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伝説のパリコレ・モデル。世界を魅了した唯一無二の日本人女性、いまよみがえる

この三日月の夜に
(著:山口 小夜子)
2024.08.07
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伝説のファッションモデルとして、いまも世界中を魅了し続けている日本人女性、山口小夜子。彼女は1970年代初頭にパリコレ・デビューし、その極めてフォトジェニックかつアイコニックな美しさが人々に衝撃を与えた。ファッションの最前線で初めて「ジャパニーズ・ビューティー」という概念を体現し、業界を席巻した革命的存在だった。

「美の化身」とも崇められた彼女は、プライベートを公にしないミステリアスな存在のまま、2007年に急逝する。女優としても活動したが、映画出演作は『原子力戦争 Lost Love』(1978)や『ピストルオペラ』(2001)など、あまり多くはなく、寺山修司や山海塾とコラボレートした舞台は、残念ながら現在観る術がない。だが、いくつかのインタビューや寄稿では、自身について率直な言葉で多くを語っていた。本書は、山口小夜子が生前に残した豊かな言葉の数々と、文字どおり永遠不滅の美しさを誇る彼女の芸術的写真をふんだんに収めた、ファン必携の一冊である。収録写真の多くを撮影したのは、資生堂のポスターなどを手がけ、山口小夜子とも長年組んできた写真家・横須賀功光だ。

「港の見える丘から」「黒髪、おかっぱのモデル」「東洋の神秘と言われて」といった各章ごとに、彼女のさまざまな発言や文章が抜粋される(出典も細かく記載されているのがうれしい)。横浜に生まれ育った幼い日の記憶から始まり、洋服も和服も好きだった母親からの影響、服飾学校を経てモデルデビューに至った経緯などに加え、人生観や自己評価、美容と健康への気づかい、ファッション哲学、さらに日本人としてのアイデンティティーに至るまで、彼女自身の言葉で生き生きと語られていく。「素顔の山口小夜子」を伝える、実に貴重な記録である。

それらの言葉は、山口小夜子の生きざま同様に魅力的だ。たとえば3歳のとき、七五三で初めてお化粧をしたときの記憶を綴る文章の、なんとヴィヴィッドで詩情豊かなことか。

いきなり鼻の頭に冷たい感触の白い線が一本ひかれた。ほのかに、白粉(おしろい)の匂いが辺りに漂い、母の鏡台と私の回りの空気をとりかこみ、溶けて行った。きのう庭に咲いていた、おしろい花の実を潰した時の、あの感触がした。

これ以外にも、彼女の感性豊かな表現に胸打たれる瞬間は多い。たとえば「着る」という概念については、こんなふうに独自の哲学を大胆に語る。

「着る」ということを考えるなら、私は地球上にあるものなら何でも着られるとおもう。光でも木でも飛行機でも壁でもビルでもテレビでも電気でも黒板でも着れるという自信がある。私はあらゆるものを着なくてはいけないんだとおもっている。

さらに、末端の物書きですら人生を一変させられそうになる発言もさらりと残している。まるで「水になれ」というブルース・リーの哲学のようだ(ちなみに本書には、山口小夜子が外人墓地でブルース・リーの幽霊と出会った逸話も登場する)。

文章でも何でも書こうと思えばきっと何でも書けるでしょ。それと同じで、着るという意識さえあれば、何でも着ることができるだろうと思っているんですよ。空気も今着ているかも知れないし、水も着ることができるかも知れないし、着るという観点ですべてを見ていけば、私たちはすべてを着ているのかも知れない。この今私たちがいる空間も、そうかも知れないですよね。それは意識の問題ですよね。

もちろん、美容やファッションに興味のある読者にとっても読んでおきたい記述が満載だ。たとえば歩き方ひとつとっても「洋服は腰から歩く、和服は膝から歩く」といった言葉には、ランウェイでの見え方を知り尽くしたトップモデルならではの説得力がある。女性だけでなく、男性も参考にするべきところは多いだろう。特に日本人男性の姿勢の悪さは世界的にもトップレベルだと思うので、ぜひとも本書から学んでいただきたい。

しかし、山口小夜子は自身を「コンプレックスのかたまり」と評した。美しい人の常だが、己のウィークポイントを冷静に客観的に知りつくし、その上で自身のスタイルを形作っていったことがよくわかる文章もある。

頑固におかっぱにこだわっているわけではありませんが、自分のおでこが好きじゃないし、眉毛をどうしていいかわからないというのも理由のひとつなのです。おでこを出すと、裸でいるような恥ずかしいような、落ち着かない気分になるのです。おかっぱスタイルはもう私の顔の一部になっていて、いちばん安心できるものなのです。それに外国で仕事をしていると、外国人にとって東洋人の直毛は憧れの的なのだということをつくづく感じます。

