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富の所有者はなぜ主役を降りる? アダム・スミス以来の「経済思想史」完全版
(著:中村 隆之)
この本の特長は経済思想の流れが示しているある「方向性」を明らかにしようという著者の執筆の目的にあります。そのために取り上げた経済学者は6人(周辺の学者を含めると10人近く)になります。
彼らの経済思想を検討した中から浮かびあがってきたのは「所有者が主役から降りていく」というものでした。一見わかりにくいと思われるかもしれませんが、この本を読み進めるうちに間違いなく腑(ふ)に落ちてきます。
この本は私たちがとらわれている「常識」を疑うという地点から始まります。
労働者の権利や安定よりも、資本の自由な利益追求を肯定することが、格差はあっても活力があり、成長が望める経済を作り出す。
誰もが耳にした覚えがある言説です。このような「常識」を支えているのは市場にまかせればすべてうまくいくという「市場主義」です。この主唱者として取り上げられているのがハイエクとフリードマンです。政府からの介入を排除すべきというこの考えは正しいのでしょうか? 著者はこう断じます。
「市場は善、政府は悪」という「市場主義」は、薄っぺらい扇動思想である。そして、その薄っぺらさを隠すために、権威づけにスミスを持ち出す。
この「市場主義者」に担ぎ出されたアダム・スミスが本当はなにを考えていたのか、その考察からこの本は始まります。
アダム・スミスの課題はどのようにすれば皆が(=国)が豊かになるかということでした。
市場を介してそれぞれの人が別々の才能を伸ばしていくことで、全体として豊かになる。これがスミスの豊かな国のイメージである。そのためには、それぞれの人の努力が公正に報われなければならない。
『国富論』が教える豊かさとは強国化への道ではありません。弱者も含めた全体(国)の豊かさであって、一部の層(強者)のものや、国民の犠牲(=収奪)の上にたった国家至上というものではありません。アダム・スミスの代名詞ともいう「見えざる手」も単に市場の合理性を主張しているのではありません。
彼は……見えざる手に導かれて、彼の意図のなかにまったくなかった目的[=社会全体の利益]を推進するようになる。(引用された『国富論』の1節)
ですからアダム・スミスは自由放任などということを主張したのではありません。スミスの前には「不公正」「不平等」「貧困」という資本主義の悪・矛盾がありました。スミスはその矛盾を解消し常に弱者を含めた全体の富はどのようにして実現できるかと考えたのです。これが彼の経済学の課題でした。そしてそれを可能する3つの条件を見いだしました。
1.自由競争市場がフェア・プレイに則った競争の場であること、特に資本を動かす人間がフェア・プレイを意識する人間であること。
2.資産を事業に活用するのではなく、貸し出して利益(利子・地代)を得ようとする場合、その行動が資産をよい用途に向けていく助けになり、全体の富裕化を促進すること。
3.強者が弱者を支配せず、相互利益の関係を結び、弱者の側の能力も活かされること。
『道徳感情論』の著者でもあるスミスは経済活動とは「道徳性」や「公正さ」をともなうものでなければならないと考えたのです。これらの条件が満たされないと「悪いお金儲け」が蔓延し、「格差」「不平等」そして「貧困」が生まれてしまう。
ちなみにここで著者のいう「悪いお金儲け」とは「他者などどうなってもいい利潤獲得機械」という経済活動であり、それに対する「よいお金儲け」とは「他者との関係の中で生きる」経済活動のことです。ここにあるのは人間が社会的な存在であり、全体との関連のなかで生きているということです。
著者によれば経済思想史とはスミスの3条件が満たされない時、どのような処方箋(経済政策)を経済学者が考え出したのかという歴史でした。つまり理想を求めて現実的な困難(貧困、格差等の課題)に立ち向かっていった歴史でもあったのです。
スミス同様にミルもまた経済活動にあらわれる「人間性」に着目しました。自由や平等というものも「高度な人格──教養・道徳性・感受性をもった豊かな人間──を形成するための環境(=活躍のための条件)として重要」なのです。自由は市場主義者がシニカルにいうように、貧困になる自由などではありません。そこには共生というものがあります。重要なのは「合理的な経済人」などではなく「人格的な人間による経済活動」なのです。この点では新古典派経済学の祖ともいわれるマーシャルも同様です。マーシャルは「経済騎士道」という言葉でこの人格(=人間性)の不可欠さを訴えました。
古典派経済学・新古典派経済学に異を唱えたとみられるケインズも同様です。ケインズが問題視したのは「金融」が「悪いお金儲け」につながるということでした。
