命がけの旅のはじまり
漫画『イクサガミ』は、直木賞作家・今村翔吾さんの同名小説のコミカライズだ。京都から東京までの東海道を舞台に繰り広げられるデスゲームを、立沢克美さんが躍動感たっぷりに描く。抜群のスピード感に、キャラの立った登場人物たち。魅惑的な者、下衆(げす)な者、はたまた謎を抱えた者……。生き残るのは誰か? 激動の明治初期を舞台に展開する弩級のエンターテインメントだ。
明治11年、5月。総勢292人が深夜の京都・天龍寺に集結する。
誰もが緊張に顔を引き締め、一昨年の廃刀令などなかったように刀を携えている。主人公の嵯峨愁二郎もその一人だ。
彼はある事情から、大金を手に入れる必要に迫られている。
さかのぼること3ヵ月、日本全国で「豊国新聞」なる広告が目撃された。
「武技に優れたる者に 金十万円を得る機会を与う」――。この時代の十万円は、警察官の二千年分の俸給にあたる大金だ。新聞は官憲に回収され、人々は悪戯だと笑った。しかし、それがもし本当なら? 「豊国新聞」は、うさん臭いのは百も承知で大金を掴みたい者、腕に覚えのある者、また興味本位の者までも、3ヵ月後の天龍寺に引き寄せた。
自分が何をさせられるのかも知らぬまま、言われるままに帳面に名を記し、木札を受け取る。
主催者の「槐」と名乗る男が語るのは、「こどく」という“遊び”を始めることと、その奇妙な7つのルールだ。
先ほどの木札が東海道の7ヵ所を通過するのに必要な「点」となる。
「関所を通るには点が必要。先に進むほど、必要な点が多くなる」「札を首にかけていなければ、金を得る資格を失う」。つまり、
自分の札を守り、相手の札を奪い京都から東京までを生き抜く……。それが「こどく」なのだ。
即座に始まる激しい命のやり取りの中、愁二郎が目にしたのは明らかに場違いな一人の少女。
構えを見るに、武芸の心得はありそうだ。しかし、「こどく」における強さなら、下から数えたほうがきっと早い。弱い者は真っ先に狙われ、庇(かば)えば自分もただでは済まない。生きて絶対に大金を手にしたい愁二郎には、人助けの余裕など一切ないのだ。
それでも、愁二郎の体は勝手に動き、彼女を救う。
彼女の名は“香月双葉”。愁二郎は「こどく」を双葉とともに進むこととなる。それは愁二郎の過去の因縁を次第に浮かび上がらせる道のりでもあった。
お前は一点じゃ安い
有象無象がひしめく中、次元の違う化物のような強敵が頭角を現す。たとえばこの男は“響陣”。殺気に満ちた「こどく」の闘いを圧倒的な速さで制する。
ひょうひょうとした実力者といった風情の響陣もまた、その他の“雑魚”とは一線を画す愁二郎の剣の腕前を認めているようだ。命を奪うどころか、余分な(無傷で涼しい顔をしているが、すでにたくさん殺したのだろう)木札を分け与えてくれさえする。
一方で、強い者とめぐり会うことで生き残る双葉のような弱者もいる。
強者だけが残るはずの「こどく」に、弱く役に立たない人間がいることで、デスゲームの行方は読めないものになる。愁二郎一人なら、天龍寺を抜けるくらい楽勝だ。しかし双葉という足枷(あしかせ)により彼は「最強」ではいられなくなる。一人で戦うも、同盟を組むも自由だが、響陣のような助けが入ることもあれば、裏切りだってあるだろう。異能の実力者たちを相手に、二人は生きて東京にたどり着くことが出来るのか?
原作ファンも歓喜! キャラの厚みを作る「人物設定集」
本作の目まぐるしい展開に対し、登場人物の過去が明らかになるスピードは緩やかだ。まっすぐで優しく、それでいて強い愁二郎の「大金が欲しい理由」「こんなにも人斬りに長けている理由」は、「こどく」の道中で少しずつ明かされる。
主人公の事情すらすぐには分からないことが「右も左もわからない中で始まるデスゲーム」の緊張感を盛り上げるスパイスにはなっても、キャラがブレることにつながらないのがすごい。
バックグラウンドを知らずとも、すぐに感情移入できてしまうキャラクターたち。その秘密はこのコミックスに収録された原作者の今村翔吾さんによる「イクサガミ」登場人物設定集にありそうだ。
設定があるが、書くのは一部。そうすることでキャラクターの深みが覗くのかなと思っています。
の言葉通り、キャラクターの身長、体重、誕生日などの基本設定に加え、名前の由来、好きな食べ物といった人物像を知ることができる。原作ファンにとっても大きな読みどころだ。
緊迫したシーンにさりげなく人物設定が生きている部分を見つけるのもまた、とても楽しい。
レビュアー
ガジェットと犬と編み物が好きなライター。読書は旅だと思ってます。
twitter:@752019