荒んだときには美味いものを
とにかくよく食う男のマンガだ。『ハードボイルドマタタビビバップ』の主人公・“小菅の伊太郎”は、日本各地を旅する渡世人。渡世人とは、侍でも農民でもなく、日本各地の賭場をフラフラと移動するヤクザ者なのだという。
旅、街道、そして峠の茶屋とくれば、当然お団子だ。
目つきは鋭いけれど三色団子を味わう口元はモチモチと楽しげで、脳内では愛ある食レポが展開されている。お茶を飲む手つきもていねい。ああこの男は食いしん坊で間違いない。
「食いしん坊」というのはおもしろいもので、その人の趣味や性格の良し悪しや環境を超越する圧倒的ステータスだ。だから伊太郎は、あんな至福のお団子モチモチタイムの直後にこんな目に遭ってしまう。
偶然出くわした堅気の農民から投石! グルメの必要条件に平和は入っていないのだ。石をぶん投げてきた農民は、どうも家族をヤクザ者に斬られたらしい。それは気の毒なんだけど、こっちだってお団子とお茶でハッピーだったのにね、台無しだ。
世知辛い。ひゅるるーって尺八の乾いた音が聞こえてきそうな後ろ姿。石をぶつけられても黙ってやり過ごすのみの伊太郎は、足早に次の宿場へ向かう。とはいえ、謂れのない疑いをかけられ疎まれたのだから、もちろん胸の内は穏やかじゃない。だから……、
そう、心が荒んだのならば、美味い物を食べなきゃ。だって食いしん坊だし。
薬という名の焼肉?
渡世人が日本のあちこちで美味いものを味わい、渡世人だからキナ臭い事件に巻き込まれつつ任侠の世界をかいくぐるロードムービー。それが『ハードボイルドマタタビビバップ』だ。
こんな激シブの殺陣の直後だって、
ちゃんと腹が減る。リアル。このあとあんころ餅をいただきました。ということで本稿も伊太郎のグルメサイドを中心に紹介していく。
さて、農民に石をぶつけられてテンションが下がった伊太郎は、中山道の鳥居本宿で「美味い物」を探すことに。そうして案内された店で「薬です」と出されたのは牛肉の味噌漬け。
獣肉食がタブーだった江戸時代なので、あくまで「これは薬です!」で押し通すらしい。無理矢理に法の抜け穴を突破したこの牛肉を渡世人(そして食いしん坊)の伊太郎が拒むわけがない。
うまそう。そして鳥居本宿で牛肉が供される理由つき。グルメマンガのうんちくは楽しい。
まあ伊太郎はうんちくをかき消す勢いで食べているのだが。つべこべ言うな、うまいものはうまいんだよ、ということらしい。
どこからどう見ても焼肉定食な薬をハフハフ頬張る伊太郎は「あっしの口は、もうさながら暴れ牛」や「間違いなく薬」といった名言をポロポロこぼしつつ、あっというまに完食する。
お日様だって昇っちゃう。合掌。よかったね。
といった具合で、ヤクザ者のハードボイルドな旅なのにとにかく美食がついてまわる。伊太郎がある事件の手がかりを求めて潜入したゴリゴリの賭場での一コマを紹介しよう。
男達の熱気でいっぱいの賭場。タバコの煙の匂いもしそう。いいねえ。
ただならぬオーラの壺振り師が賭場を支配している(顔のこんなに目立つ場所に「九」の入れ墨が入ってるし、見掛け倒しじゃないのだ)。場が見えなくなった客はいいカモ……。そして、さらにもう1名、場を見失いつつある男がいる。
ちゃんと勝負を見届けなきゃいけないのに「賭場飯」が気になって止まらない伊太郎。よだれタラタラだ。
ここの鉄火巻きはたいへんうまかったらしい。この食いしん坊が言うのだから間違いないだろう。
ただし、伊太郎は食べてばっかりかといえば、そんなことはない。
シャキッと流れるような口上! 実はこの男、かなりデキる渡世人なのだ。
ちなみに伊太郎は下戸なのだという。酒場で酒をちびちび舐める渡世人も粋でかっこいいが、礼儀作法をわきまえつつ(←ここ大事! すごく行儀よく食べてる!)白飯をわしわし掻き込む渡世人も気っぷがよくて楽しいものだ。毎回、気持ちよくキレイに平らげている。
レビュアー
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
twitter:@LidoHanamori