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“海賊と呼ばれた男”出光が社内で激論『マルクスが日本に生まれていたら』

マルクスが日本に生まれていたら
(著:出光 佐三)
2018.02.13
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出光佐三、出光興産の創業者で、ベストセラー『海賊と呼ばれた男』(百田尚樹著)の主人公のモデルとなった男です。この小説の中でも「八十歳を越えてからマルクスを真剣に研究した」と描かれていますが、実際に活動した勉強会をもとにまとめられたのがこの本、『マルクスが日本に生まれていたら』です。

出光はマルクスのどこに関心を持ったのでしょうか。なにより日本社会に対する出光の批判があったのです。出光は当時の日本(およそ50年前)をどう見ていたのでしょうか。

維新前の日本は「人の国」であったが、維新後、明治時代に外国の物質文明を輸入し、「物の国」の姿が入ってきて、物質文明が派手で魅力的なものだから、だんだん日本も外国色に染まり出したわけだ。とくに今度の敗戦後は、日本人は腰が抜けてしまったため、完全に外国色一色に塗りつぶされてしまっている。したがって、われわれが日本を考えるときには、現在の日本は「物の国」、外国化している、ということを頭に入れておかないと、大事なものを見落としてしまうぞ。

彼のいう「物の国」とはどのような国でしょうか。それは「黄金の奴隷」になり、搾取と疎外により階級格差が生まれ拡大し続ける国、それが出光のいう「物の国」です。それでも、この本が書かれた頃は今よりもましだったのかもしれません。

現在は資本家も目ざめて社会性を尊重するようになってきているが、その点は、マルクスが資本家の搾取にたいしてたたかったことの功績だと思う。ぼくも日本の金持のあり方に反感をもってたたかってきて、相当の示唆を与えているんじゃないかと思うね。

出光もマルクスも資本主義社会の矛盾への認識は共通していました。マルクスも出光もともに「搾取のない、人間が人間らしく生活できる社会を目標」としていたのです。

マルクスをはじめ多くの思想家が、暴走する資本主義がもたらす弊害を指摘してきました。また当時は資本主義国と社会主義国が対峙してたこともあり、行き過ぎた資本主義を是正しようとする修正資本主義という考えも生まれていました。「社会主義、共産主義の良い所を採れ」という出光の主張が当時は先鋭的なもので強いインパクトがあったであろうことは疑いありません。資本主義の“独善性”にストップをかけることは、出光のいう「社会主義、共産主義の良い所を採れ」という声に呼応する動きでした。

では主発点、理想(到達点)を2つながらともにしたと思える両者を分かつのは何だったのでしょう。

両者のその理想に到達するために描いた筋道は、全く異なるものであった。マルクスは理想の実現のためには階級的対立闘争が不可避であると考えたのに対し、出光佐三は人類愛の上に立った互譲互助、和の道を唱導した。

出光によればマルクスは「『物の国』の国に生まれたから、物の分配をめぐって対立闘争する道を歩かされた」のであって、理想へ向かうプロセス(手法)は同意できるもでのではありませんでした。

では出光は資本主義の矛盾に対してどのように立ち向かおうとしたのでしょうか。それは「物の国」である西欧に対置した“本来の日本”の姿でした。西欧に対置する「人の世界」「心の世界」「和の世界」という日本の姿・文化です。ちなみにこれに対置する西欧の姿は「物の世界」「知恵の世界」「対立闘争の世界」というものです。「心」と「知恵」が対置しているのが特徴です。ここにも出光の独特の世界観が見られます。

「物の世界」の人に、日本人の和の精神とか、人を中心としてお互いに譲りお互いに助け合って仲良く暮らしていく道を、理論や言葉で言ったって、彼らには仲良く暮らしたという体験がないんだから、理解できるはずがない。しかも今度のような大戦争のあとは、知恵ばかりが急速に発達して、心は逆に退廃するのが通例だ。現在、その姿が世界的にはっきり出ている。

間違えてはいけないのは「知恵」を断罪しているわけではありません。資本へ盲従する「知」への警鐘です。「心なくして知恵だけ発達したものは、なにをするかわからない」、「心を忘れて知恵の奴隷になってはいけない」というように、「知恵」のあり方を問題にしているので、知を軽んずるような、また知が感じられない“反知性主義”のようなことをいっているわけではありません。

ぼくが言っていることは、外国色に塗りつぶされている日本人が、一日も早く本来の日本人に帰って、そして日本民族の仲良くする和の姿を、産業界のみならず政治・教育などすべての面に実際に作ってみせることである。

出光はこういう考えをもとに出光商店を起こしました。この組織は「資本家の搾取がなくて、全員が経営者である」という理念を生かしたものでした。いたるところで語られた彼の会社論・会社観はこの本の優れた価値の1つだと思います。

この本が書かれた当時は資本主義と社会主義が対峙し、資本主義も社会主義的なある部分を採り入れることがありましたが、社会主義国の崩壊・退潮とともに世界(資本主義)も大きく変わりました。社会主義国の退潮が“新自由主義”を生み出し、それを世界に猖獗(しょうけつ)させたのです。

維新後、外国の「物の国」の考え方が入ってきて、今度の敗戦によって徹底的に「物の国」一色に塗りつぶされてしまっている。

今の日本はすっかり「物の世界」がを覆い尽くしているようです。“3だけ主義”と呼ばれる「今だけ、金だけ、自分だけ」という「黄金の奴隷」となっている人々があふれ、出光・マルクスが求めた「搾取のない、人間が人間らしく生活できる社会」、「人間が中心となって仲良く助け合い、その団結した力で平和に暮らす社会」はいまだ実現していません。それどころか、出光の頃より大きく後退・劣化しているようにすら思えます。そのような今だからこそ再読される価値のある良書です。

『マルクスが日本に生まれていたら』書影
著:出光 佐三

海賊とよばれた男・出光佐三が、自らの「和」の思想を大いに語り、社員たちと正面から本音の議論を激しくぶつけあった、その熱い記録、ここに文庫化。
社員は家族、非上場でよい、タイムカードはいらない──「人間尊重」を理念に掲げ、出光興産を一代で築いた稀代の企業家は、マルクスの思想は自分と同じ地点を目指していると語った。その理念が、ふたたび読まれる時がきた!

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レビュアー

野中幸広

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note⇒https://note.mu/nonakayukihiro

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