良書の復刻
本書は古い本を復刊したものです。
この本がはじめて世に出たのは1974年、今から45年前です。すなわち、本書は半世紀近く前に書かれたものなのです。著者の都築卓司先生も、お亡くなりになってからすでに15年以上が経過しています。
にもかかわらず本書が今出版されるのは、なによりも「内容が古くなっていない」からです。さらには本書が類書に比して圧倒的に「わかりやすい」ためでもあります。
都築先生はノーベル賞物理学者・朝永振一郎先生のお弟子さんに当たる方(物理学者)ですが、物理学や数学など、一般とは乖離しがちな学問をわかりやすく語る手腕に優れており、幾多の著書をお持ちでした。『タイムマシンの話』など、「おっ」と思わずにはいられないような本を何冊も執筆されています。
45年もさかのぼればトポロジーに関する本は何十冊もあるでしょうが、この本ほどわかりやすいものは滅多にありません。まさにこの本は「トポロジー入門」であります。
トポロジーとはなにか
本書でトポロジーへの入り口として最初に紹介されるのは、鉄道の路線です。
東京から大阪に向かう場合、多くの人は新幹線を利用することもふくめ、東海道本線を下ることを考えるでしょう。しかし、東京から大阪に向かう路線は一通りではありません。時間を考えなければ、遠回りしたってかまわないのです。日本海側をまわるとか、一度北上して南下するとか。
(それをするのは「乗り鉄」の人だけじゃないかという気もしますが……)
同じ駅を複数回通るなど特殊な場合をのぞき、経路はすべて1本の線……数学的にいうと「有限な長さの交わることのない1本の線」(線分)で表されます。どんなに移動距離が長かろうと、遠回りしていようと、妙ちきりんな移動であろうと、それが1本の線で描かれている(片道乗車券で乗車できる)ことは変わりません。これをトポロジーでは「同相」(同じ)と考えます。
当然、トポロジーでいえば同相ではない(位相を異にする)場合もあります。それがどういう場合かは、この本を読んでいただくのがよいでしょう。本書はわかりやすい例をもってていねいに説明し、トポロジーという考え方を明らかにしていきます。
ただし、こう感じる人も多いはずです。
「そんなことして、なんの役に立つの?」
本書ではこう述べています。
ひま人のすること……と言われてしまえば、まさにそのとおりであり(中略)、返す言葉もないが、実はこのような図形の研究がトポロジーという学問の基本になっているのである。
本書でも幾度となくふれられていますが、トポロジーには「こういうシーンで利用されている」というような例証がほとんどありません。たとえば微積分は、人々の生活におおいに活用されており、「そのために学んでいるのだ」と主張することも可能です。また、誰も解いた者のいない数学の難問リーマン予想は、要するに素数の研究ですから、たとえばネットショッピングなど、暗号技術が活躍する場所にはおおいに関連があります。
(それゆえ、数学者が主人公のアメリカのテレビドラマ『ナンバーズ』のネタになったことがありました)
ところが、トポロジーにはそれがほとんどありません。まさに都築先生の言葉どおり「ひま人のすること」というほかはないのです。役に立つようには思えないもの。それがトポロジーです。
だけど、よく考えてみてくれよ。
学問って本来、そういうものなんじゃないのか?
トポロジーは純粋な学問である
わたしたちは小学校で「分数の割り算」を習いました。ご存じのとおり、あれは分子と分母をひっくり返してかければ正答が出るのです。子どものころは、自分もずいぶんひっくり返してかけていたと思います。
ところが、これは大人になると、使う機会がありません。すくなくとも自分は、大人になってから一度もひっくり返してかけた経験がない。今後もおそらく、ないでしょう。つまり、自分は「知らなくてもいいこと」を一生懸命学習していたことになります。
じつは、これが学問の――別の言葉でいえば教養の――本質ではないでしょうか。
わたしたちはいつの間にか、とても功利主義的になっています。これを学ぶことはこのような役に立つ。そんなさもしい考えでしか、学問に向かうことができなくなっています。これは、わたしたちが抱えた、大きな不幸のひとつだと言えるでしょう。
このような態度は、わたしたちをとても狭い、限定されたものにします。たとえば、わたしたちの多くは日本語を使ってモノを考えていますが、それはすなわち、日本語でないところから生まれる思考を捨象してしまっていることにほかなりません。功利主義的にものごとを求めると、いつの間にかそういう落とし穴にはまってしまいます。しかも、自分が落ちていることにまったく気づけかないのです。(すなわち井の中の蛙です!)
数学が記号を扱う大きな理由のひとつは、日本語を使っていたのでは構築できない思考があるためです。論理をつきつめていったところに、見えてくる世界があるためです。
本書も、トポロジーを積み重ねていったその先に、n次元の世界が顔を出すことを紹介しています。わたしたちが住んでいる世界は3次元だといわれていますが、トポロジーはいかなる高次元も思考することを可能にするのです。
(ちなみに都築先生は『四次元の世界』というたいへん興味深い本の著者でもあります)
本書でもふれられているとおり、トポロジーで導かれるn次元が、ホンモノのn次元(それを見たことがある人がいたとして、ですが!)と同じものであるとは限りません。あくまで、それを考えることができるというだけ。正解かどうかはわかりません。
しかし、そのようなものを考えられるってことは、とても素晴らしいことだと思えます。こんな自由なことって、他にないだろう?
トポロジーは、わたしたちの自由とこの世界のしくみに密接にかかわっている学問です。本書は、その基礎的な部分を、平易に解説した良書であります。
なお、本書に印象的な解説を付された芳沢光雄氏(桜美林大学教授)による紹介は、こちらで接することができます。
レビュアー
早稲田大学卒。元編集者。子ども向けプログラミングスクール「TENTO」前代表。著書に『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの? 』(講談社)。2013年より身体障害者。
1000年以上前の日本文学を現代日本語に翻訳し同時にそれを英訳して世界に発信する「『今昔物語集』現代語訳プロジェクト」を主宰。https://hon-yak.net/