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わけあって消えた乗り物・街並みも! 懐かしい昭和の街角写真に見る時代の痕跡

2024.10.18
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昭和の街角へタイムトリップ

ほんの数年前まで毎日見ていたはずの看板や建物がいつの間にか消えている。しかもそれが何だったのかを思い出すのが難しかったりする。毎日そこで生活し、せっせと歩いていると、頭の中にあるかつての景色が、いま目の前の景色に上書きされてしまうのだろう。

ただ、当時の写真を眺めると記憶が勢いを取り戻すのだ。そうだったそうだった、あの角に家電屋さんがあって、そこから見上げると大きな看板があったっけ、と。

『写真は語る 電車・バスが走る 昭和の街角風景』は昭和30年代、40年代、50年代の街並みや乗り物を当時の写真から深掘りしていく本だ。26枚の街の表情がどんどん変わっていくさまがわかる。しかもそこに暮らす人なら、たとえ当時まだ生まれていなくても、そこがどこなのかをちゃんと知っているのだ。

たとえばこちら。思わず声が出た。


昭和44年の東京都世田谷区三軒茶屋! 昭和40年代にはまだ首都高の高架はなく、大きなカラオケボックスもないが、三角地帯はこの頃からちゃんとあるんだ……! ページ右上でこの写真の見どころポイントを確かめていくと、昭和44年と令和6年の三軒茶屋は全然違うのに、かすかに「覚えている」ような錯覚に陥ってワクワクする。そして三茶の街を走るプリッと丸い路面電車がとても気になる。

この路面電車について本書に語っていただこう。

そんな三茶も、半世紀以上前は路面電車が走っていた。二子玉川園(現在の二子玉川)と渋谷を結んでいた東急玉川線で、京王線の下高井戸から延びていた「下高井戸線」と呼ばれる支線が合流する写真の周辺は戦後、ヤミ市に始まり、多数の商店や映画館が林立するようになった。
線路は、写真の右から左へカーブしている手前のものが二子玉川方面へ延びる玉川線、その上の奥へカーブしている線路が下高井戸方面へ延びる下高井戸線で、写真では電車の背後に下高井戸線の停留所が見える。

1枚の写真を手がかりに、昭和44年の三軒茶屋がどんな様子であったかをどんどん説明していくのだ。走り抜ける車や看板の文字一つすら面白い。三軒茶屋の駅から地上に出るとすぐに目に入る「チヨダ靴店」は昭和44年にはもうあっただなんて!

本書は「乗り物」への愛がとても深いので、玉川線の丸い電車の描写が微細で、玉電の特殊仕様ぶりも大変わかりやすく、しみじみと楽しい。乗り物好きならウンウンうなずいてしまうだろう。

さらに時をさかのぼると、こんな風景に出合える。


こちらは昭和38年の深夜の晴海通り。何やら工事中?

ここは、東京オリンピックの開催までに完成を目指して工事が進められていた営団地下鉄日比谷線の現場だ。工事は地面を掘り返して行うため深夜に限られ、ビルの灯はごくわずか。(中略)オリンピック前の東京はこうして各所で突貫工事が行われ、人々が眠りについている間も着々と変貌を遂げていた。

57年後にもオリンピックをやったんですよ! ……なんて声をかけたくなる。そして写真右で西銀座デパートを見つけて腰が抜けるかと思った。今も現役で営業している古き良き立派なショッピングセンターだ(とても大きなサンリオショップがあるのでよく行きます)。

さらにこちらの写真を深掘りすると日比谷線の成り立ちと当時の開発のダイナミックさが伝わってくる。

写真は日比谷線全通の1年ほど前に有楽町から銀座4丁目方面を写したもの。都電の軌道敷が復元されているので、未明に撮られたものだろう。都電の軌道敷を剥がしてまで面倒な工事を行ったのは、戦前から都心部に張り巡らされてきた都電の路線下に敷設すれば、地下鉄への移行に混乱を来さずに済むことに加えて、都電の長年の乗降データを活用できるというメリットがあったからで、実際、日比谷線は都電ルートと重複する区間が実に多い。

日比谷線の路線から昭和が透けて見えるようだ。

昭和30年代の章では新幹線やブルートレインも登場する。どちらも素晴らしい写真なのでぜひ手に取っていただきたい。車窓から見える銀座のネオンや乗客の後ろ姿、そして街を行き交う人の姿を一つ一つ指でなぞって追いかけたくなる。

さて、昭和30年代、40年代の次は昭和50年代だ。少しずつ「今」に近づいてるが、やはり昭和。タイムトリップ感ばつぐん!


