ブルーズとは「憑く」音楽である。
たしか渋谷の飲み屋だったと記憶する。老舗のブルーズバンドが出演するというので、出かけていった。行ってみて、驚いた。お客の数よりバンドの人数のほうが多かったのだ。そのくせ、腕前は相当のものだった。スタジオミュージシャンでも十分やっていけるだろう。だが、彼らがそれをしていないのは明らかだった。他の仕事をやって稼ぎながら、ブルーズを続けているのだ。
憑かれてるからだと思った。
ブルーズが「憑く」。
つまりそれはどういうことなのか。
『俺と悪魔のブルーズ』はそれを描いた作品である。この作品に描かれた漆黒の恐怖は、すべてそこに端を発している。
主人公のモデルとなったブルーズマン、ロバート・ジョンソンは「十字路で悪魔と出会い、魂とひきかえにブルーズを手に入れた」と伝えられる人物だ。近年の研究によれば、この伝説は当時、ほかのブルーズマンの宣伝文句だったそうで(「悪魔に魂を売ったブルーズマン」がよい宣伝になったことは容易に想像できる)、ジョンソンのものではなかったらしいが、彼が十字路を歌い、「俺と悪魔」について歌い、「地獄の猟犬」について歌い、「目覚めたらブルーズが部屋を歩いていた」と歌っていたのは事実である。
つまり彼は、「自分はブルーズに憑かれており、それから逃れることはできない」と幾度となく歌っていたのだ。
本作は、週刊青年マンガ誌「ヤングマガジン」で『アゴなしゲンさんとオレ物語』を10年以上にわたって連載し、やがて大ヒット作『監獄学園』を描くことになる平本アキラが、『アゴゲン』と『監獄学園』の間に執筆していた作品である。当初の掲載誌は「アフタヌーン」だった。ハッキリ言って人気はなかったし、ネタ的にもかなり地味だった。なにしろ、「奴隷制が色濃く残った時代のアメリカ南部、黒人の話」である。ウケるはずねえよそんなの。
だが、毎号かかさず読んでいた。
ブルーズが好きだったから、ではない。
作者・平本アキラの表現力に目を見張ったからだ。
平本アキラは、今でこそかわいい女の子と肉感的なエロを描ける絵のうまい作家と認知されているが、当時の自分にとって(そして読者のほとんどにとって)、彼は『アゴなしゲンさんとオレ物語』の作家だった。この作品は、ページ数が限定されたギャグマンガである。多くのギャグマンガがそうであるように、おもしろいときとそうでないときの振幅も激しかった。
ギャグマンガ家とは、たいへんな職業である。毎回、人を笑わせるようなことを考えつかねばならない。その点では漫才やコントだって同じだが、あれは同じものをくりかえし演じることが可能なのだ。だが、ギャグマンガはそうではない。常に新しいものを生み出さなければならない。それゆえ狂気の世界に足を踏み入れたギャグマンガ家は数多くいた。そのうち何人かは、行ったきり戻ってこなかった。
そういう狂気は、本作を描く際にも大きな影響を与えたと思われる。たとえばこの作品の冒頭で悪魔が描かれるが、あれは実際に見た人しか描けない絵だ。
だが、目を見張ったのはそこではない。
むしろなんでもない、マンガのもっともマンガ的な部分のテクニックに目を見張ったのである。「平本アキラってこんなに絵がうまかったっけ?」「ストーリーテリングに秀でていたっけ?」おおいに驚かされたのだ。おそらくは『アゴゲン』を描くうちに身についたテクニックなのだろう。だが、『アゴゲン』がギャグマンガであるゆえに、気づかずにいたのだ。それがストーリーマンガの世界で全開になったとき、すさまじい上達に見えた。まるで悪魔に魂を売り渡したようだ、と思った。
もうひとつ、驚いたことがあった。思わず「あっ」と声をあげた。
主人公RJの手がとつぜん変化し、10本指になったときだ。
キース・リチャーズはロバート・ジョンソンをはじめて聴いたとき、2人で弾いていると思ったという。また、ジョンソンの超絶テクニックはいまだにコピーできず、どう弾いているかまるでわからないという(幾多のカバーは、エリック・クラプトンのそれを含め、完コピにはほど遠い)。10本指という発想は、おそらくそこから得たものだろう。
だが、普通は「超絶技巧はわれわれと同じ肉体から生み出されていた」という決まりきった思考から逸脱できないのである。しかし、平本アキラは描いてみせたのだ。「彼は常人ならざる身体を持っていたから、常人ならざるプレイができたのだ」と。
すごい発想だと思った。しかも、じゅうぶんにリアリティある話なのだ。なにしろ写真が2枚しか残ってない人のことである。映像なんかあるはずないし、実際に演奏しているところを見た人もほとんどいない。
また、この表現は「悪魔に魂を売る」とはどういうことか、見事に説明していた。「壁に向かって演奏していた」という伝説にも、「テクニックを盗まれるのを恐れた」というつまらない解釈より、ずっと魅力的な理由をつけている。
この作品は長く連載休止していたが、2014年、「アフタヌーン」から「ヤングマガジン・サード」に掲載誌を移して続編が執筆された。現在入手できるコミックス最新刊5巻は、このときのものがもとになっている。
現実的な話をすれば、この物語は描き継がれなくてもよい物語なのである。すくなくとも経済的には、作者にこれをやるメリットはまったくない。こんな作品、好事家が評価して終わりだ。『俺と悪魔のブルーズ』の続編を描く力があるんなら、同じ労力で『監獄学園』外伝でも異聞でも描いてくれよ。版元サイドのホンネはそれだろうし、作者もそれは承知しているだろう。
だが、この作品は描き継がれた。時間はかかるかもしれないが、おそらく、この作品は完結するまで描かれるだろう。
なぜ?
平本アキラが「憑かれた人」だからだ。「あいつ」が描けというからだ。
コミックスの解説には、永井ホトケ隆、鮎川誠、吾妻光良、仲井戸麗市など、「憑かれた人」の名前が並んでいる。
レビュアー
早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』『SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。