そんな彼女も、モデルデビュー直後は日本国内で多くのオーディションに落ち続け、一時は仕事を辞めようかと思うほど失意の日々を過ごしたという。結果的に、山口小夜子は海外で「東洋の神秘」として発見されることになる。その当時を語る言葉もまた、驚くほど謙虚で率直だ。

パリに来てほしいと招待を受けたとき、最初は躊躇しました。なぜ私が必要なのか、よくわからなかった。“小夜子はそのままでいい”と言われて、心から驚いたほど。オカッパのヘアスタイルで黒髪。西洋的なモデルとまったく異なった私に、“そのままでいい”と言った人はそれまでいませんでしたから。

その後、唯一無二の日本人スーパーモデルとして活躍するようになってからも、彼女は自分のスタイル、日々の生活のペースを崩さなかった。それでいて柔軟に、世界の多彩な文化を吸収し、新しい分野への挑戦を続けた。ストイックかつ好奇心旺盛、常に考えることと感性を磨くことをやめない彼女の気質は、本書の文章にも如実に現れている。その「自然に、無理なく、多様性の海を泳ぐ」ような生き方は、山口小夜子のことをよく知らない世代の読者にも大きな感銘を与えるのではないだろうか。

もともとヨーロッパの体の表現は、気持ちを高く天に向かわせるところがありますね。

それに対し、日本の踊り、韓国や他のアジアの国の踊りも、むしろ気持ちを鎮めて大地へと重心を低くしていくんです。古代の巫女舞が、“鎮魂(たましずめ)”といって、精霊を鎮めたり魂を浄化させたのに通じる気がします。
天に向かうのか、自己に還っていくかで、踊りに差があるんです。ヨーロッパの舞踊家たちと、そういう話をしますが、皆、能の本を読んでいたりして、日本の若者よりずっと関心が高い。ヨーロッパのヌーヴェルダンスでも、ただ跳躍するのではなく、自己の内を見つめる方向にあるし、日本の影響もあると思います。

世界中を飛び回る生活のなかで彼女が蓄積していった「日本人/東洋人であること」の意識も、のびやかな視野の広さ、無邪気な好奇心と優れた分析眼、そして何より知性を感じさせるものである。狭く偏ったナショナリズムや、醜く肥大したプライドなどとは無縁だ。もちろん卑屈でもない。徐々に分断が世界に広がりつつある時代において、本書はいまの日本人に改めて必要な“啓蒙の書”と言えるのかもしれない。

その美しさは、外見だけでなく、生き方、言葉、世界の見方においても通じるものだった。そのことが本書を読むとよくわかる。山口小夜子という存在への憧れが、ページを繰るたびに増していく、そんな魔術的な一冊である。

  • 電子あり
『この三日月の夜に』書影
著:山口 小夜子

ファッションの街・パリでコレクション・モデルとしてデビューし、一シーズンに十数件のショーを掛け持ちするなど、文字通りのトップモデルとして活躍した山口小夜子。
モデル・俳優の冨永愛は、もっと尊敬する存在と公言する。
マツコ・デラックスは美の化身と絶賛。
亡くなって15年以上が経つが、いまも多くの女性がそのファッションやメイクに憧れ、模倣する。東京都現代美術館の「山口小夜子 未来を着る人」展覧会(2015年)には5万6000人もの人が来場した。
山口小夜子は、印象的な言葉を数多く残した人でもあった。
「10代は今でいう、引きこもり気味の少女。20代は仕事をしているものの、先が見えないことのつらさで落ち込むこともよくあった。
ダウンしたときは街に出て、様々な本や美術、映画や絵画、音楽などに助けられた。
そして同じ思い、同じ感性の人たちと出会い、人前に出て恥もかいて、そこからさらに何かができるようになって、どんどん楽しくなっていった。薄紙を1枚1枚はぐように、ページを1枚ずつめくるように、少しずつ自由になっていったの」
「着るという意識さえあれば、何でも着ることができるだろうと思っているんですよ。空気も今着ているかも知れないし、水も着ることができるかも知れないし、着るという観点ですべてを見ていけば、私たちはすべてを着ているのかも知れない。この今私たちがいる空間も、そうかも知れないですよね。それは意識の問題ですよね」
「なにか意図的なものを排除する。自分をなくす――そこから入ることが、一番、本質に触れることなんじゃないかなと思います。
地球をとりまくエネルギーとか、人の心とか、木とか風とか、すべていまここの現実にあるもの、それが、ひとつに融合すること。そういうことが最終的に形に、私なりの答えとして形になればいいなと思って」
横須賀功光氏の残した圧倒的に美しい写真と、山口小夜子の「天につながる」言葉でつむぐ、唯一無二の本。

レビュアー

岡本敦史

ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。

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