あなただけの「いい靴」
自分の足にフィットする靴を見つけると「これだー!」と感動して、感動のあまり色違いで揃えてしまいます。でも足に合う靴ってそのくらい心躍るもの。まるで自分の一部のように感じるんです。
足の形は人それぞれ。“in your shoes(あなたの立場になってみる)”なんて慣用句があるくらい、靴はとてもパーソナルな存在。そんな大切な一足を生み出すのが「靴職人」です。
『靴の向くまま』の主人公・“結彩(ゆあ)”は、「ホズミ靴工房」を一人で切り盛りする靴職人。
この工房は亡きお母さんから受け継いだものです。結彩は何年か修行を積んで、ついに独り立ちできました。
ホズミ靴工房は注文靴のお店です。つまり履き主の足にどこまでもフィットする「わたしだけの靴」を、時間をかけてていねいに作ってくれます。結彩は、かつてお母さんが自分のために作ってくれた靴の素晴らしさを今でもちゃんと覚えています。
靴は、結彩にとって元気のおまじない。だから結彩は履き主のことを考えながら“おまじない”をかけて靴を作ります。“履き主がいい場所に行けるように”と。そう、「いい靴はいい場所に連れていってくれる」から。
“痛み”は慣れちゃダメ
ある日、結彩は女子高生に出会います。平日の11時に街を歩く制服姿の女の子は目立つもの。ちょっと気になって声をかけてみると……?
靴のソールが剥がれかけ! 応急処置を申し出る結彩の優しい言葉遣いにほっこりするよ。でもこの女の子の表情はどこか浮かない様子。
どうしてこんなふうに靴が傷(いた)んじゃうんだろう?
ものすごくサイズが合っていない靴を履いているようです(本作はこんなふうにさりげなく靴の解説が添えられています。ふむふむ読んじゃう)。ここまで靴が傷んでしまうということは、この子の足だってとても痛いはず。でも……?
足の痛みに慣れちゃった。でも慣れちゃダメだよと結彩は説きます。
痛みに慣れるということは、痛みが消えたわけじゃなく、どこかが無理をしている状態。だから結彩はソールの修理と一緒に「ある工夫」を靴に施します。それはこの女の子の足の形に合わせた工夫です。
「靴を修理する」「その人に合ったクッションを入れる」、どちらも妙に胸に響きませんか。結彩のあたたかい気持ちが伝わってくる。靴って、やっぱりものすごくパーソナルで繊細で、履く人に寄り添う親密な存在だな。
そんな靴はどんな工程を経て生まれるか? 私は結彩の手仕事の描写がとても好きです。じーっと見ちゃう。音の表現も心地いいんですよ。
『靴の向くまま』は、どのページからも結彩のやさしさやひたむきさが匂い立ちます。
職人さんが自分の仕事と真摯に向き合う瞬間は、こんな祈りのような時間なのかも。尊い。自分の靴がとても愛しくなる。
結彩はこの少女が抱える事情を隅から隅まで知っているわけじゃないし、無理に踏み込まないけれど、この子の背中を押すような、人生をそっと包むような靴を作ることはできます。
靴はいろいろ
どうですか、靴のことが気になってきませんか。『靴の向くまま』を読むと「いい靴ってどういうもの?」と知りたくなる!
木型は靴の命! たしかに木型が合うブランドには「もう一生ついていくよ!」って思っちゃうもんなあ。
私が好きなハイヒールやローファーだけじゃなく紳士靴の世界も楽しそう。
こんなに分類があるんだ? 未知の楽園だ。こんどデパートに行ったら観察してみよう。でね、もちろんこの世にいるのは靴オタクばかりではないし、「こんなにいっぱいあって、めんどくさいな」と考える人だっているし、そういう気持ちにも結彩は寄り添います。
足の形は指紋のようにオリジナルなもので、そんな足をやさしく包む靴と同じように、結彩も相手の心を包む人です。靴もいろいろ。人もいろいろ。
そして結彩は靴にもやさしい。靴ベラって履きやすくするためだけのものじゃなかったんだ。私と一緒にいろんな場所を歩いてくれる靴、大切にします!
レビュアー
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
twitter:@LidoHanamori