今日のおすすめ

『ドラゴン桜』の漫画家、三田紀房の人生大逆転劇。約1億円の借金からのベストセラー漫画家!

2024.04.06
  • facebook
  • X(旧Twitter)
  • 自分メモ
自分メモ
気になった本やコミックの情報を自分に送れます

漫画家もどきの「まんが道」

僕には、漫画家として生計を立て始めた頃から、ずっと心の奥底に貼り付いている意識があります。それは自分が「漫画家のようなもの」という自覚です。言うなれば僕は「漫画家もどき」なのです。

『クロカン』『ドラゴン桜』といった作品を生み、近年も『アルキメデスの大戦』のヒットを生んだ漫画家・三田紀房の言葉である。まごうことなきヒットメーカーである三田氏が、自らを「漫画家もどき」というのは謙遜にも聞こえる。しかし、この本を読むと偽らざる思いであることが分かる。

漫画の世界は天才、異才、奇才の巣窟だ。三田氏が生まれたのは1958年。50年代後半生まれの同世代には、鳥山明(55年)、江口寿史(56年)、高橋留美子(57年)、柴門ふみ(57年)、福本伸行(58年)などなど、まばゆいばかりの才能を持った漫画家が数多くいる。さらには50年代後半だけが特別だったわけではなく、毎年そうした才能を持つ漫画家が何人も現れる。そんな世界で「漫画家もどき」を自称する三田氏が、どうやってそうした才能に伍していったのか? 本書は“持たざる者”の「まんが道」なのだ。

すべては1億円の借金から始まった

三田氏は、漫画を読まない子供だったという。ハマった漫画は、高校時代に読んだ水島新司作『あぶさん』くらい。小中高大と剣道を続けていたが、なにか強いモチベーションがあったわけでもなかった。剣道から離れた大学浪人時代は、東京に馴染めず、テレビドラマばかり見ていたという。驚くほど漫画と接点のなかった三田氏が、どうして漫画家になったのか?

漫画を描き始めたきっかけは「金目当て」で、漫画の神様からすれば許し難いまったく不純な動機です。

大学卒業後、西武百貨店に勤めた三田氏だったが、父の病気を機に実家の岩手県北上市へと帰る。しかし、家業の洋品店が1億近くの借金を抱えていた。そんなときに、ふと目にした漫画雑誌の新人賞応募告知。賞金は100万円。「とにかく金が欲しい」の一念で、一本の漫画を描き上げる。

もし漫画の神様がいるのであれば、三田氏の人生にある伏線を張っていたのだと思う。
時間を少し巻き戻し、剣道に明け暮れた大学時代のことである。縁あって、話を聞かせてほしいと請われて、ある人物と会う。

「剣道の漫画を描こうと思っているんだけど、剣道の世界ってどういう感じなの?」

そう切り出した人物こそ、『龍-RON-』『JIN-仁-』の作者、村上もとかなのだ(その後、村上氏は『六三四の剣』を発表する)。初めて描き上げた漫画に自信を持てなかった三田氏は、村上氏に感想を求める。返ってきた返事は「いいね」。

最初の応募作では入選を逃すも手応えを感じ、続いて「ちばてつや賞」に応募。これが入選して賞金50万円を獲得した。

当時の僕にとって五十万円は、目がくらむような金額だったのです。原価なんかほとんどかからないで五十万円もらえたんですよ。これはいい商売だなと思いました。

「原価」「いい商売」という言葉が出てくるのが、『マネーの拳』や『エンゼルバンク ドラゴン桜外伝』(私のお気に入り作品だ)の作者らしくて、ニヤリとさせる。

もうひとつ、本書のグッとくる話を紹介したい。
「週刊漫画ゴラク」誌上で、野球部の監督を主人公にした『クロカン』がスタートする。しかし、編集長から「描きたいなら描いていいけれども、うちの雑誌に合わないし、人気も出ないよ」と微妙なことを言われる。その一方で、担当編集者は鼻息荒く「アンケート1位を獲りましょう!」と発破をかけてくる。そこで三田氏は、なにをしたか? 「週刊漫画ゴラク」を徹底的に読み返すのだ。そこで圧倒的な人気を誇る『ミナミの帝王』の3つの特徴的な手法に気づく。
1) 強調したい場面で、登場人物を大ゴマのどアップで登場させる
2) 決め台詞を入れる
3) 比喩表現の多用
これを取り入れた『クロカン』は、徐々にランキングを上げていった。

