日本でも研究者だけでなく幅広い読者、ファンのいる兵法書『孫子』。三国志の英雄の一人、魏の曹操も注釈書を書くほどに愛読したといいます。司馬遷の書いた史書『史記』によればその著書を残した孫子と称される人物は二人いるといいます。一人は春秋時代の呉の将軍孫武、もう一人はその子孫で戦国時代に済に使えた将軍です。もっとも、いまでは兵書『孫子』の著者は孫武ではないかと考えられているようです。
さて、孫子の著者はほぼ特定できたといっても、その孫武の実像について書かれたものはほとんど残っておらず、どのような人物だったのか詳細は分かっていません。そこで海音寺さんは残されたわずかな資料と大胆な想像力で孫武を描き出していきます。
その像とは……勇猛で大胆な将軍……などではなく、なんとも穏やかな村夫子然とした男でした。でも、闘いがあればどんな遠くの戦場でも赴き、誤解をおそれずにいえば旺盛な好奇心もあって、その戦闘を観察し多面的に分析するきわめて論理的な男です。
もっとも妻にしてみれば、そんな夫は戦争の分析に夢中になるだけの家庭を顧みないただの道楽者だと思っています。もともと男がやらなければならない家の仕事を押しつけられた妻は夫への不満をつのらせるばかりなのです。
妻にしてみれば夫が仕官であれなんであれ家をあけるなどもってのほか。しかも夫は根っからの恐妻家。妻に比べれば戦場なんて恐れることはありません(?)。そんな夫婦の描き方には海音寺さんの持つ絶妙なユーモアがあふれ、まるで隣町に住んでいるおじさんのように孫武のことを私たちに感じさせます。
この孫武を歴史の舞台に引き上げたのは、楚から呉へ亡命した男、伍子胥でした。奸臣にだまされた楚王によって親兄弟を殺された伍子胥は楚への復讐に取り憑かれ呉王に楚への侵略・征服を必死に説くのでした。そんなとき子胥は孫武のことを聞きつけ会いに出かけます。
戦術、戦略に対する孫武の分析力と知力に圧倒され、惹かれた子胥は遠慮がちな孫武に兵書を書かせ、呉王に献じさせます。子胥は孫武の将軍登用を謀ったのです。献じられた兵書を一読してその内容に感心した呉王は孫武の登用を決心します。孫武は王の命とならば仕方がないと任官しますがもちろん妻はちっとも喜んでくれません…。
一方、登用された孫武は持ち前の知略を生かしさまざまな戦闘で将軍として活躍し王の期待に応えていきます。それでも夫の武勲に妻は一顧だにしません、かえって戦争に明け暮れ家を留守にする夫への不満は日ごとにつのる一方でした。将軍として過ごした数年を経て、数々の戦闘に勝利をもたらし勲功を立てた孫武でしたが、彼の頭に残っているのは分の引き際というものでした…。
個性あふれ激しく生きる中国古代の人物たちを描きあげながらも、その中で著者は引き際の見事さができた孫武の生き方にある畏敬の念すら感じているように思えます。
もう一人の孫子については武と異なり、同門のライバルに罪を着せられ投獄されながらも脱獄を果たし、ライバルへの闘争心をむき出しにして生きていく。著者はその激しい生きかたを情熱をこめて綴りあげています。
レビュアー
編集者とデザイナーによる覆面書籍レビュー・ユニット。日々喫茶店で珈琲啜りながら、読んだ本の話をしています。