理由はアテにならない
ロジカルな物言いにあこがれつつ、腹の底では理屈を一切信じていない。とくに恋愛ではこれほどアテにならないものはないと思う。「なぜ私はあの人を好きなのか」と問われればスラスラと答えが出てくるかもしれないが、スラスラすぎる。つまりそれは理由なんてないに等しいのだ。あんなものはぜんぶ後付けだ(そんなこんなで「好きなタイプは?」なんてマヌケの極みのような質問だと思う)。
「なぜ?」への答えは、「だってしょうがないじゃん、好きなんだから」が一番しっくりくる。とくに重ための恋はそうだ。あれはほとんど病気だ。どうかしちゃってる。
『夢てふものは頼みそめてき Daydream Believers』も盛大な恋わずらいと運命の物語だ。時は明治34年。若手浮世絵師の池田輝方が、東京の街角で見かけた女学生・榊原百合子を猛烈に追いかける。もう文字通り追っかけまくっているし、なんなら百合子本人が目の前にいなくても輝方は百合子を求めて走り続ける。
輝方本人もなんでなのかわかっていない。ちなみにこのページで「お巡りさ──ん!!」と逃げ出している女性は、夜道を偶然通りかかった見ず知らずの美人。彼女が逃げ出す直前のやりとりはこちら。
もうむちゃくちゃだ。この女性が「ひッ」と恐れおののくのも無理はない。でも、読んでいるこちらには、輝方の一語一句の意味がよくわかる。なんて熱い愛の言葉なんだろう。
「恋に理由なんてない」なんて言っちゃったが、輝方が百合子に惚れる理由を、百合子が輝方を忘れられない理由を、もはや私はいくらでも言える。この二人の恋に取り込まれてしまった。
夢で見ていたあの人
二人の最初の出会いを説明するのはとてもむずかしい。のっけから理屈を飛び越えた世界にいる。
輝方が部屋でうとうとして目を覚ましたら、そこになぜか知らない美女がいたのだ。私はこの場面が忘れられない。可憐で、なまめかしくて、そりゃ好きになっちゃうよ。
実はこれは輝方が見た夢のなかの話。夢は本当のことじゃないかもしれないが、浮世絵師の輝方はこの美女をすでに絵に描いていた。夢と現実が淡く交わったスタートなのだ。
輝方は美人画を得意としている。美しい女を見ると描かずにはいられないし、もっともっと上手くなりたい。絵への強い渇望があちこちから伝わる。
画家仲間の鏑木君(鏑木清方ですね)もかける言葉を失うような熱意。取り憑かれてるよね。
で、街を歩いていたら、本当に夢でみたあの美女・百合子がいたのだ。正夢か!
しかも筆を空に向けて何かを描いている。道行く人には奇妙な踊りに見えるそれがなんであるかを、輝方だけは知っている。輝方には、百合子が描く曲線が何を表現しているかがちゃんと見えるし、それがじつに美しく素晴らしいこともわかる。
こうして二人の追いかけっこが始まるのだが、実は百合子も……。
見るからに不審者な輝方から猛ダッシュで逃げつつ「この人ってやっぱりもしかして」と思っている。そう、彼女も輝方によく似た人と夢で会っていたのだ。頭の奥がじーんとするような出会い。
少女マンガ好きもニッコリする展開はさらに続く。
百合子は絵を描くことが大好きなお嬢さんで、念願叶って画塾に入門。もちろん、そこには彼もいる。夢の答え合わせをしていくようだ。
そう、これは二人の男女の恋と芸術のお話だ。ぐつぐつと煮立つ情熱が自分の中にあることも、そしてそれがどこかに注がれるべきことも輝方はわかっているけれど、理由はわかっていないし、正体もわからない。
精神を整えようとして墨を磨(す)っても「榊原百合子」って書いちゃう。最高にクレイジーだ。
同時に百合子が抱える芸術性や絵への渇望も本作は描く。
こっちも静かにクレイジーなんだよなあ……。
あなたたちが描いた匂い立つような美人画はちゃんと残ってますよ、と121年後を生きる私はお伝えしたいけれど、それはそれとして、この転げ回るような物語をじっくり楽しみたい。むちゃくちゃだけど弾むような疾走感がとても好きだ。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。