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ぼくらのサイテーの夏

ぼくらのサイテーの夏
(著:笹生陽子)
2014.08.14
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子どもって、まだ幼くて、大人に守られる存在?

そんな考えはあっという間に吹っ飛んじゃうくらい、この作品に出てくる小学生はたくましい。実は子どもって、大人の知らないところで、いろいろ悩んだり考えたりしている。毎日いろんなことと戦っている。そう、子どもだって大変だし、楽じゃないんだぞ。この作品を読んでいると、そんなことに改めて気づかされる。

そう、子どもだって大変だ。
もしかしたら、世間の人は勝手に色々なことを言うかもしれないけど、大人は大人で、いろいろ事情はあるだろうけど、子どもは子どもなりに、いろいろ考えて頑張っている。この作品は、そんな子どもの事情や微妙な心の揺れを、ぼく(桃井)の視点で描いていく。

それは1学期の終業式。
ぼくは、仲間との遊び「階段落ち」ゲームで骨折したことにより、その危険なゲームをやっていたことが先生にばれて、夏休みのプール掃除を命じられる。そして、そのゲームの対戦チームの一人だった栗田も、ぼくと一緒にプール掃除をやることに。
どう考えても二人だけのせいではないけれど、気が付いたら二人の「ぼくらのサイテーの夏」が、灼熱の夏のプールを舞台に、幕を開ける。

最初だけ調子よく顔を出した仲間も、あっという間に顔を見せなくなり、最初は「嫌なヤツ」と思っていた栗田に対し、ぼくはだんだん心を開いていく。そこに、なんともいい味を出して「おやじ先生」が、からんでくる。

ぼくには実は、困った「あにき」がいる。

小さい頃はとても優秀で、ぼくの出番なんてないくらいカンペキだったあにき。そのあにきが、いつのまにか学校に行かなくなり、部屋に引きこもり、時に暴れるようになった。そのおかげで、ぼくの地位はちょっと上がって、お母さんもぼくを頼りにしてくれて嬉しいけれど、お母さんが哀しむ顔は見たくないし、やっぱりこれってフツーじゃない。おまけにお父さんは、単身赴任中。と言うわけで、わが家はちょっと複雑だ。

そして、ぼくのプール掃除のパートナー、栗田の家も何だか複雑だ。夜中に散歩に連れ出していた妹「のぞみちゃん」のこと、そして、大きな家と帰ってこないお母さん。

そんな風に、子どもだって、それぞれいろんな事情を抱えながら、毎日生きている。大変だけど、疲れちゃうけど、でもやっぱり生きていかなくちゃって、そういう感じが、実は大人だけではなく、子どもの世界にも存在しているのだと言うこと。

そんな夏のさなかに、小さな出来事が動き出す。

生まれつき、「聞こえるくせに聞こうとしない、見えてるくせに見ようとしない」のぞみちゃんの病気が、どんな病気かは良く分からないけれど、ぼくのあにきが、なぜかのぞみちゃんの心を捉えていくのだ。「のぞみちゃん」がもしかしたらそうであるように、「あにき」もまた、きっと心の傷を抱えている。自分の痛みを知る人は、誰かの痛みにも敏感なのかもしれない。
大人はよく子どもに、「人に親切にしなさい」とか、「人に優しくしなさい」とか言うけれど(多分私もそんな大人の一人だけれど、まして教師だったりするけれど)、それは人に言われてすることではなくて、自分が誰かに優しくされたり、自分がとても苦しい体験をして初めて、気づいていくことじゃないかなって。

そして栗田の元に、とんでもない事件が起きるのだけれど、そんな困難もまた、栗田はそのたくましさで乗り越えていくのだろう。
ぼくと栗田のあいだに芽生えた友情や信頼関係も、実はそういった二人のちょっと辛い体験が、お互いを強くし、惹かれ合うものを作りだした結果かもしれない。

辛い体験は嫌だけれど、優しくなるための試練なら、人として成長するための通過儀礼なら、それも悪くないなあって、ふと想った。

すっかり忘れていたけれど、「おやじ先生」の関わり方が秀逸だ。
過保護ではなく、上から押しつけるのでもなく、そっと見守る。
私も、そんな大人でありたい。

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レビュアー

有山裕美子

1964年、東京都武蔵野市生まれ。小学校教員、公共図書館職員を経て、現在は、工学院大学附属中学校・高等学校の専任司書教諭として勤務する傍ら、2つの大学で、司書教諭課程の非常勤講師を勤める。絵本作家のモーリス・センダックをこよなく愛し、日本一のコレクターを自負するが、真偽のほどは定かではない。

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