わたしたちはその命の短さで値打ちを減らされることはないし、その場限りの危なっかしい関係だとしても無ではない。そういうことをときどき確かめながら読むマンガだ。2012年の新宿・歌舞伎町を舞台とする『みいちゃんと山田さん』は、始まった瞬間から破滅的なカウントダウンに向かって進んでいく。
夜な夜な売買春が繰り広げられる大久保公園も、2012年と今とでは、集まる人の傾向も、漂う空気も、そして“面白いもん”への印象もちがっていた。
それはそれとして、カウントダウンのことはそっと横に置いて彼女たちの物語を楽しんでいる。だって命の短さで値打ちは減らないのだから。そしてそんなことを考えるヒマがあるなら、その時間をつかって静かにこの作品を読みたいのだ。
本作のベースとなるマンガが最初に公開された場所はX(旧Twitter)だった。ずば抜けておもしろくて当時から異彩を放っていたが、SNSから商業コミックに戦場を移して、豊かにパワーアップしている。亜月ねね先生のXのアカウントで当時のマンガも公開されているので、ぜひ読み比べてみてほしい。
“みいちゃん”は歌舞伎町のキャバクラ“Ephemere” の体入(体験入店)に現れた女の子。
元気で、かわいくて、ヤル気まんまんだけど、漢字がひとつも読めない(小学生で習うような漢字も無理)。そして仕事も覚えられない。
何度言ってもみいちゃんはミスを連発する(お客さんの描写も本作の見どころ。読者に「こういう人、絶対にいる……!」と思わせる迫力がある)。
そんなだから、みいちゃんは、水商売をはじめとする夜職の人たちの処世術も知らない。
異様に汚い字でゴリゴリの本名を記して元気よく接客中。みいちゃんはお客さんに聞かれたら氏名もLINEも住所も豪快にフル開示。それはどういうことなのか。
巧みなページだと思う。夜の街で本当のことをペラペラ話す行為は、美徳でも優良サービスでもなく、ただただ「危険だな」と思われること。そしてこの店の先輩キャスト“マミちゃん”が名乗った“山田”という名字は明らかに偽名だ。山田さんのカラッと嘘をつく顔がとてもいい。みいちゃんはそれが本名だと信じたのだろうが。
「ぶっ飛んでる子って一見面白いからみんな近づくんだけど」
山田さんは次第にみいちゃんのことが放っておけなくなる。というか、たいていの人は放っておけない。あまりに稚拙で危なっかしくて「そんなこともできないの?」と思って、その程度のことなら自分にも教えられるような気がして、つい手を差し伸べてみたくなるのだ。
同じキャバクラに勤める大学3年生の“ココロちゃん”も、漢字の読み書きが一切できないみいちゃんに漢字ドリルを与えてお勉強を教えてみることに。
みいちゃんは素人のココロちゃんの手に負えるような存在ではなかった。こうしてままごとのようなお勉強タイムは1週間もしないうちに終わった。
みいちゃんは怒られると過剰反応するが、自分にはできないことがあって、それでとても不自由だということは薄々わかっているし、みんなから「かわいそう」と思われていることもわかっている。そしてそれがとてもつらい。やがて、お店でみいちゃんとまともに会話をするのは山田さんだけになる。
では山田さんはどんな人なのか。
2012年の山田さんは、過干渉で支配的な母親から逃れるように東京でひとり暮らしをして、キャバクラで生計を立て、今にも大学をドロップアウトしそうだった。キャバクラでの仕事はあくまでその場しのぎ。
やりたいこともなく、とても中途半端な山田さんだが、秀でている部分はたくさんあった。例えば、(みいちゃんとちがって)大きなトラブルを起こさず仕事をこなせる。そしてこんな特技があった。
絵がとても上手。お店のグラスを割りまくるから、キャバクラ嬢なのに幼稚園児のように割れないマグカップを持たされ働くことになったみいちゃんを元気づけたのは山田さんの絵だった。
無邪気にはしゃぐみいちゃんがかわいい。大喜びするみいちゃんの姿は山田さんの心にも響くらしい。山田さんをそんな気持ちにできる人なんて、今までいなかったのに。
とはいえヤル気に満ちたみいちゃんが「お仕事もっとがんばるぞー!」とがんばった先には、やはり深刻なトラブルが待っているのだが。
カウントダウンを知っている読者のわたしたちは、彼女たちのはかなさも知っている(Ephemereというキャバクラの店名からもそれは察せられる)。なのに、みいちゃんと山田さんの結びつきが愛しくてしょうがなくなる。ほんの一瞬だけの優しさや、かりそめのつながりのようにみえるが、それが2人の間に積もっていくのを感じるからだ。2巻で待っているであろう新展開が待ち遠しい。
レビュアー
花森リド
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori