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「安倍晋三のDNA」岸家と安倍家、血脈と意識の落差

2016.03.14
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安倍晋三というよりも〝岸晋三〟とでも呼びたくなるほど、祖父、岸信介の影響が強い安倍晋三総理の政治方針ですが、なぜそうなのかが腑に落ちるノンフィクションの傑作です。

『絶頂の一族』とは岸信介、岸洋子(安倍洋子)、安倍晋三の3代を中心とした血族のことですが、むしろ興味深いのはその〝岸家〟の流れではなく〝安倍家〟の流れです。「安倍晋三は母方の祖父・岸信介の面影は事あるごとに口にしてももう一人の祖父・安倍寛についてはほとんど触れることはない」とのことですが、このもう一人の祖父とはどのような人だったのでしょうか。

安倍寛は「金権腐敗を糾弾し、終始一貫、戦争にも反対を続けた」政治家でした。翼賛選挙と呼ばれた東条内閣時の総選挙でも「東条の戦争遂行に一貫して反対」し軍部ににらまれながらも「無所属・非推薦」で立候補し、当選した反骨の政治家でした。この選挙では警察の干渉が激しく、昼夜の尾行、子息の安倍晋太郎への尋問などの選挙妨害が平然と行われたのです。開戦時(この翼賛選挙時も)の東条内閣で商工大臣だった岸信介とは全く違った道を歩んでいた政治家といえるでしょう。寛は「人に感謝し、〝人に祈る心〟がなくては人間はダメだとよく言っていた」と伝えられていますが、敗戦後の第一回総選挙の準備中に病死してしまいます。

安倍晋太郎は「岸の女婿」としばしば呼ばれていましたが、義父の岸信介よりも安倍寛を政治家として尊敬していたようにうかがえます。

──晋太郎は岸の後継者になるために洋子と結婚したという意識はないのに、洋子は後継と受けとめていた。岸も満足していたという。この微妙な意識の差は大きい。後に息子の晋三が、父の晋太郎や祖父・安倍寛の功績や足跡を語ることがほとんどなく、最初に岸信介ありきで家系を語るのも、この晋太郎と岸家の血脈を巡る意識の落差が影を落としたと言わざるを得ない──(本書より)

とはいっても晋太郎が岸の実力を認めていたことはいうまでもありません。岸の秘書官になったのが政界への第一歩となったのですから。

〝安倍〟の姓ではありませんが、この本に興味深い人物が描かれています。晋太郎の異父弟、晋三の叔父にあたる西村正男(みずほホールディングス元会長)です。晋太郎の生後まもなく母親は安倍寛と離婚し、西村家へ嫁いで生まれたのが西村正男です。彼もまた安倍寛と同様に非戦、平和を主張していました。そして、小泉総理の靖国神社参拝を擁護した安倍晋三官房長官に対して「晋三はあの侵略戦争がわかっていない。晋三は靖国神社参拝へのアジア諸国の反発に対し『心の問題だ』と言うが、犠牲者が三百万人だろうが、一人だろうが、侵略は侵略だ。歴史的事実を踏まえてけじめをつけなくてはいけない」と激しく批判していたのです。「晋三は昭和史を知らなすぎる。歴史から学んでいない。政治家の言葉は重いものだということをもっと知るべきだ」とも。西村は死の直前の東京新聞のインタビューでもこの考えを変えることはありませんでした。それを〝遺言〟のように残していったのです。

西村は晋太郎にはとって、たったひとりの弟であり同志であり、数少ない心の許せる人間だったのでしょう。この本では、西村の章に続いて晋太郎のもうひとつの〝心の許せる〟世界を追っています。その世界で晋太郎がどのような素顔を見せていたのかは謎につつまれていますが……。

この〝安倍〟の流れは『絶頂の一族』の裏面史となっていますが、では〝正史〟はどうなっているのかというと、岸信介の政治信条・手法をなぞり繰り返しているようにしか見えません。安倍洋子がこんな言葉を語っています。「政策は祖父似、性格は父似」と。けれど第二次安倍内閣発足後は〝性格も祖父似〟になってきているように思えるのですが。

60年安保時のような重要法案の強行採決、憲法改正への執念等、岸信介がのりうつっているかのような行動が安倍総理には見られます。岸信介が旧満洲国の行政官僚として辣腕をふるっていたことはよく知られていますが、現政権の行政権力の肥大化もそれにどこか通じるところがあるように思えます。

日本国憲法について岸信介はこう語っていました。「私が戦後の政界に復帰したのは日本立て直しの上において憲法改正がいかに必要かということを痛感しておったためなんです」と。日本国憲法が成立した時、岸は獄中にいました。日本国憲法の成立過程に立ち会っていない「岸にとって新憲法は戦勝国アメリカから押しつけられたものという認識」でしかありませんでした。

アメリカ軍から獄中で苛酷な待遇を強いられていた岸にアメリカはどう映っていたのでしょうか。獄中で「大東亜戦争を以て日本の侵略戦争と云ふは許すべからざるところなり。之れ事実を故意に歪曲するものなり」と記していた岸はなぜ釈放されたのでしょうか。興味深い記述が引かれています。

──米国とソ連が仲良くしているころは、いつクビをはねられるかと心配していたが、米ソの間の仲が悪くなってからは、そんなことを心配する必要もなくなった──(『昭和の妖怪 岸信介』より引用)

リアルな政治感覚ともいえますし、国家利益のためなら手段を選ぶべきではないというマキャベリスト政治家の面目躍如たるものがあります。また、アメリカへの対抗心もうかがうことができます。それはアメリカの占領行政批判や一連の60年安保をめぐる動きでも感じ取れることができます。

ここでふとこんなことを想像してしまいます。旧満洲国という〝傀儡(かいらい)国家(植民地、占領地)〟で岸信介たち指導者層が行った植民地行政と同型のものをアメリカの占領行政に見ていたのではないかと。日本が宗主国であった旧満洲国、アメリカが宗主国であった戦後日本、岸の目にはどちらも独立国家とは考えられていなかったのではないかとも。

岸信介の亡霊に縛られているのが今の安倍政権に思えます。そこに浮かび上がってくるのがこの本の本来の主人公である安倍洋子の存在です。彼女が手放さない〝岸家〟のこだわりが「およそ現実の世界や社会とは無縁の、「脱占領」という岸の遺した怨念が亡霊のように現れている」(薬師寺克行、本書解説より)という事態を日本にもたらしているのです。けれどこれこそが未完成な国家・日本のあかしのように思えるのですが。

「おじいちゃんを褒(ほ)めれば、お母さんが喜ぶ」という一文がこの本の中に記されています。ファザコン、マザコンというように事柄を矮小化するつもりはありません。けれど、そのようなことも含めて、家業と化した政治家たちが日本の政治・言論空間を歪ませてきているようにも思えます。その時〝家庭内野党(安倍昭恵)〟の存在もまた大きな意味を持ってくるのかもしれません。安倍昭恵総理夫人の章のインタビューもとても興味深く読めると思います。安倍総理の根幹を知ることができる好著です。

レビュアー

野中幸宏

編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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