「子どものころうたった歌は、そのころの空気といっしょに密封されていて、ちょうど缶の蓋を開けたときのように、その時代のいろんな時間などといっしょになってもどってくる」
安野さんの水彩画とともにその空気が紙面から立ち上ってきます。山が、海が、静かな佇まいを感じさせる町並み、田園風景……それは私たちの営みそのものが投影されているものでもあります。
それらの絵のイメージをふくらませた42曲の歌、そして安野さんの随筆で織りなされた世界、それらは〝気息〟という言葉を思い起こさせます。ちなみに〝気息〟とはギリシャ哲学でいう人間生命の原理、プネウマの訳語としても使われています。
42曲プラス1(プラスの1曲は安野さんの新作歌詞です)には安野さんの少年時の思い出、友人の面影等が綴られていますが、ふとこんな1文が目にとまりました。
「「意味の分からぬことを、子どもに教えても無理だ」という考えがあるが、子どもにわかる言葉だけで教育できる方法があるだろうか。子どもにわからぬことを教え、彼等を未知の世界に案内することが教育ではなかったか」
文語文の音の響きの味わいに触れた後の安野さんの思いです。けれどその味わいを感じられることも少なくなっていっているようです。
「戦前、炭鉱は大変な慌ただしさだった」。戦後もまた「石炭を大量に必要とするほどの軍需産業は消えたが、かわりに、戦後復興のエネルギー」となった石炭も時が移り石油の時代となり多くの炭鉱が閉山されていくようになりました。「盆踊りの曲として全国のあちこちで愛唱」された炭坑節も今では「哀愁を帯びて聞こえてくる」ようになりました。
「賞味期限というものはなくて、本当は封印などせずに、紙袋などにいれてそこらに投げておいても、傷んだり腐ったりはしない」はずの〝気息〟もまたいつの間にか変わってしまうものなのでしょうか……。
「歌をテーマにして絵を描くたび、歌がうたい継がれていつまでも残っていくことを願わずにはいられなかった」
サンクトペテルブルクの教会(『カチューシャの唄』より)はまだそのままで建っているのでしょうか、デンマークの古い町並み(『聖夜』より)は静かに雪につつまれているのでしょうか。そして日本の風景たちは今どのような姿を私たちに見せているのでしょうか。
収録された歌たちは今もどこかでそのメロディーを奏でているのでしょうか……。
私たちには〝継いでいくものがある〟という安野さんの静かな決意といったものが感じられる繪本です。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。