主人公はヒーローでなければならない。
これは少年マンガの鉄則です。少年マンガの主人公は、読者である少年が「こういう人になりたいなあ!」と思えるような存在でなければなりません。多くの場合、これは大人向けのマンガにもあてはまります。
本作の主人公である哲也もまた、そういう「少年マンガの主人公」の特徴をじゅうぶんに備えた存在であると言えるでしょう。麻雀はめっぽう強いし、負けないし、男らしいし、女性にモテる。まさに主人公らしい主人公のひとりだと言うことができます。
ところが、哲也はギャンブル以外はまるでできない人です。ごく初期に、彼は師匠の房州にこう言っています。
「俺にはこれ(ギャンブル)しかねえ……
他に何の道も残ってねえんだ!!」
まさにそのとおりで、彼ができるのはこれだけです。後のストーリーで彼は旅館に住み込みで働いたり会社に就職したりするのですが、およそ役に立ちません。牌を握ればすごいが、それ以外は半人前以下の人。マトモな社会生活を送れない人。哲也はそういう人である──これは、作品の早い段階から作者に了解されていました。
じつは、ここに出てくる人(玄人、バイニンと読む)はどいつもこいつそういう人ばっかりです。基本的に社会不適合であり、嘘をつくのがうまくて、人をダマすのが得意な人。いわばホンモノのロクデナシ。この作品には、そんな人ばっかり出てきます。
哲也はヒーローですから、そういう人を次々と倒していきます。ところが、当の哲也もそのあたりの性質はまったく変わりません。たとえば、彼の必殺技はツバメ返しですが、これは早い話がイカサマ技であり、人を欺いてボロ儲けするための技です。
あえて意地の悪い言い方をするならば、『哲也』とは、マトモな社会生活を送れない人が、他人をダマして勝ち上がる話であると言うことができます。そんなもん少年に読ませていいのかよって思いませんか?
……いいんだよ。あらゆる少年に読ませたいぐらいさ。
そう思えるのは、この作品がこの作品でしか語れない、とても大切なことを語っているからです。
それを強く表現しているのは、主人公の哲也ではなく、印南というキャラクターでしょう。彼の死のエピソードは、連続4話、主人公そっちのけで語られました。そんな人物は彼だけです。いかにこの話が重要だったかということがわかります。
印南は死神とあだ名されるほど怖い顔の人です。しかも彼は、覚醒剤中毒であるという特性を持っています。当時は合法だったそうですが、ヤク中はヤク中です。前述したように、『哲也』にはロクデナシばかり出てくるのですが、彼はもっともひどい人だと言えるでしょう。マトモな職業につかずに(つけずに)フラフラしてるうえに、ヤク中なんですから! 「クズ」と言われてもまったく不思議はありません。「あらゆるマンガ・キャラクターの中で、もっともダメな人は印南である」そう語ってもたぶん、言い過ぎにはならないでしょう。
だが、クズと呼ばれるような人物でも、誇り高くあることはできる。印南が命を賭して語ったのは、そのことでした。
思えば、『哲也』はたいへん早い時期(第1話)から、「人はなぜ死ぬのか」という問いを投げかけてきました。これは答えのない問いで、たとえ答えを得たとしてもどうすることもできません。
この問いは「どう生きるのか」という問いと裏表であり、『哲也』のテーマはそれを追求することにあったといってもいいでしょう。印南の生き様/死に様がていねいに描かれたのは、物語のテーマがここに凝縮されていたからです。
最後に、大事なことを伝えておかなければなりません。
『哲也』は麻雀マンガではありません。したがって麻雀のルールを知らない人も楽しむことができます。いくら主人公が名うての麻雀打ちだって、大三元とか九連宝燈とか、役満がこんなにボンボン出ることはあり得ません。すなわち、役満とは勝敗を伝えるための記号であり、大切なのはどうやって勝ったかではなく、なぜ勝ったかです。麻雀のゲームそのものよりも心のありようが重視されているといっていいでしょう。
また、誤解の多いところですが、『哲也』は阿佐田哲也の小説のマンガ化ではありません。主人公の哲也をはじめ、ライバルのドサ健、ダンチ、ドテ子など、小説と共通するキャラクターは多数登場しますが、プロフィールも背景となるストーリーも異なっています。阿佐田哲也からエッセンスをもらってきた、という言い方が適当かと思われます。
レビュアー
早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。