資産の所有者たちのお金儲けは、全体の富裕化の促進とは切り離されている。彼らが利益を得ることと、社会全体の富裕化は関係ない。関係ないどころか、「産業」の価値創造の障害になりさえする。
資産の所有者たちはややもすると「他者などどうなってもいい利潤獲得機械」となると指摘したのです。
著者が大きく評価したのはマルクスです。マルクスの経済学もまた「スミスの示した資本主義の道徳的条件を満たすための試み」であると位置づけ、「ミル、マーシャル、ケインズとの共通性を見出す」というものは新鮮なマルクス観ではないでしょうか。
著者はマルクスの「私有」というものの考え方に着目して刺激的な論を展開しています。この本の白眉とも思える箇所です。著者はマルクスの「所有に関する考察」から、「富の所有(者)」と「富の活用(者)」の分離という観点を打ち出します。富の所有者と富の活用者の分離によってフェアな経済活動をもたらす。そうすれば富の所有者が独善的な利潤獲得機械にならずに全体の豊かさをとしてあらわれるのではないかと……。
所有者が経済の主役から退き、代わりに富を託された者が主役となって責任を果たす。この時「責任(resposibility)」とは、損失負担でも、損害賠償でも、地位の放棄でもない。社会の呼びかけに対して応答(response)できることである。
「富を託された者」は「誇りと自覚」という責任感を持って経済活動を行わなければなりません。スミスの道徳、ミルの人格、マーシャルの「経済騎士道」、ケインズの「金融ではなく産業を」というそれらすべてを統合された視点です。これはこの本の最後で考察される「株式会社の構造」にもつながっていきます。
ところで誤った常識は「市場主義」だけではありません。著者が最後に検討したのは株式会社での「株主主権(株主が支配者)」という考えかたです。「株主主権」にはどのような問題があるのか。著者によれば株主主権には「利益の意味を問わず、それを自己目的化するという限界が」あります。社会的責任の軽視にもつながります。ひとときいわれた「ものいう株主」というものが利益追求の観点しか持っていなかったことが思い浮かびます。
この「株主主権」に対置するのが「従業員主権」です。これを論じた箇所はこの本の結語に関わるものです。「株主主権」「従業員主権」の両者の功罪を検討する部分はじっくりと読み、考えて欲しいところです。ここには未来の資本(主義)の姿があります。
ともあれ経済が人間の活動であるということをこれほど熱く語ったものはありません。経済活動は人間性のあらわれであり、経済活動のとらえ方(経済思想)にはそれを語る人間のありようが色濃く反映されることがよくわかります。
「労働者の権利や安定よりも、資本の自由な利益追求を肯定することが、格差はあっても活力があり、成長が望める経済を作り出す」という誤った論(イデオロギー)にリードされた私たちの「常識」を問い直すという強い意志が一貫している本です。経済活動に不可欠な道徳的側面という重要なことを前面に押し出したこの本ほど経済思想に「はじめて」触れる人に必読のものはありません。じっくり読んでください、経済学が実に人間的な学問であるかということが強く感じられると思います。
- 電子あり
よいお金儲けを促進し、悪いお金儲けを抑制する、それが経済学の本質だ!
アダム・スミス以来の経済学の歴史は、さまざまな悪いお金儲けが力を持ってしまうたびに、それに対抗する手段を講じていくというかたちで展開されてきた。労働者階級が苦しんだ19世紀には、会社のお金儲けのあり方を問い直す経済学が生まれた。庶民が豊かになり、貯蓄をしたい人は多いが、自分で事業を展開する意欲を持っている人は少ないという状態になった20世紀には、貯蓄されたお金を運用する「金融」活動が、社会を豊かにするお金儲けになっているかを問い直すケインズの経済学が生まれた──。
アダム・スミス、ミル、マーシャル、マルクス、ケインズら経済思想家は、現実といかに格闘したのか?
現代における、富の所有者の「利益をあげるべし」という指令と、富の活用者=働く者たちの関係はどのように考えればよいのか?
富の所有者が経済の主役から降りていくという経済学の一筋のストーリーを、本流と傍流を対比させることで描き出す。1冊で経済思想の歴史がわかる決定版入門書、誕生!
レビュアー
編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の2人です。
note⇒https://note.mu/nonakayukihiro
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