ここの竹やぶはねェ、時々子供が生えてくんのよ
田島列島さんのマンガを初めて読む人とも、新作を待ちわびて数ページ読んで「わっ」と驚く人とも「『みちかとまり』、すごくない?」っておしゃべりしたくなる。ときどき私が発症する「関係者でも親族でもないのに大量に買って友達に勝手に配りたい病」が出た。これぞと思う作品を見つけると、人は内なるインフルエンサーの言いなりとなる。
草むらのあっちが「家」の玄関で、こっちはお部屋で、気が遠くなるほど長い夏と、どうしても行きたくない学校。このページがすごく好きだ。子供サイズの現実のばかでっかさがよくわかる。
しかも「不思議なもの」たちと平気で共存する深い世界だったことも思い出す。それを不思議であると確定させる言葉を持たないし、草むらの家と似たようなものだし、だから「不思議だな」なんて言わない。
学校に行かなくていい女の子が「(学校に行かなきゃなのを)かわってあげる」と言うけれど、どうやって?
“まり”は、8歳のときに、この女の子と出会う。学校からの帰り道、まりが竹やぶをふと覗(のぞ)くと、その子が「落ちていた」のだ。
近所のおばちゃん曰く、この地域ではときどきあることらしい。まりは第一発見者。あと、落ちてるこの子は生きてます。
かぐや姫かなって思うよね。“みちか”と名付けられた竹やぶ少女は、おばちゃんのおうちで暮らし始める。みちかとまりは、いろんな場所で遊ぶ。山を駆け、原っぱを転げ回り、やがてとてつもなく遠い世界にたどり着く。みちかは、まりを別の世界へいざなうのだ。
そして前述したように、みちかだけは、学校に行かなくていい。
神様にするか人間にするか
まりが学校に行きたくない理由は同級生の“石崎”にある。石崎はいじめっ子で、まりに対してそれはそれはひどいことばかりするのだ。最悪。
ある日、何を思ったのか、みちかが石崎に飛びかかり、石崎の大事なものを奪う。大人でも子供でも犬でもそれを失うとだいぶキツいものだし、そうそう奪えないものだけど、竹やぶ生まれのみちかには奪えた。
この突発的なバイオレンスにより、石崎からのいじめは見事消滅したものの、まりは「悪いことしたな」と感じるし「タイホ」が心配。
で、石崎にそれを返さなきゃなあと思うけれど……、
返す踏ん切りがつかなくて、大人にバレるのも絶対イヤで、
とりあえず埋めちゃう! だよね、埋める埋める。こうやってなにかを穴に埋めた経験のある人は、そのあとの展開も想像がつくのではないだろうか。そう、どっかに行っちゃうのだ。あれなんなんでしょうね、神秘現象すぎる。
みちかとまりは、どっかに行っちゃった石崎の大切なそれを取り戻すことに。
山の茂みの奥に見える向こう側は真っ暗。
まりは、みちかが自分とはちょっと異なる存在であることをなんとなく知っている。「じゃあ何者なの?」はそんなに重たい情報じゃない。そんなことより、みちかの手を取らないと石崎の大事なものは失われたままだと気づいている。自分で始末をつけなきゃ耐えられない。
こうしてまりはみちかと一緒に茂みの奥へ進む。それに、友達から「きて」と呼ばれたら、行っちゃうんですよね。だから、もしも「一緒に行ってくれる?」とまりに言われたら、みちかだって迷わずキュッとまりの手を握る(手や指の描写がね、すごくいいんです。子どもの体温の高さとちょっと日向くさい感じが伝わってくる)。
『みちかとまり』は、「不思議」や「罪悪感」や「畏怖(いふ)」を、それ以外の言葉と仕草で表す。すべてのページがもわーんと心地よくて、ふいにカットインされる田島列島節にクスッと笑ってしまうのに、ふとしたはずみに肌が粟立つ。それは子どもの頃よく感じていた寝入る寸前の怖さに似ている。そして、お互いを呼び合って進む二人の道中の朗らかさや乱暴さにも、かすかに覚えがあって、大人になった今あらためて思い返すと「あぶねー!」と気づく。だから大人になっちゃった自分と昔の自分との両方がソワソワするマンガだ。
ああ、どうか大事なものを取り戻す二人の旅が上手くいきますように。
レビュアー
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
twitter:@LidoHanamori