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ヒトラー「成功」の正体。すべてを賭けて手に入れた法律とは?

ヒトラーとナチ・ドイツ
(著:石田勇治)
2016.02.05
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●パンドラの箱を開けた全権委任法

「国民および国家の苦境除去のための法」、これがヒトラー(ナチ党)が制定した「全権委任法」ともよばれる「授権法」の正式名称です。この法によって立法権は政府に託されることになりました。

「首相は国会審議を経ずにすべての法律(予算案を含む)を制定できるようになる。近代国家を特徴づける権力分立の原則が壊され、行政府の長=首相への権力集中がなされる。しかも政府には 『憲法に反する』法律を制定する権限までも与えられ、憲法を改正したり、新憲法を制定したりする必要もなくなる」というものです。そしてこれこそが「ヒトラーがすべてを賭けて手に入れたかった」ものでした。

ヒトラーはこの授権法に基づき矢継ぎ早に法を制定します。死刑執行法、政党新設禁止法、国会を無力化するための国民投票法などが施行されるようになりました。この国民投票法の危険性について石田さんはこう記しています。「これで政府は自らが求める法案や措置を国民に直接、国会を介さずに問う手段を得た。何をどのタイミングで国民投票にかけるかについて規程がなく、国民の大多数の賛成が見込まれる案件をめぐって政府が国民投票を実施できるようになった」と。それが国会(議論の場)の空洞化をもたらし、悪しきポピュリズムの温床を生むことになったのです。

さらに授権法の行使で「憲法で保障されていた、国民が自由に安心して暮らすための最低限の基本的権利、すなわち人身の自由、住居の不可侵、信書の秘密、意見表明の自由、集会の自由、結社の自由などの権利も損なわれてしまった」のです。ヒトラー独裁の道は確実に進んでいきました。

石田さんはこう問いを発します。「なぜその途中の過程で、人びとは反発しなかったのだろうか」と。それは国民の大半が「『非常時に多少の自由が制限されるのはやむを得ない』とあきらめ、事態を容認するか、それから目をそらしたからである。とりあえず様子見を決め込んだ者も、大勢いた」のでした。それが悲劇と恐怖を生むことにつながっていくとは、ほとんどの人は気がつかなかったのです。

授権法を手に入れてからわずか6ヵ月でナチ党の一党独裁体制は完成します。さらにヒトラーの総統就任でナチ体制は確立されました。「この間、ヴァイマール共和国憲法は改正されることなく形骸と化し、見せかけ上の合法性のもとで国家と社会のナチ化」が進んでいいきました。もっとも20世紀の民主主義憲法の典型とされるヴァイマール憲法も「ヒトラーから見れば、ヴェルサイユ条約だけでなく、ヴァイマール憲法も、第一次世界大戦に敗れた結果、不当に押しつけられたもの」なのだと考えられていたのです。

大国(強国)ドイツを目指してヒトラーは国内、国外へさまざまな施策を打ち出します。失業対策、失った領土の回復等、それらの政策に国民の支持を得ようとして持ち出されたのが「民族共同体」というスローガン、理念であり、国家の生存のために「生空間」が必要なのだという主張でした。この「『生空間』は、『大ゲルマン帝国』が欲する食糧・原料・労働力を提供する場であり、そこにユダヤ人に居場所がないことは明らかだった」のです。そしてこの果てにユダヤ人の大虐殺(ホロコーストあるいはショアーと呼ばれています)が起こりました。それは優生思想(人種衛生学)による差別、偏見に始まり、戦争の推移によって「未曾有の集団殺害=ナチ・ジェノサイドへの扉を開い」ていったのです。この経緯の論述は大虐殺がなぜ起きたのかに新たな視点をもたしているように思います。

●ヒトラーはなぜ民衆に受け入れられたのか

この本の特筆すべきところはヒトラーの強権的政治を断罪するだけで終わらず、どのようにして「国民の歓心を買うべく経済的・社会的な実利を提供したか」を詳細に追い、「民族共同体(フォルクスゲマインシャフト)」という「情緒的な概念を用いて『絆』を創り」出していったかを視野に入れてナチ時代をとらえなおしているところにあります。

ヒトラーの国内政策(景気対策、失業対策)としてアウトバーンの〝成功〟ということがしばしば取り上げられています。けれどアウトバーンが実際はヒトラーの考案物ではありませんでした。彼が首相になる前に建設が始まり、一部は開通していたのです。しかも「一般の人びとの利用度はきわめて低かった。軍事的にも重量車両の走行には適さず、戦時下で一部の区間が滑走路代わりに使用されたに過ぎない。自動車道としての交通量が余りに少なく、四三年夏には自転車の通行が許されたほど」でした。それがアウトバーンの実態だったのです。

ここにも大きな教訓が潜んでいます。なぜ今でもアウトバーンとヒトラーが結びつけられて記憶されているのでしょうか、しかも〝成功〟として……。工事の着工はヒトラー以前でしたが、彼は失業対策と同時に、この工事の従事者をフォルクスゲマインシャフトの担い手として大々的に称揚したのです。ナチのプロパガンダの影響が「この時代の『公的記憶』の核となって、戦後にまで引き継がれ」てアウトバーンの〝成功神話〟となっているのです。

ヒトラーとナチ党の歴史が今の私たちに教えてくれることは数多いと思います。得票率が33.1%、議席も3分の1ほどだったにも関わらず首相になれた(させたのはヒンデンブルク大統領ですが)のを好機として、一挙に権力の拡大と集中ができたのは「全権委任法」の制定が大きかったのです。また第一次世界大戦の敗者としてさまざまなものを勝者から押しつけられた(ヴァイマール共和国憲法までも)というルサンチマンをバネにして国民に一体感(民族共同体)をもたらそうとした……。今でも私たちの周りに同じような言説・行動をする人たちが見うけられます。

この「全権委任法」はもともとは時限立法でした。けれどナチ党の一党独裁のもとで有名無実化し、ドイツの敗戦まで施行されていたことも忘れてはならない歴史の教訓だと思います。国会が機能不全となったもとではすべての法は、行政権力下に置かれてしまうのです。〝殷鑑遠からず〟という言葉が浮かんできます。私たちが学ぶべきものはいつも歴史にあるということを改めて痛感させられます。未来を考えるためにもぜひ読んでほしい一冊です。

ところで、ドイツで長い間禁書となっていたヒトラーの著作『わが闘争』が今年(2016年)出版されました。それはどのように受けとめられていくのでしょうか……。

レビュアー

野中幸宏

解明編集者とデザイナーによる書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。

note
https://note.mu/nonakayukihiro

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