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なぜ英国人はこれほど旅に焦がれ続けたのか。「旅の真の効用」とは?
(著:中島 俊郎 解説:桑木野 幸司)
英国人にとっての旅と、庭園?
読み終わってベッドに突っ伏しながら「イギリスに、私はまだ行っていないんだわ」とホクホクした。私の人生伸び代だらけじゃないか! 読んでよかった。いつかヒースロー空港行きの機内でこの本を読み返す。そしてローマももう一度ヘトヘトになるまで歩きたい。ああ~、いつ旅行に行けるんだ!
『英国流 旅の作法 グランド・ツアーから庭園文化まで』は英国人にとって“旅”がいかに大切で、心躍るもので、彼らの精神に根ざした文化であるのかを教えてくれる本だ。イギリスの旅人たちが大勢登場する。彼らがのめり込んだ旅を本書で知るにつけ、お腹の底からイギリスに行きたくなる。観光名所やグルメ情報よりも強い何かを受け取ってしまうからだ。
ところで題名にある“グランド・ツアー”とは何なのだろう? 旅文化に“庭園文化”が含まれるってどういうこと? これらすべてが繋がっていると知った瞬間の絶景といったら!
社会の通過儀礼=グランド・ツアー
本書は五章で構成されている。第一章は“グランド・ツアー”の歴史、そしてグランド・ツアーを通してイギリス人たちが求めた“アルカディア”の物語だ。
貴族の子弟が社会に出る前に、教育の仕上げとして組まれた旅がグランド・ツアーであった。(中略)ヨーロッパのなかでもイギリスはイタリア文化の影響を強く受けていたので、いきおいイタリアがイギリスにとって「学びの地」になったのである。
家庭教師が引率する教養旅行だ。このグランド・ツアーはヨーロッパ中で行われてきたが、さっそく「イギリスらしさ」が出てくる。
十八世紀に入るとその性格にいささか個人的嗜好が反映するようになってきた。一七二〇年代には社会への通過儀礼として考えられるようになり、教養を完成させるひとつの区切りとして認知されるようになった。
貴族だけのものではなくなり、やがて「制度化」されていくのだ。グランド・ツアーの旅程はガチガチで目的地も帰路もほぼ同じ。しかも結構しんどい。悪路は当然のこと、ローマでニセの美術品を掴まされたり、疫病だってある。疫病についてはちょうど私たちはリアリティをもって読める。彼らも場合によっては2週間「隔離」されたのだという。
ハードだなと思いつつも、このグランド・ツアーに憧れてしまう。絵画や諷刺画を交えつつ描かれるグランド・ツーリストたちの群像劇がすごくいいのだ。
そそる旅行記たち
当時の貴族以外の人々がどこでグランド・ツアーの魅力に気付いたかというと“旅行記”だ。トリップアドバイザーを見てる場合じゃないぞと思うような著作が多い。たとえばサー・ジェームズ・ブルースの『ナイル川の源流を求めた旅』。
十八世紀の旅行記の慣例に忠実に従い、手に汗握る冒険談があるかとおもえばアフリカ女性とのロマンスが急に割り込んできて、そのあとに古代エチオピア王朝史が延々と語り継がれ(略)
めちゃめちゃ読みたい!(当時ベストセラーになったらしい。わかる)
また、『スペイン人に偽装したイギリス人が書いたイギリス国内の旅行記』という大変ややこしいが当時のイギリスが鮮やかに伝わる旅行記もある。サウジーの『ドン・マヌエル・アールヴァーレス・エスプリエーラのイギリス通信』だ。
まず一般のイギリス人にとって、スペイン及びスペイン人は、古い封建主義を引きずった、唾棄すべきカトリックの国で何よりもイギリス嫌いの国である、というのが率直な感想であろう。だから当然、スペイン人がイギリス人に何を物申すか、という挑戦的な気分が著者名と署名を見ただけでイギリス人にわきあがり、かなり身構える結果となる。だが、じつはこの硬直した身構えこそ、逆に言えば、好奇心につながっていくのである。
これは手に取っちゃうな。そして現代にもこの戦略で書かれた文書がありそうだ。
「アルカディア」と「ピクチャレスク」
本書に登場するあらゆる旅人を結びつけてゆくのが“アルカディア”だ。この不思議な耳ざわりの言葉が、時に「なんでそんなにしてまで?」と思うようなイギリス人の旅に輪郭を与える。なのに「こういうものです」と語るのがむずかしい。たちまち迷子になる。なぜならどんなシーンでも「あるようでない」存在で、常にかたちを変えてしまうからだ。でも全ての文章が胸に引っかかる。イギリス人たちの憧れが伝染するのだ。アルカディアについて触れている箇所をいくつか引用したい。
想像上だけに存在する黄金の楽園
イタリアへ旅行したゲーテは旅の途中、朽ちたローマの遺跡を眼の前にしてみずからの疎外感を「われ、かつてアルカディアにありき」との一句で語った。