こうした僕のやり方を「パクリじゃないか」と批判する人もいるかもしれません。でも僕は、そういう批判に対しては、堂々と「はい、パクってます」と言います。(中略)
最初から世の中をあっと言わせるような結果を出して成功するのは、才能に恵まれたごく一部の天才だけです。でも、凡人であってもコツを掴めば成功することはできるんです。作品をそのままパクるのはいけませんが、何かに挑戦するとき、すでに成功している人のやり方を観察し、そのやり方を真似るのが一番の近道なんです。

このアプローチの仕方、どこかで見た気がすると思い出したのが『ドラゴン桜』の勉強法だと気づいて、またニヤリとさせられた

本書を読むと、さまざまな人との出会い、とりわけ優れた編集者に恵まれた漫画家人生であることが分かる。しかし、決してそれだけではないのだ。新人賞募集の告知を見たら「コレだ!」と一本の作品を書き上げ、アンケート1位という目標を掲げられたら「どうすればウケるか?」を考え抜き、キャパ的にどう考えても受けきれない連載の話に「やらせてください」と答える。自分の才能と将来を天秤にかけて悩む暇があるなら、手を動かせ、コツを掴め、一本描き上げろ! 人が敷いたレールにありがとう! ご縁に感謝! でも、安全装置や脱出ルートは忘れるな! 

泥くさくとも、その先にこそ道は開けるのだ。

この世界は、強い人、力のある人だけで成立しているのではありません。弱い人、力のない人たちと共生して人類は進化し発展してきたのです。別の生き物に擬態して危険から逃れて生き延びることは生態系では当たり前のことです。「もどき」も立派な生物です。肝心なのは生きることです。

人生の新たな局面で悩んだとき。自分の力を信用できなくなったとき。この本を手に取ってほしい。読み終わった後『ドラゴン桜2』で桜木健二が言った、こんな言葉を思い出すはずだ。

考えるな!
動けっ!
行動するヤツだけが勝つ!

  • 電子あり
『ボクは漫画家もどき イケてない男の人生大逆転劇』書影
著:三田 紀房

ドラゴン桜』『クロカン』『アルキメデスの大戦』などのヒット作で知られるベストセラー漫画家・三田紀房さんは、30歳になるまで漫画家になることなど夢想もしていなかった。
それどころか、子どもの頃は「とりたてて人並み優れたところもなく、何かに憧れるということもなかった。だから、人から『将来の夢は?』と聞かれることがとても嫌だった」という。
そんな子供時代から始まった人生は、時折とんでもない不運に見舞われるのだが、のちのち振り返ってみれば、その不運そのものが幸運へのきっかけになっており、まるで「人間万事塞翁が馬」の故事を地で行くような半生を送ってきたのだ。
夢のない少年時代、図らずも巨大な借金を背負うことになった20代、漫画を描いても描いても売れなかった30代。そんな彼が億の金を稼ぐようになった。その大逆転の根底には、三田さん独特のユニークな考え方があった。
この三田さんの思考方法は、今現在、窮地に陥っている中高年、将来に夢を抱けない若者たちにとって、大いなる参考になるはずだ。

レビュアー

嶋津善之 イメージ
嶋津善之

関西出身、映画・漫画・小説から投資・不動産・テック系まで、なんでも対応するライター兼、編集者。座右の銘は「終わらない仕事はない」。

  • facebook
  • X(旧Twitter)
  • 自分メモ
自分メモ
気になった本やコミックの情報を自分に送れます