遊郭でないしょのグルメ
真っ白なご飯を包み込むフワフワのオムレツ、牡蠣(かき)のアヒージョ。そんな現代のうまいものを、『吉原プラトニック』の“紫太夫”と“貞近”は遊郭のお座敷でこっそり作ってはうまいうまいと平らげている。江戸時代にそんな料理が作れるの?と心配になるかもしれないが、これができちゃいそうなのだ。
火鉢と鉄鍋を使い、にんにくの代わりに生姜を効かせて、オリーブオイルではなく胡麻油で牡蠣をぐつぐつ煮込んで作る「地獄鍋」。江戸前アヒージョの実現可能性たるや(そしてマネして作りたい)。パクパクいっちゃうよね。ちなみに唐辛子はというと、
当時流行の調味料だったそう。まさか新宿御苑の横で栽培されていただなんて。
きっと、どんな時代にも食いしん坊のパイオニアがいて、彼らの突き抜けた欲望と情熱が最先端グルメを生み出してきたはず。それにしてもなんで紫太夫と貞近は遊郭の密室でこんなことを? 吉原でしょ? もっと他にすることがあるはずなんだけれども……。
2次元を愛する侍
吉原の売れっ妓お女郎の紫太夫は自他共に認める食道楽。ある日、ワケありの侍・貞近が客としてやって来る。事前のオリエンテーションで「彼はワケありですよ」と教わっていたものの、
着物を脱がせることすらできない。百戦錬磨の人気No.1お女郎なのに。というか貞近は何しに来たんだ? ぷるぷる震えながら貞近が抱きしめているものに注目。これは浮世絵だ。
浮世絵のモデルは紫太夫。で、ご本尊の紫太夫本人がさあいらっしゃいと言わんばかりに襦袢姿(じゅばんすがた)で待ち構えているのに、浮世絵だけに恋をしている貞近は3次元の彼女を受け付けない。だったらなぜ来たんだ? ずっと2次元の世界にいたらいいのに……というわけにもいかない事情が彼にはあった。
実は貞近は旗本の嫡男。ついに縁談も決まった。「うちの子はちょっとオタクで女性は苦手なんですわ」で話が済むわけもない。貞近も気の毒だが、封建制度の社会を生きる家族たちは気が気じゃないだろう。そんなこんなで父親から「遊郭に行って練習してこい!」と2次元オタクの貞近に厳命が下ったわけだ。
ちゃんと貞近が大好きな浮世絵のモデルにお願いをするあたり、お父さんなりの配慮と工夫を感じる。そして最後のコマもいい。上方で造られた銘酒をきちんと出す遊郭でNo.1を張る紫太夫はお酒も大好き。
まずはおしゃべり、そしてお食事
鉄壁のオタクを前に途方に暮れる紫太夫。でも、太夫に上り詰めるくらいの人だからガッツがある。きちんと貞近に向き合い、手練手管を尽くそうとする。
まずは貞近が耽溺(たんでき)する浮世絵から会話を広げようとするも……、
失敗。緊張しておしゃべりもできない。しょうがないんで腹ごなしでもしましょうかと江戸の一流料理茶屋から取り寄せたお膳を食べ始めることに。ここで事態が動き始める。
箸をつけるなり「まずい」と言い放つ貞近。さっきは撃沈してたのに! で、お気に入りのお店をけなされた紫太夫は激怒して「だったらお前がうまいと思うものを作ってみろ」と迫ってしまう。もはや筆おろしどころではない。
この「うむ」って顔、いかにもお料理バトルが始まりそうでいい表情だ。
一石二鳥の遊郭通い
紫太夫も私も「おいおい貞近できるのか?」と思ったのだが心配はいらなかった。貞近の料理の腕は確かで、しかも限られた食材でピリッと美味しいものが作れるタイプの料理上手。とにかくセンスがいい。
あー作りかけの段階ですでに美味しそう。完成したのは「雷豆腐」。食道楽の紫太夫は思わず身を乗り出して箸を伸ばし、一口食べるやいなやあまりの美味しさにビックリ。貞近の料理の腕に惚れ込んでしまう。
貞近も料理のことならスルスルと言葉が続く。食材や調理法のうんちく、料理ができるようになった経緯、なんでも紫太夫に話せるのだ。しかも食道楽の紫太夫にとって最高に楽しい話題。
貞近が料理を作れば紫太夫はグルメを堪能できるし、貞近も女に慣れていくはずだし、一石二鳥。こうして貞近は紫太夫に指一本触れぬまま、プラトニックな遊郭通いを始める。
紫太夫の真のミッションは果たせるのか気になるところだが、食に関してはグイグイおねだり。江戸の食文化を感じつつモダンな料理を楽しめる美食マンガだ。逸脱しそうで逸脱しない綺麗なバランスで作られた世界だから2次元オタク侍も本当にいたんじゃないかなあと思えてくる。
ちなみに貞近がペラペラと話せるもうひとつのテーマが「浮世絵の技巧」だ。ザ・オタクの早口といった具合でとても楽しいうえに、知的で熱っぽく聞き飽きない。貞近、実はモテるんじゃないだろうか。
レビュアー
元ゲームプランナーのライター。旅行とランジェリーとaiboを最優先に生活しています。