異国にユートピアを夢見たり、失われた過去を追慕したり、また空想をめぐらして願望の社会をつくりあげるといった衝動は、イギリス人の意識のなかに旅の姿として定着していったのであった。
喉の奥がキュッと痛くなるような、手が届きそうで届かないふわっと感。本書のアルカディアの項はどれも泣きそうになる。私たちが旅行先でふと感じる「何か」とほんの少し似ている気もするし、もっと遥か先にある景色にも見える。
本書に登場するイギリスの旅人たちはアルカディアを捕まえようとする。それはグランド・ツアーから始まり、やがて自国の田園と庭園にたどり着き、彼らはそこで美しい「額縁」を手にいれる。
じつはこのアルカディア回帰の現象こそ田園にたいする偏愛と通底していたのである。(中略)田園に生息する動物、樹木、花や草すべてがひとつの総体として記憶に焼きついているからである。
フランス革命が起きたためにイタリアへの渡航を断念させられ、自国文化の源泉はその国家にあるとする、ロマン派の信条につきうごかされたイギリスの指導階層の人々は、アルカディアをイギリス国内へ誘導してきたのであった。しかもきわめて意識的に。(中略)絵画を下敷きにして風景を観察し観照にふけったのであった。
湖水地方と聞いて思い浮かぶあの風景を通してイギリス人はアルカディアに手を伸ばしているのだ。そして庭園も同じだ。自宅の庭園だとしても、それを見るイギリス人の心は遠くを旅して、アルカディアに想いを馳せていた。どうやって見ていたのか? そこで登場するのがイギリス独自の美意識“ピクチャレスク”だ。
「第二章 風景の誕生 ピクチャレスク・ツアー」では「牛と馬、どちらがピクチャレスクなのか?」といった話が読めるので、ぜひイギリス独自の美に面食らってほしい。手放しに美しいですねと言えない、なんともピリッとくる美意識だ。
究極の旅
今まさに旅行に行きたくて行けなくてステイホームする私にもっとも響いた旅人がいる。スティヴンソンだ。小説『宝島』や『ジキル博士とハイド氏』は知っていたが、彼のエッセイ『徒歩旅行』はウォーキング文学の「聖典」なのだという。そもそもウォーキング文学というジャンルを本書で初めて知った。
スティヴンソンが南仏を1頭のロバと旅した記録『旅はロバをつれて』について本書は丁寧に紐解く。ロバを引き連れた1人旅、つまり物言わぬロバとの旅だ。当然さみしい。そして面白い。「心の彷徨」なのだ。だから非常に豊かで美しい。アイデア出しのために散歩をする人を知っているが、彼もさまよっているのかもしれない。このスティヴンソンとロバの旅について作者は次のように述べる。
旅の目的は、自分自身の見せかけの外観ではなく真の現実のすがたを見据えることにある、という。頭のなかだけで思弁を弄し、空疎なたわむれに終始するのではなく、現実から目をそむけるな、と忠告している。田園やアルカディアを自分のなかに求めたスティヴンソンの旅、これぞ究極の旅かもしれない。
旅の目的は未知の異郷に足を運び、身をさらすことではなく、これまで知らなかった世界と対峙することで旅人自身すなわち自分自身を見出すことにあるということ。もうひとつの点は、(中略)人間が初めてこのうつし世を見た瞬間をあらわしている。
参りました。そう、私はロンドン橋やパンテオンをインスタにあげたいから旅行に行くわけじゃない。そこで自分が何に心を奪われ何に言葉を失うのかを知りたくて行っている。
旅好きなイギリス人たちの足取りから精神世界に導かれ、イギリスの田園風景が浮かび、かつての煙たいロンドンを想像し、庭園に憧れる。そして再びイギリス人のまなざしと心に戻り、やがて自分にたどり着く。何ヵ月もかけて世界を巡るような1冊だ。(このレビューを書きながら映画『ピーターラビット』を再生していた。劇中で描かれる美しい田園風景とロンドンの街並みの奥にある何かがほんのり見えた気がする)
- 電子あり
18世紀、古典教養を学ぶため、貴族の子弟や家庭教師がこぞってイタリアへと旅した“グランド・ツアー”。
フランス革命が始まって海外渡航が難しくなると、今度は湖水地方への国内旅行へとシフトチェンジ、ガイドブック片手に風景観賞(ピクチャレスク美)で美意識を磨く。
はたまた馬車が流行りだせば、「自らの歩き、詩想を深めるべし」と徒歩旅行が大ブームに。結果、ワ-ズワスはじめ、世界的ロマン派詩人を次々生み出した――。
どんな時代もどんな状況でも、「旅で学ぶ」「旅で成長する」という信念を守り続けた英国人。
彼らは、なぜこれほどまでに旅に焦がれ続けたのか。
旅の効用とは、一体何なのか。
その飽くなき情熱と、彼らが愛してやまない理想郷「田園」の精神的意味を様々な史料、図版とともに考察する。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。
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