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生命とは何か? どこで誕生したのか? 究極の謎にホタルが教えてくれたこと

2019.09.12
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小さくて儚い、けれど重たい

もう数十年も前のことだが、掌で一匹のホタルを死なせたことがある。べつに潰したわけではなく、ただ包みこむようにして、その光る様子を眺めていただけだ。

ところが、その光はみるみるうちに薄らいでいき、やがてホタルそのものも、ぐったりしてきた。慌てて草むらに戻したが、回復する様子もない。そのまま、ぽとりと地面に落ちてしまった。

『我々は生命を創れるのか』

じゅうぶんに分別がついているはずの歳だったから、これは恥を忍んでの告白ということになる。どうやらホタルは熱に弱いらしい、ということを後で知った。人間の掌ですら、彼らにとってはフライパンのようなものだという。もっとも、これを科学的に検証した信頼できる報告などは、僕が探した範囲では見つからなかった。熱ではなく、単に捕獲されたことによるストレスなのかもしれない。

いずれにしても、あっけない死だった。もともと、はかない印象のあるホタルだが、これほどとは思わなかった。僕は少なからず衝撃を受け、深く反省した。今でも梅雨の季節になると、一度は脳裏を過(よぎ)る。逆に言えば、一匹のホタルの命が、それだけの重さを持っていたということだ。

この時以来、ホタルのいるような森や水辺には、何かおぼろげで弱々しく、生命になり切っていない存在の気配を感じるようになった。漆原友紀の人気コミック『蟲師』に出てくる「蟲」のようなものかもしれない。

実際、そんな「半生命」みたいなものは、いるのだろうか。

我々の祖先に関する究極の疑問

約四〇億年前、地球が誕生してまだ間もないころに、最初の生命も生まれたと考えられている。この時の生命は、すでに我々と同じような特徴をすべて備えていたのだろうか。たとえば体の内と外を分ける境界があり、ものを食べたり排泄したり、成長したり、子孫をつくったり、進化したりできたのだろうか。あるいは、その中の一部しか、備えていなかったのか。

また、そういう生命は、どこで生まれたのだろう。よく言われるように海の中なのか、陸上なのか、あるいは地下や他の惑星だったりするのか?

人の数だけ「生命の定義」がある

そのような疑問を抱きながら、僕は生命の起源や進化の解明を目指す多くの研究者と会い、長年、取材を重ねてきた。そして2017年からは、講談社ブルーバックスのウェブサイトで「生命1.0への道」を一年余り連載した。その一部を再構成した上で加筆・修正し、新たな原稿を加えたのが『我々は生命を創れるのか』である。

僕が抱いていたような疑問への答えは、研究者によって、まちまちだった。生命の特徴の一部しか備えていない「半生命」がいた、あるいは、いてもいい、と言う人は思いのほか多かった。しかし、そんなものは「ただの高分子です」と言い切り、やはりすべての特徴を備えていなければ生命ではない、と言う人もいる。そうした立場によって「どこで誕生したか」も変わってくる。

そもそも生命の定義は複雑で、いちがいには言えないという人もいた。確かにそうだ。科学だけに答えを求めるわけにはいかない。なぜなら日常的に我々が何かを「生き物だ」「生きている」と思うとき、生物学的な特徴だけが頭にあるわけではない。人によっては、自分が大事にしている人形や道具にでも、「命」を感じる時がある。実は科学者にさえ、それは当てはまる。彼らも我々と同じ人間だ。完全に客観的・科学的に生命をとらえることなど、不可能なのかもしれない。

フラスコの中に泳ぐ細胞は「生命」か「機械」か

今、「合成生物学」という新たな学問領域が注目を浴びつつある。その研究者の中には「生命とは何か」を解明するため、研究室で原始的な生命の創造を目指している人もいる。たとえて言えば、時計の構造やメカニズムを理解するために、自ら時計をつくってみようとするようなものだ。あるいは人間の脳の仕組みを知るために、人工知能をつくってみることにも似ている。

すでに僕から見れば「半生命」くらいのレベルに達しているのでは、というくらいの「人工細胞」が、彼らのフラスコには泳いでいる。あと四、五年すれば、物質的にも機能的にも、本物の細胞と同等なものが誕生するかもしれない。

『我々は生命を創れるのか』

その時、我々はその細胞を何と見るだろう。「生命」か、あくまでもミクロの「機械」か? そもそも我々は生命と、そうでないものとを、どう区別しているのか。その判断は、果たして確かなものなのか? 今回の本では科学の最先端とともに、そうした問題も正面から取り上げた。

「謝辞」には書かなかったが、僕に命の儚さと重さを教えてくれた一匹のホタルに、この本を捧げたいと思う。

(出典:読書人の雑誌「本」9月号)

藤崎慎吾(ふじさき しんご)
1962年、東京都生まれ。埼玉県在住。米メリーランド大学海洋・河口部環境科学専攻修士課程修了。科学雑誌の編集者や記者、映像ソフトのプロデューサーなどをするかたわら小説を書き、1999年に『クリスタルサイレンス』で作家デビュー。早川書房「ベストSF1999」国内篇1位となる。現在はフリーランスの立場で小説のほか科学関係の記事やノンフィクションなどを執筆している。『深海のパイロット』『日本列島は沈没するか?』『ハイドゥナン』『鯨の王』『深海大戦 Abyssal Wars』3部作など海を舞台にした著作が多い。民俗学にも強い関心があり『螢女』『遠乃物語』といった作品に反映されている。生命の起源に関連したノンフィクションには『辺境生物探訪記』(共著)がある。近況はフォトブログ「風待ちの島」(http://shingofujisaki.sblo.jp/)で。
  • 電子あり
『我々は生命を創れるのか 合成生物学が生みだしつつあるもの』書影
著:藤崎 慎吾

生命とは何か? それはどこで、どのようにして生まれたのか? この「究極の謎」に、人類はいまだに答えられていない。

だが近年、「生命の起源」をさがす研究は大きな動きをみせている。たとえば、生命誕生の地は従来、「海」が最有力とされてきたが、最近では「陸」が、さらには「宇宙」が支持を集めつつあり、「宇宙生物学」といわれる分野で活発な研究が進められている。

その一方では、「生命の起源がわからないなら、つくってしまおう」という考え方が現れた。時計の仕組みを知るためにまず時計をつくってみて、そこから仕組みを考えるように、まず「生命の起源」をつくろうという発想だ。これが、現在の生命科学で最も注目されている「合成生物学」である。その発展は目ざましく、「5年以内」に人工生命の実現をめざす研究者もいる。

そのとき我々は、その「生命」を「生命」と認めることができるのだろうか? 研究室で「生」と「死」の試作を続ける最先端の科学者たちは、「生命」をどのように考えているのだろうか? 科学だけでは割り切れない「究極の謎」に、気鋭の作家が挑む渾身作。

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