっぱり「意味はある」と思うんですよね。デパートで買い物をするときのように、隣の店も自然と目に入るということが紙の最大の強みだと思います。
リニューアルしてから「分厚いねぇ」って言われるんですけど、「全部読んでください」と言うつもりはまったくないんです。ひと月は短いですし(笑)、それぞれの読者に何かが引っかかればいいと思っています。ウェブメディアというのは、いつの間にかアルゴリズムで最適化されて、自分が見たいものだけしか見ることができなくなっているところがありますよね。「群像」は専門店ではなくて、デパート。できるだけ隣接する店の脈絡をなくして、入れ替わりも激しめにしたい。だから、4ページ前後の連載、「占い」の石井ゆかりさんがいい例ですが、いろいろな分野の書き手に幅広くお願いしていきます。文と論をうたっている以上、論のクオリティも高い水準を保ちたい。周りでサバイブしようとしている同世代の作家や編集者も手厳しい人たちが多いので、面白くない雑誌は作れないです(笑)。
──3月号もかなりバラエティーに富んだ内容になるそうですね。
3月号では朝日新聞「折々のことば」でも知られる哲学者の鷲田清一さんの連載が始まります。「所有論」という、かなり大きなテーマ、まさに「所有とは何か」ということを、縦横無尽に書いていただく予定です。「所有」というキーワードのなかでひとつの大きな論点は「労働」かもしれません。労働もある種の所有物なので、企業はそれをいわば個人からレンタルしているわけですよね。それは今の「働き方」ということとも密接に関係していて、大学者が手探りで考えながら書く著作としてかなり面白いものになると思います。
ほかにも、緊迫状態にあるイスラエルやヨルダンで「国境なき医師団」を取材したいとうせいこうさんのルポルタージュが始まりますし、柄谷行人さんの批評があったり、四方田犬彦さんに韓国問題を書いてもらったりと幅広いラインナップとなっています。
──これまで「小説現代」と単行本で10年、主にエンターテインメントを手がけてきました。その前は週刊誌の「週刊現代」や経済誌「セオリー」にもいたわけですが、そうした経験が「群像」リニューアルにどのように活かされていると感じますか?
もともと、私は入社時から「群像」志望でしたが、仕事として純文学に携わるのは初めてになります。かつ編集長という立場になってみて、「どうやったら話題になるか」ということは常に考えているし、それは「週刊現代」や雑誌で鍛えられたところもあるかもしれないですね。実際に「修行してこい」と言われて週刊誌にいきましたが、最初から純文学の世界にいたら純文学原理主義みたいな作品だけを志向していたと思います。でも、やっぱりそれだけではやっていけない。
週刊誌で校了を毎週重ねて記事を一つ一つを作ってきたのが、今にして思えば自分の成長につながっていたのを感じます。聴く技術、書く技術、そして時間配分と取捨選択。単行本だったらできないようなチャレンジ企画もたくさんやらせてもらったので、週刊誌にはすごく育てていただきました。外に出てから気づくようじゃ遅いと怒られそうですが(笑)。
──同世代の30〜40代を読者に取り込んでいくようなイメージはありますか?
週刊誌でも若い読者の獲得にはかなり苦戦してきました。メディアの形態が変わらない以上、若い読者が自然に入ってくることはほとんどないと感じます。だとしたら、今いる読者と、興味を持ってくれそうな読者のところに確実に届けるしかないですよね。そこから周りに少しずつ広げていければと思っています。
私もそうですし、純文学が好きな人の多くはそうだと思うのですが、背伸びしてくれる人、背伸びをしたい人以外はあんまり「群像」は手に取らないと思うんです。読むことってある意味では苦しいことですから。動機はカッコいいからとか、ちょっと人と差をつけたいとか、今なら「今日はこれ読んでます」ってSNSに上げたくなる「映え」でも、初めはなんでもいいんです。ただ、もし一回でも手に取ってもらい、小説でも批評でもコラムでも、読んでくれたら、「面白いな」と思ってもらいたい。自分に関係あると思ってもらえるラインナップを組んでいきたい。
私も就職氷河期の最後のほうですけど、今の30代40代というのは会社に入ってからも厳しい時代を目の当たりにしています。本来は社会への意識はみんな強いはずなんです。でも、辛いものを見慣れてしまっていて希望が持てないというか、「とりあえずいいから、それでいこうよ」みたいなマインドになっているところがある。そんな同世代に、自分の考えを深められる「読解者」を広げていくようなイメージで、新しい「群像」を作りたいと思っています。
2021年に迎える「震災後10年」を見据えて
──創刊が1946年という歴史のある雑誌ですが、編集長になって感じることは?
