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謎の多い徳川慶喜が目指したものはなんだったのか。
江戸思想の研究や史論に精力的な執筆活動を続けている野口さんが徳川慶喜に正面から挑んで書き上げた評伝です。
渋沢栄一の評伝『徳川慶喜公伝』 『昔夢会筆記―徳川慶喜公回想談』などがあり、また小説やドラマでも数多く慶喜は描かれていますが、どうも最後の将軍・徳川慶喜がいったいどんな人物だったのか、そのイメージがはっきりしないと感じているかたも多いと思います。
将軍継嗣問題が起こった頃までは、英邁で、屋台骨が揺らぎ始めた江戸幕府を立て直すのは慶喜以外にはないといわれるほどでした。父親、徳川斉昭は身びいきもあるでしょうが福井藩の松平慶永(春嶽)、薩摩藩の島津斉彬、土佐藩の山内豊信(容堂)、宇和島藩の伊達宗城といったいわゆる幕末の四賢侯がそろって慶喜の資質に惹かれ将軍職を継ぐように働きかけたのですから確かに優れた人物であったとは思うのですが……。
この将軍継嗣問題は大老に就任した井伊直弼により徳川家茂が14代将軍職を継ぎ、慶喜たちは直弼の強権により蟄居・謹慎等の重い処分をうけ、ひとまずは表舞台から去ることになりました。その後、桜田門外の変で直弼が暗殺されると慶喜たちは復権し幕末の動乱の表舞台に再度登場することになるのです。
歴史の表舞台といっても将軍後見職を含めても慶喜が活動したのは15代将軍職を辞するまでのわずか5年間に過ぎません。しかもこの5年間は、第2次長州征伐の敗戦処理と大博奕のような大政奉還、そして鳥羽伏見の敗戦についやされた年月でした。国内戦争では慶喜に利することはほとんどなかったといっていいと思います。結果だけで見てみると慶喜の英邁さとは何だったのだろうかとさえ思えます。
もちろん慶喜の謹慎がなければ日本はさらに大きな内戦や外国の干渉・支配を受けることになっていたかも知れません。(春秋の筆法のような気もしますが)そして慶喜は長い沈黙生活に入ります。
なぜ慶喜は自分の資質を生かせなかったのでしょうか。野口さんはその大きな要因として慶喜が股肱の臣を持たなかったことに求めています。かつて徳川吉宗が将軍職を継いだときは紀州から多くの臣下を連れてきました。慶喜はもともと水戸家から一橋家へ養子にいった身です。その時からすでに信頼できる家臣はいなかったというのです。
慶喜には不運ではあったのですが、彼の才覚を生かし支える股肱の臣は初めからいなかったのです。慶喜を支えるものがいないまま歴史に参加させられたのです。慶喜の意思を実行する人物を持たなかった彼には政治は単なるゲームのようにしか思えなかったし、あたかもゲームプレイヤーのようにしか政治の舞台に出られなかったのかもしれません。そこにも慶喜の悲劇があったのではないでしょうか。
けれど“徳は孤ならず必ず隣あり”(『論語』)という言葉が真理だとしたらやはり慶喜に才はあっても徳はなかったということにはなるのかもしれませんが。
ところで、謎の多い徳川慶喜を描いた野口さんのこの本のあとがきは必読です。(もちろん後書きだけ読んではいけませんが)野口さんの憤怒の表情がうかがえるような一文なのです。いまの日本の“明治維新ごっこ”の流行に対する野口さんの鋭い批判、指摘は首肯する人も多いと思います。それどころか、いまや日本は野口さんの懸念を越えて“明治維新ごっこ”よりももっと問題が多い“富国強兵ごっこ”にふけっているようにすら思えるのですが。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。
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