もしも人間の暮らしにとって、「食事」が楽しいものではなかったら? きっと、日本に暮らしている健康な人であれば、まず考えたこともない観点だと思います。だいいち、1日のなかで1、2を争うお楽しみタイムが食事の時間じゃないでしょうか。あるいは睡眠かお風呂。
そんな人生の楽しみと言える食事。おいしいとはどういうことなのか、どういう概念なのかというテーマに異世界ファンタジーという切り口で迫る異色作が本作、『マズ飯エルフと遊牧暮らし』です。
本作は、「おいしい」という概念がない世界に飛ばされた主人公が、包丁と自分の料理スキルを振るってエルフの食生活を改善していく痛快?グルメファンタジーです。
主人公のサブローは、肩を壊した野球部の元エース。今は学校の食堂を手伝うことで栄養面から野球部の仲間を支えているマネージャーだったのですが、ある日突然、食堂のおばちゃんの旦那さんが「残した」包丁を振るって料理をしていたら、突然異世界に飛ばされてしまいます。
飛ばされた先は果てしない大草原。飲まず食わずで3日間さまよい、行き倒れ寸前のところをエルフの遊牧民に助けられるも、そこで出される食べ物は想像を超えてマズかった……。
こんなものを喰わされ続けたら死んでしまう! ということで自ら包丁を振るってエルフの遊牧民達に「おいしい」体験を伝えていく物語です。
とはいえ日本に暮らしていれば、食べ物がマズかったとしても限度があります。しかしサブローが助けてもらった際に食わされたものは灰汁(あく)すらとらず、素材の下処理もしない謎の煮込み。飲み込むのすら困難なほど、ひどい味です。しかもその他にメニューは無し。
この世界における「食事」とは、なんとかお腹にミルクと一緒に流し込んでカロリーを得るためだけに存在している物体と、それを摂取するための必要だが、とてもつらい行為だったのです。
そんな食が破滅している世界でサブローが発揮する、調理に際して発揮される的確な判断力と発想力という能力でした。
・煮炊きするための燃料はヤギ的な生き物の糞を乾燥したものだから火力が弱い
・謎の煮込みは野菜が生煮え→だから弱い火力でも生煮えを防ぐために野菜を細かく刻んで柔らかく仕上げる
・下処理もせずにただ鍋に放り込んだ肉を煮立てただけなので灰汁がすごい
・ムダにフラワー(小麦粉)を鍋に入れただけだからそもそもおいしくない→骨を砕いて出汁(だし)を取り、小麦粉は練って皮を作り、肉をミンチに餃子にして水餃子にする
というように、同じ素材と同じ条件でよりよいものを作りだしてきます。
こうしてできあがった料理は、エルフ族のヒロイン「ポポ」どころか、族長までも感動させてしまうほど。
サブローが腕を振るった料理は「食事なのに食べたいと思う」とまで言わせてしまうエポックメイキングな出来事だったのです。
剣を振るったり科学力を誇ったりしてチートするばかりが異世界ものではないとばかりに、実際の暮らしに基づいた主人公の知見によって同条件でよりよい結果を生み出す姿勢は、まるで食に対する思考実験のようで興味深く読み進められることでしょう。
そして、とんでもなくマズい、ごった煮一辺倒だったエルフの部族に炙(あぶ)りや鉄板焼きをもたらし、味覚を開拓していく過程で少しずつ「食」の技術が進歩していくのも、サンドボックスゲームのクラフト要素のようで読者を飽きさせません。
むしろ、「無」から技術や体験をエルフに伝えていくサブローの解説と描写は、料理をほとんどしたことがない人にも灰汁(あく)取りの必要性だとか、下処理の重要性など、調理方法の概念を伝えてくれます。
森の恵み=食べ物を粗末にしたと判断されたら、食事を“作った人”に裁きが下され「首がちょんと飛ぶ」しきたりをもつエルフの部族。だからこそ調理の技術が進歩していかなかったのかも知れません。そんな命がけの条件で料理人生活を送らんとするサブローはこれからどうなってしまうのか、どう解決していくのか? 興味は尽きません。
サブローが「揚げ物」や、「からいモノ」、「苦いモノ」に挑戦する際にエルフのポポがどのような反応をするのか、いまからとても楽しみです。
始めは自炊に1人で挑戦する人向けにオススメじゃないかと思ったんですが、現在進行形で家族やパートナーのメシマズに苦しんでいる人にも効くかもしれませんね。
Quality of Lifeの向上は食生活の向上から! サブローの異世界生活はきっと実生活にも役立ちますよ。
レビュアー
静岡育ち、東京在住のプランナー1980年生まれ。電子書籍関連サービスのプロデュースや、オンラインメディアのプランニングとマネタイズで生計を立てる。マンガ好きが昂じ壁一面の本棚を作るものの、日々増え続けるコミックスによる収納限界の訪れは間近に迫っている。