70年以上続いているという重みは当然あって、それは「群像」の一番の強みだと思います。作家や研究者の方々、知的な作業をしている人たちに、この雑誌の編集長というだけで話を聞いてもらえるし、原稿も書いていただける、それはどういうことかと言えば、やっぱり読んでいただいているんですよね。「群像」にはそういう読者がしっかりいてくれるんです。エンタメにいたときは、ある程度頭のなかで「『警察』とか『歴史』とか、このジャンルにはこれくらいの読者がいるから、ここに向けてみよう」という、仮の読者像みたいなものを考えて作っていたんですけど、「群像」はちょっと違う。とにかく読んでいただいている多くはないが強固な層がある。そしてこういう時代ですから、その人たちの多くが「発信者」で、その周りについている人もいる。そこに対しての回路はしっかりあるので、この強さは活かし大きな波紋にしていきたいですね。
編集長になってあらためて創刊号を読んでみたんです。1946年と言えば、戦争が終わってたった1年ですよね。ボロボロの紙で薄い冊子なんですけど、そんな状況でも刊行しようと思った先人たちの気持ちは絶対に忘れちゃいけないなと、強く思いました。食べる物すら手に入れづらい時代に、何かを訴えかけなきゃいけないと思ったからでしょう。それが小説だったし、批評だったし、ある種の文芸だったってところが「群像」のスタートなんです。そのときに見ていた風景というのは私たちには実際わからないけれど、想像しないといけないと思うんですよね。ただ、私たちは戦争も経験していない。「今だったらなんだろう」と考えたときに、やっぱり「震災」じゃないかなと思ったんです。
──震災というものが一つの「節目」になっていると。
2011年に東日本大震災があり、福島原発の事故が起こって、人が住めない土地まで生まれてしまった。私たちは皆「震災後の世界」を生きているのに、すでに「忘却」は始まっているし、同じことをくり返してしまうのでは、という危機感を覚えています。少しでもいいからそうした時代への使命感がないと「群像」のような雑誌は作れない、作ってはいけないんじゃないかと思っているんです。4月号では9年目の震災特集も組んでいますが、来年の10年目を文×論の一つのピークにもっていけたらいいなと考えています。そして可能な限り、毎年考えていきたい。
3月号からジャーナリストの石戸諭さんの連載が始まります。彼とよく話すのは、「震災以降、いろんなところで分断が起きている」ということです。アルゴリズムの最適化もそうですが、自分の見たいものを見ようというのは、じつは日本自体がものすごく弱くなっている顕れではないかと考えています。経済的に強かった頃は、様々なジャンルでもっといろんなチャレンジができたし、それを認める空気もあったと思うんです。経済成長率の話だけでも、日本は確実に力を失っている。みんなすごく絶望的な気持ちになっているんだけど、そういう時代を生き抜いていくための「道具」や「武器」は絶対に必要なはずです。
──たしかにこの9年ほどで、日本の状況や日本人のマインドは大きく変わった気がしますね。
さらに、「文書を偽造しても悪びれない」「嘘をついても開き直る」というような、今まで起こり得なかったことが、いろんなところに蔓延しています。でも、こんな時代だからこそフィクションが存在感を出せるのではないかと考えています。社会そのものを見るといろいろ辛いことばかりあるけれども、ちょっとだけでも自分の心持ちを変えたり、考え方を変えたりしてくれるのは、たぶんフィクションであり、小説なんじゃないかと。
編集後記を復活させた理由
──かなり大胆なデザイン変更となりましたが、デザイナーの川名潤さんに依頼した経緯はどんなものだったんですか?