こちらは昭和51年の宮城県仙台市の仙台駅前。この年の4月に廃止された仙台市電循環線の姿を残す貴重な写真だ。ここでも角張ったボディの車や犬を連れて歩く人の姿をじっと見てしまう。フジカラーの鮮やかなカタカナがかわいい。

そしてこちらでも乗り物へのまなざしに胸が熱くなる。

写真に見える駅前通り上を走る路線は、中心部を循環する循環線だが、昭和41(1966)年から軌道敷への車の乗入れが認められていたため、クルマが電車の行く手を阻むように、我が物顔で走っている。(中略)写真の車両は、昭和34(1959)年に登場したモハ400形で、仙台市電最後の新製車両だった。(中略)正面の3枚窓は上下2段となっていることから、仙台市電のなかでは個性的なフェイスで知られている。現在、仙台市電保存館で保存・展示されているラストナンバーの415号を見ることができる。

解説を読みながら写真を確かめると、なるほど“いい顔”をしている。そしてクルマに押され気味の路面電車の姿に時代の潮目を感じる。今ではほとんど見かけなくなった路面電車を松山などで利用すると、ゆったりと時間遵守で走るので頼もしいのだが、さあいつまで残ってくれるだろうか。

今はもう見られない景色や乗り物の姿を堪能できる本だ。今とはまるで違う様子に驚くのと同じくらい、昭和から令和までをつなぐ街の気配も存分に味わえる。思い出せないのになぜか知っている、そんな懐かしい昭和に出合えるはずだ。

(引用写真は『写真は語る 電車・バスが走る 昭和の街角風景』より)
  • 電子あり
『写真は語る 電車・バスが走る 昭和の街角風景』書影
編:講談社ビーシー

懐かしい昭和の街角写真。そこに写る風景をじっくり観察してみると、消えてしまった乗り物たちを数多く見かけることができます。なかには、路線そのものがなくなり、街並みまで変わっていることも。本書では、古い写真が語りかけてくる時代の変化をじっくり解説していきます。

■めまぐるしく変わった「昭和の交通」と「街並み」
新幹線ができ、オリンピックや大阪万博が開かれた昭和30~50年代。その間、私たちを取り巻く生活環境はかつてないほど急激な変化を遂げました。多くの新しい乗り物が登場し、それにあわせて街の風景も大きく変わりました。本書ではそんな時代の変貌や、今につながる痕跡を当時の写真から探っていきます。

かつては市民の足として全国各地で活躍していた路面電車。それに代わるように整備されていった地下鉄。世代交代し、大きく利便性が増した電車やバスの車両。街の風景を大きく変えてしまった路線の廃止や新規開設などなどなど……。本書では写真に写る車両や建物、看板、人々の様子などをじっくりと観察。当時の様子はもちろんのこと、その後の変貌ぶりを解説していきます。なかには、メインの被写体よりも、隅っこに写るもののほうが興味深いということもあるかもしれません。

いざ、昭和の街角へのタイムトリップをお楽しみください。

第1章 昭和30年代
駆け抜ける新幹線の試運転/「あさかぜ」に映る銀座の夜景/深夜も続いた地下鉄工事/高架の銀座線と東急文化会館/明治生まれの国鉄ガードと都電/開業前の東京モノレール/混雑する高座橋と金山橋/空から見た札幌中心部

第2章 昭和40年代
三軒茶屋の“三角地帯”/青函連絡船がある北の終着駅/聖火を運んできた青函連絡船/銀座から消える都電/開幕直前の大阪万博/変貌する巨大ターミナル新宿/四条京阪を行く京都市電

第3章 昭和50年代
函館市電と函館駅前の賑わい/伊豆へ向かう“日光形”特急/杜の都を行く路面電車/福岡最後の路面電車/過密な国鉄線を跨ぐモノレール/学生の街の西武「赤電」/中央線の複々線区間/スト権ストに揺れる品川/上野駅18・19番ホーム/MM21に生まれ変わる造船所/修復前の東京駅

レビュアー

花森リド イメージ
花森リド

ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori 

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