自由と継承
2022年の夏の終わりに世界中で中継されていたであろうイギリス王室のセレモニーは圧巻だった。私はイギリスにもロイヤルにも一切関係がないけれど、なんだか一人で勝手に関係者全員に頭が下がる思いでパンパンになっていた。数百年と続く何かを受け継ぐってこんなに重たいことなのか、そしてこの人たちの自由ってなんなんだろうか、と。
規模の大小こそあれど、家から継承するものに対する誇らしさとうっとうしさを味わったことのある人は、少なからずいるはずだ。ある意味、その究極の究極が世界中に向けて配信されているように思えた。
『篭目の言士』も継承と自由が渦を巻く奇譚(きたん)だ。選べないものと選べるものが交互にやってくる。
物語は“月彦”が、篭目家の当主“篭目八尋花(かごめやすか)”の「配偶」に選ばれたところから始まる。
配偶、つまり誰かに寄り添うパートナー的な存在? いわゆる配偶者? そうとも言えるし、まるで違うものでもある。
八尋花は会った瞬間に月彦のことを顔のいい犬呼ばわりするし、
月彦は、自分の意志とは関係なく八尋花の指名によって配偶にされようとしている。よくある結婚とは違うようだ。しかも、
配偶は八尋花の怪我や病気を引き受ける存在。だからこんなふうに八尋花が殴られたら、その傷は月彦に与えられ、八尋花には傷がつかない。あ、ちなみに八尋花をぶん殴っているのは八尋花のお兄ちゃん。もうドロドロ!
そういうもの、らしい。血の臭いが漂う篭目家の因習のおかげで、犬と呼ばれるわボコボコにされるわでもう踏んだり蹴ったりなんだけれども、月彦は自分の運命を拒まない。
逃げるチャンスだってあったのに、自分の意志で篭目家に踏みとどまるのだ。わかっていたのに。家なんて大嫌いだったのに。
ドロドロしてるお屋敷に必ず一人はいてほしい不穏な婆さんだってちゃんといるのに! 絶対めんどくさいよこの婆さん。
こんな家を捨てないのはなんで?
私は犬になりましょう
呪術師の家系として日本の社会を裏で支え続けてきた篭目家の当主は、代々女と決まっている。そして当主は強い呪力と引き換えなのか短命で、その短命な当主を支える男が、本作の配偶と呼ばれる存在だ。配偶は、篭目家のなかから選ばれる。
月彦は篭目家に生まれた男としてずっと冷遇されて育った。そしてトドメのようにやってきた配偶のご指名。拒否権なし。家からの命令は絶対だ。
当然「こんな家クソだ!」と思っている。逃げることはできない。だから余計に憎い。でももし逃げられるとしたら? 八尋花の兄も自分を当主に選ばない篭目家と八尋花を憎んでいる。そこで月彦は八尋花の兄と共謀して篭目家に反抗しようとするのだが、この企みは失敗してしまう。
月彦はギリギリのところで、みずから進んで八尋花の配偶になることを選んでしまうからだ。
この場面は何度読んでも「おいおいちがうだろ!」と「そうなっちゃうよねえ」の両方で頭がぐちゃぐちゃになる。
八尋花もこんな顔してビックリしてる。さっきまで月彦のことを「犬」って呼んでたのに!
月彦は篭目家が憎いけれど、家に囚われて死につつある八尋花の命も放っておけないのだ。こんな家に生まれなきゃ配偶なんていらなかったし、兄から殺意を向けられることだってなかった。月彦は八尋花の命を守りたい。それは通りすがりの傷ついた人を心配するよりも、もっと複雑で深い動機から生まれるいたわりの感情だと思う。
こうして月彦が八尋花の配偶となると……、
月彦が傷つくぶん、八尋花は無傷となり、その呪力をフルパワーで扱える。無惨だけどよくできた仕組みだ。
クセの強そうな親戚もいっぱい
こんなややこしい篭目家なので、八尋花と月彦の奇妙なパートナーシップ以外にも当然いろいろある。
八尋花をかわいがってくれる縁者の“七緒さん”。彼女については書き下ろしのサイドストーリーでも語られている。味わい深くてとてもいい。
そして八尋花に結婚を迫る“綾瀬雅人”。雅人は篭目家と敵対関係にある家の人間らしい。
「俺のこと聞いてないってのが気になるけど」が私も気になるよ。絶対そこちゃんと確かめておいたほうがいいよ! ドロドロした家の話のなかで、若干コミカルなフレーバーを漂わせる雅人のことが私は結構好きだ。そうはいっても、やっぱりドロドロした世界の住人なのだけど。
因習だらけの異能者の家系ならばこういう人はいてほしいなというメンバーが揃っているが、彼らがこの先どう動いていくのか読めない。月彦も八尋花も宿命から逃れようと抗うのだけど、同時に家から継承されたものを自ら選び取っているようにも見えるからだ。ああ厄介。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。