川名潤っていう人は、もう変な人で(笑)。業界ではすごく知られている超人的な人なのですが、私が単行本を作っていたときにも、思いもよらないようなデザインの作品をたくさん生み出してくれました。
編集長に就任してからすぐに彼にリニューアルをお願いしようと思って電話したんです。そしたら「あの、間違えていたらすみません。編集長になったんですよね? デザインやらせてくれませんか?」って向こうから言われるという(笑)。
でも、スタッフも抱えずにすごく忙しくしている方なので、「一人じゃ無理では?」と相談したら、チームを作ってくれました。弟子をつけるような形ではなくて、同世代と若手の横のつながりで、一緒に動いてくれる人を集めてくれたんです。表紙は毎号がらりと変わるし、メインロゴの「像」が変化したり、読み切りも扉ページもそれぞれデザインされ、本文の書体が今も最適化され続けているというのは、現場も印刷所も大変です。すごく申し訳ない。でも、編集部はどんな風になるかワクワクしてますし、デザインを中心にした「変化」の楽しさで一丸となっています。
川名さんは「群像」自体の魅力をもっと深めようとしてくれています。私も含め30〜40代の関係者はみんな、紙の雑誌に携われる最後のチャンスだと思っているし、なくなるという危機感が常にあります。昨年のリニューアルで話題となって盛り上げている「文藝」の坂上陽子編集長も同世代です。「文藝」を読むと、「わかる」と共感する一方で、こんなに考え方が違うんだなというところもあって、面白いですね。他誌はもちろん意識しますが、「群像」は総合誌を目指している時点で他とは違ったものを展開していくことになると思います。
──しばらくなかった「編集後記」もリニューアルから復活しました。
悩んだのですが……。こういう時代ですから、やっぱりカッコつきの「私」っていうのはかなり大事だと思っているんです。若い世代のノンフィクション畑の人たちと話をしていても、表現するときにどんな人が書いているのか、どんな人が作っているのかという点がとても大事だと感じます。今、欧米メディアでも「I」が前面に出てくる記事が増えているそうです。編集後記で「私」を出して読者への説明をしっかりすることで、自分に負荷をかけつつ、雑誌のコンセプトを伝えていく。そこに共感や意見が生まれてくればと思っています。
──リニューアル後、反響はどのように感じていますか?
まず、定点観測しているいくつかの書店さんでの置き場が、明らかに変わったのを見ました。以前は棚差しだったのが、面陳にしてくれることも多くなりました。また、独立系の顔が見える書店、単店でやっているようなところでは、意識してくださっているのを感じます。論考で「ルシア・ベルリン」を取り上げたりしたので、単行本と一緒に置いてもらった書店もありました。
今の時代に「群像」にスペースを取って売っていただくということは本当に大変なことです。でも「これは面白い」「話題になる」と思っていただけるから、置き方を変えていただいている。現場の書店さんからの反応は一番のバロメーターかなと思っています。編集長として、この値段を払うだけの価値、それだけの労力は十二分に掛かっていることは断言できます。できるなら、ビニールで覆って売りたいくらいです(笑)。ぜひ一度手に取ってもらえればと思います。あと、面白いから分厚くてラッキーと言ってもらえるようにしたいです。
採用面接で「『群像』がやりたいんです」という人が出てきたらいいですね。私も「群像」志望で面接を受けましたが、それは「新しいから」という理由ではなかった。今回のリニューアルを受けての志望であれば、その若い方に届いたということなので嬉しいでしょうね。そうなるように毎号チャレンジしていきます!
1980年埼玉県生まれ。2004年講談社に入社。「週刊現代」編集部に配属となり5年在籍。その後、セオリー編集部を経て、2010年に「小説現代」編集部へ。2019年6月に「群像」編集長に就任。