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【最後の秘書が語る】田中角栄は、結局何が凄かったのか?

2016.06.07
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“コンピュータ付きブルドーザー”“今太閤”“金権政治家”“巨悪”“闇将軍”、はては“永田町のカサノバ”までさまざまな異名(あだ名)で呼ばれた田中角栄、戦後最大の政治家として今でもことあるごとに名前がとりざたされています。彼についての書籍も批判的なもの、肯定的=待望論、評価の見直しを迫るものなど数多く出版されています。最近でも石原慎太郎の『天才』が話題になりました。

石原慎太郎といえばロッキード事件のあと、金権政治家・田中角栄を批判し青嵐会を立ち上げた一人です。その人であっても、年月がたって田中角栄の見直しがあったのでしょうか。その『天才』のもと(参考)になったのがこの本です。

田中角栄の元秘書の話というと、角栄贔屓の話とか政界の裏話が書かれているように思われがちですが、この本はそのようなワイドショー=ゴシップのたぐいではありません。政治家として、それ以上に人間としてどのように田中角栄が生きてきたかを実にビビッドに描いています。田中角栄の肉声が聞こえてくるようです。

──オマエと二人三脚でとうとうここまで来たなぁ。(略)大臣には誰だってなれる。党三役はそうはいかない。ましてや、総理総裁はなろうと思ってもなれるものではない。明日車にはねられるかもしれないし、天の味方も必要だ。なりたくないと思ってもならなければならないこともある。──

ポスト佐藤栄作をうけて福田赳夫と総裁の座を争っていた時、角栄が“越山会の女王”とよばれた佐藤昭と交わした言葉です。ここにあるのは自分の使命と天命の自覚、そしてそれを目指す努力と克己であり、ともに歩むものへの感謝と励ましがあふれています。

この本が一貫して追っているのは田中角栄の“心情”です。それがどのように現れているのか……、
──私が田中角栄だ。小学校高等科卒業である。諸君は日本中の秀才代表であり、財政金融の専門家ぞろいだ。かくゆう小生は素人だが、トゲのある門松は、諸君よりいささか多くくぐってきている。いささか仕事のコツは心得ているつもりである。私はできることはやる、できないことは約束しない。これから一緒に国家のために仕事をしていくことになるが、お互いが信頼し合うことが大切である。従って今日ただ今から大臣室の扉はいつでも開けておく。事務次官ばかりでなく、今年入省した若手諸君も、誰でも我と思わんものはなんでも言ってきてくれ。上司の許可を取る必要はない。思い切り仕事をしてくれ。しかし責任のすべてはワシが背負う。以上。──

これは大蔵大臣(現財務大臣)就任時に大蔵官僚を前にした着任演説の一節です。角栄の本領が遺憾なく発揮されています。人心掌握は文字通り“心”をもって相手の“心”をつかむことなのでしょう。相手を利用するというせこい了見ではなく、相手の心をつかみ、自ずから力を出すようにさせるということが、実は相手をよく使うことになるということがみてとれます。と同時に“情の人”という側面を見せることで、相手を引きつけるという角栄の魅力があることがわかります。これと対極にあった人物が“バルカン政治家”と呼ばれた三木武夫でした。三木元首相はどのような政治家だったのか。あとがきで安倍晋三首相との類似性に触れてこう語っています。

──使っちゃいけない最高権力者の“クスリ”を三木が使い、安倍も使った。三権の上を行く最高権力者の意志でどうにでもなるんだと。ある意味、まやかしをやったんだよ。──

三木武夫はロッキード事件で「政権延命」のために「日本の刑事訴訟法にない嘱託尋問という禁じ手」を使って角栄の追い落としをはかり、また安倍総理もまた「政権延命」のために「最高権力者の意志でどうにでもなる」という“クスリ”を使ったのです。それは政治的な暴走です。

それはともあれ、この本の強い魅力は田中角栄の“心と情”をはっきりと打ち出したところにあると思います。他の角栄本と一線を画しているところです。佐藤昭とのこと、その家族に向けられた角栄の“心と情”は胸に迫るものがあります。佐藤昭へあてた短い“ラブレター”を始め、娘を気づかう親としての角栄の気持ちが胸を打ちます。

もちろんそれだけにとどまらず、角栄が引き上げた政治家、小沢一郎、後藤田正晴たち、秘書たちに対しても、時には政敵にすら“情”をかけてきた姿がこの本ではいたるところに描かれています。だみ声の裏に、細やかな神経を持っていた希有の政治家でした。

その一方で、政治家の決断の勇も感じさせる人でした。それまでの佐藤栄作の“待ちの政治”に倦(う)んだ国民に“決断と実行”をとなえる角栄の姿勢は国民にきわめて新鮮に受け止められたのです。これも角栄ブームを作った一因となりました。

実行された政策は、国内では列島改造、外交では日中国交正常化、独自な“資源外交”と目まぐるしいものでした。けれど、日本の地方の発展を意図したであろう列島改造は狂乱物価を生み、資源外交はアメリカの強い反発を招いてしまいます。(このアメリカの反発がのちのロッキード事件につながっているという説があります)

読んでいるとふと思います、ブームを巻き起こした1972年7月の総理就任から1974年12月の退陣までの2年半の在任期間のうち角栄の真価が発揮できたのは一体どれくらいあったのだろうかと。1973年には物価が急上昇し、1974年には『文藝春秋』に「田中角栄研究」「淋しき越山会の女王」が掲載され、反角栄の動きが顕在化するようになりました。

この本の後半は角栄の無念の胸の内、それを支えた佐藤昭たちのことが語られています。追い打ちをかけるように現れたロッキード事件……。無罪判決を勝ち取るべく奮闘する角栄ファミリー。そしてお膝元の田中派内部での二階堂進擁立騒動、さらには竹下登(もはやDAIGOのおじいちゃんと言ったほうがわかりやすいかもしれません)の造反劇と追い詰められた角栄は後退戦を戦う中、病に倒れます。田中ファミリーもその終焉へと向かっていきます。

岸信介、池田勇人、福田赳夫、三木武夫、大平正芳、中曽根康弘、宮沢喜一、竹下登、小沢一郎、羽田孜等々多くの政治家がこの本に登場しますが、その誰もが角栄とのスケールの差を感じさせます。それは決して朝賀さんの身びいきではないと思います。その解く鍵は、やはり佐藤昭、その娘に向けられた角栄のあまりにも人間的すぎる情愛にあるのではないかと思います。政治家であると同様に人であろうとし、故郷への思いを忘れずに政治家となった原点を失っていなかった、そう思える個所がこの本のいたるところにあります。

こんな言葉が残っています。
──経済成長があまりに高いときには、力のあるものがますます伸び、格差が拡大する傾向にあり、逆に景気が後退するときには、これまた優勝劣敗が顕著に現れ、格差が拡大するものであります。──

1962年の代表質問での言葉です。高度成長期のまっただ中でこの見識を有していた政治家はほかにはいませんでした。田中角栄が戦後最大の政治家と目されるゆえんです。その等身大の姿を知るうえでも今読まれるべきものだと思います。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。政治経済・社会科学から芸能・サブカルチャー、そして勿論小説・マンガまで『何でも見てやろう』(小田実)ならぬ「何でも読んでやろう」の二人です。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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