食べること、生活すること
日々の食事と季節とのあいだには明らかな結びつきがある。子どもの頃から教えてもらっていたけれど、身についたのは大人になってからだ。たぶん、秋を何度も経験したから夏の終わりに「どうか今年も美味しいサンマをなにとぞ……!」とソワソワするのだろうし、つまりサンマの身のふっくら加減と秋の涼しさが私の中で静かに連動している。子どもの頃は無意識に食べていた。あの無意識の世界がなつかしいけれど、季節を意識して生活するのはたのしくて幸せなことだ。
14歳のNY育ちの少年・“オン”が、東京の秘境のような里山で兄・“基(もとい)”と生活する『天狗の台所』。
この兄弟は天狗の末裔(まつえい)で、天狗の家では子が14歳の誕生日を迎えると1年間の隠遁生活に入るのがしきたりなのだという。研鑽(けんさん)を積んで天狗パワーを手に入れるため? それはそれとして、天狗にも日常がある。
天狗だって毎日ごはんを食べるし、日々重ねていく生活がある。オンの指先でキラキラ光るキャラメルクルミは神がかって美しい。つやつや。これは天狗の特別なパワーによって生み出されるもの……?
ゴム手袋をして全部むきます
ある日突然「あなたは天狗の末裔です」と母親にカミングアウトされたオンは、「マジすげえじゃん!」って元気いっぱい日本の兄のもとへ向かう。修行を重ねてスーパーヒーロー的なパワーが使えるようになっちゃうんじゃないの?と期待したわけだ。ところが兄の基はというと、
カゴを背負って何かを収穫して、テクテクと住まいに戻り、台所へ。立派なかまどが見える。ここが天狗の台所なのかあ。
先ほど収穫した木の実をゴム手袋でギュッと握ると、
はい、クルミが出てきます。っていうか天狗もクルミは手でむくんだ? 想像以上に素朴かつ地道。天狗パワーは?
天狗大先輩の基いわく「そんな力はない」そうで、オンが想像していた天狗ライフとは大違い。ブーブー言いながらもちゃんとクルミをむいているオンがかわいい。おっきな犬の“むぎ”が寄り添っているのも大変よい(本作は犬好き必読マンガでもある)。
で、むいたクルミは3週間かけて乾燥させて、殻のまま保存される。これで終わり? いえいえ。
すでに乾燥ずみのクルミとグラニュー糖でおやつ作りスタート。おなかすいたもんね。本作のあちこちで描かれるオンの幼さがとても好きだ。兄の基よりも非力で、きゅるんとした目でおなかがすいたよと訴え、スマホをいじりつつ天狗パワーに憧れる。そんな弟を基は甘やかさないけれど、こうしておやつはこしらえてくれるのだ。各話でいろんな料理が披露される。
基は、美味しいものをていねいに作り、それをていねいに味わう人。キャラメルクルミと一緒に凍頂烏龍茶もどうぞ。いいねー! 基が食べ物に合わせる飲み物は毎回どれも美味しそう。バジルの香りが効いた水餃子にはこんなお茶が添えられる。
いい時間だなあ。
天狗の世界
オンと基の生活をふむふむと読むのがとても楽しい。寝る前にベッドの中でお気に入りのページを読み返すと安心する(そんなこんなで紙の本をおすすめします)。
なお、天狗的要素はというと、これもちゃんと存在する。
モダンな天狗だ。これは麗しい男前たちのマンガでもある。
やがて天狗の家のしきたりや不思議な力も少しずつ明かされていく。
天狗の日常ってこんな感じかも。おむすびを頬張るオンたちにそっと熱いお茶を差し出す基のやさしさよ。
基がオンに毎日さりげなく教えることは、天狗が下駄を履いて空をブイブイ飛ぶ方法などではないけれど、どれも大切なことだ。稲束ひとつでおむすびひとつ。そう思うと「いただきます」って心の底から言いたくなる。自然と食べ物と命はひと続きで、天狗も人間もその大きな輪っかのなかで生きている。
ところで、どうして彼らは14歳の1年間を隠遁生活に費やすのだろう。天狗の子は14歳で一番「血が濃く」なるのだという。なるほど。14歳は、私たち人間が幼い無意識の世界と大人の世界とのあいだを行きつ戻りつし始める嵐のような季節でもある。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。