現在より遠くない未来の日本。突如世界を襲った洪水と、その後に訪れた氷河期によって現代文明が崩壊した世界。生き残った少数の人間が居住施設(ビオトープ)に集まって自給自足の生活をする、そんなポストアポカリプスな世界で、ダメ人間のユキが病弱なリッカに三食おいしいものを食べさせてあげるため頑張るお話が『一日三食絶対食べたい』です。
氷河期で自給自足の世界にもヘタレはいるもので、意志の弱い青年ユキと10代前半の女の子ながら、お針子の仕事をして家計を支えるしっかり者のリッカという、ちぐはぐな関係性のふたり。彼らは家族だけど、兄妹ではないし、夫婦でもありません。氷河期になった混乱のさなか、ユキがリッカを保護し、一緒に暮らすことに。
人類が滅亡しそうな世界で生まれる、お互いがお互いを想い合う愛があふれる物語です。
まず誰もが気になるであろう本作のタイトル。『一日三食絶対食べたい』と来るわけです。
ははーんなるほど、これはあれだ、グルメというか食マンガだな、なんていう気持ちで読み始めると思います。まあ、思いっきりその気持ちはいい意味で裏切られる訳ですが。かくいう私も、思い起こせば今からちょうど1年前くらい(2018年1月頃)、SNSのタイムラインで本作がバズっていたときに、「おっ、なんだ新しいグルメ漫画か」って思ってサムネイル画像をタップしたら、おもしろいくらいに予想を裏切られた覚えがあります。むろん、それはいい方向の裏切りでしたが。
では、この『一日三食絶対食べたい』という言葉に秘められた意味とは何なのでしょうか。
……なんて投げかけておいてあれですが、物語が進むにつれてタイトルの意味合いが変わってくる、素晴らしいキーワードになっているのです。
はじめは、痩(や)せ細った病弱なリッカに「おいしいものを食べさせてあげたい」、「おいしいものを食べるためにお金を稼ぎたい」、という意味合いだったと読み取れます。ヘタレなユキは、仕事なんかしたくないのだけど、働かなくては食べることすらできないから、「イヤだけど頑張るしかない」と言えます。
ましてやこの世界は氷河期。ビオトープの中の仕事はほとんどなく、マイナス45度の極寒の世界である「外」で働かなくてはならず、ユキにとっては苦痛でしかないわけです。しかし、上司のスギタや植物学者のスズシロと関わっていくなかで、自分と向き合い、次第に「働くこと」に対する意味合いが変質していきます。
いや、一貫して仕事はサボろうとしてたり、嫌がってたりもするのですが、ユキは自分のヘタレ性を十分認識しています。その反面、同時に自分の持つ根性と底力を過小評価しています。
私たちも現代を生きる社会人として、大なり小なり仕事に対して、生きるために妥協していると思うわけです。「やらなければならない、仕事だから」という現代人の気持ち。そんな感覚の代弁者がまさにユキと言えるでしょう。
そんなユキが覚悟を決めて外で仕事をすることをリッカに告げる一幕は、たとえ滅亡寸前だとしても社会的動物である人間が持つ矜持を感じさせます。
またユキは、大混乱のさなか、当時5歳だったリッカと一緒に暮らしていく覚悟を決めた男気だって持っているわけです。
そう思うと、本作はポストアポカリプスな日常ホームドラマの皮を被った「社会人の成長の物語」なんじゃないかと思えてくるのです。ほら、仕事のことを「食っていく」、って言いますし家族や従業員を養うことを「食わせる」、って言うじゃないですか。
それに、ユキの仕事は氷に沈んだ崩壊前の物資を採集して復活させる仕事。自分の仕事の頑張りが、社会にダイレクトに影響を与えるわけです。
ところどころに具体的な地名や年代など、物語の世界に想いを馳せるのに役立つ手がかりがちりばめられていて、そういった物語のかけらを集めるために何度も読み返したくなる作品なんですが、(世界が大変なことになったのは金曜日だった、とか平成生まれでチヤホヤされていた時代だから、とか)
そういった生々しさを感じるリアリティが、今、現実のこの世界で同じような終局が訪れても、きっと生き残った人たちは現在と同じように社会を築き、同じように暮らしていくんじゃないかな、という希望7割と絶望3割を感じました。
ライフ・ゴーズ・オン。生活は続く。
そしてきっとその象徴が『一日三食絶対食べたい』なんでしょうね。きっと。
レビュアー
静岡育ち、東京在住のプランナー1980年生まれ。電子書籍関連サービスのプロデュースや、オンラインメディアのプランニングとマネタイズで生計を立てる。マンガ好きが昂じ壁一面の本棚を作るものの、日々増え続けるコミックスによる収納限界の訪れは間近に迫っている。