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2016.12.31

レビュー

『奇子』はなぜエロいのか? 幽閉少女に性と生を見る、手塚治虫の問題作

小児は白き糸のごとしという。残念ながら見たことはないが、取れたての生糸とはたいそう美しいそうで「この世にこれ以上白いものはない」と形容しても決して言い過ぎにはならないほどに白いそうだ。

だが、その白さを維持することはできない。時間が経てばかならず白さは失われ、汚れが目立つようになっていく。

人も同じだ。古今東西すべての親が、最低いちどは「この子の白さを維持したい」と願ったことだろう。しかし、子供はいつまでも白いままではいられない。成長し大人に近づくにつれ、幼少時に備えていた白さ・美しさは失われていく。

なぜ失われてしまうのか?

親や教師、兄弟や友達など、さまざまな人の影響を受けるためである。だとすれば、無菌室で植物を培養するように、外界に一切ふれずに成長させれば、人は白いまま大人になることができるのではないか。幼少時の白さ・美しさを維持したままでいられるのではないか。

これを重要なテーマとした有名な物語がふたつある。ひとつはザ・フーのロック・オペラ『トミー』であり、もうひとつは日本のマンガ『奇子』だ。

トミーは見えない・聞けない・話せない、三重苦の少年である。彼は幼少時に母親の不義の現場を目撃し、さらには父親がその不義の相手を殺害するさまも見てしまった。彼は両親に「おまえは見てはいないし、聞いてもいない、語ってはならない」と幾度となく諭される。以降、彼は感覚を捨て、三重苦の世界にひきこもるようになったのだ。彼はinner block──すなわち内面世界だけを対話相手にして成長した。

一方、奇子は旧家の当主と息子の嫁との間にできた不義の子として生を受ける。その出生の秘密、さらには家内の殺人者の秘密を守るために、彼女は幼くして蔵の中に幽閉されてしまう。戸籍も抹消され、いないものとして扱われることになるのだ。

トミーも奇子も、外界からの影響を一切受けずに成長した。白いまま・美しいまま・純粋なまま大人になった。ただし、その発露の仕方には若干の相違がある。

トミーは奇跡の治癒と呼ばれる体験によって三重苦を克服し、スターダムにのしあがり、新興宗教をひらく。彼の「純粋さ」は人を教え、導くものとして表れたのだ。

荒唐無稽な物語だが、ロック・コンサートと宗教祭祀は本質的に同じものであり、それはわれわれの不幸に起因すると喝破したのは、この作品が最初だった。デビッド・ボウイのジギー・スターダストは、『トミー』と同じテーマを扱っている。

一方、奇子は赤子のように一点の汚れもない、人間ばなれした美しさを持つ成熟した女性として成長した。精神も成長する機会を持たなかったから、常識に属することは一切知らない。彼女はお金の使い方を知らないし、なにより「好き」であることは「セックスすること」と同義だと思い込んでいる。なんだ、そこらへんの女子高生でも持ってる貞操観念と同じじゃないか、と考えてはならない。彼女はloveとlikeの間に本質的差異を認めておらず、たとえ相手が近親であっても「好き」であればセックスするのだ。

常識はずれに美しい女が、好きと言いながら体を求めてくる……こりゃたまりませんぜダンナ。

『奇子』はエロい物語である。他では味わえないこのエロさを堪能するのも、本書の大事な眼目のひとつである。それだけを求めて接してもまったく損をすることはない。

とはいえ、奇子エロいよだけではポン引きのオッサンと言ってること変わらないので、ひとつだけ指摘させてもらおう。

この物語は、第二次大戦敗戦後の一連の事件──復員、GHQによる占領支配、東京裁判、農地改革(旧家の没落)、国鉄総裁の突然死などを背景としている。おそらく、この時代でなければ、旧家の蔵の中に幽閉され外界にふれず育つ少女という設定には現実感が生まれないだろう。この物語は、金田一耕助の探偵もの──『犬神家の一族』とか『八つ墓村』とか──と同じ舞台装置を要求するのだ。

そういう歴史的な背景をとりのぞいてみたとき、この作品の本質があらためて浮かび上がる。

ここに描かれた人物は、どいつもこいつもセックスを動機として動いている。セックスによって生じた恥部を隠そうとするから、少女が蔵に幽閉されたり、人が命を落としたり、さまざまな悲劇が生まれるのだ。セックス、セックス、セックスである……まったく、なんて醜い世界なんだろう!

しかし、人間とはそういう動物なのだ。この世の中とはそういうものなのだ。白き糸のまま成長し、誰よりも純粋な奇子が、誰よりも正直にセックスを求める女性になっているように。

第1話の末尾にはハエの交尾が描かれ、この作品のテーマがハッキリと示されている。

誰だって自分の生を正しいものと思いたい。間違ってないと思いたい。それゆえに多くの人は、自分のいる場所がどんな場所なのか思いを馳せることなくして死んでいく。あるいは、わからないふりをして一生を終える。

この作品は、奇子という淫乱な(と言ってもいいだろう)少女を通して、この世のありさまを明確に示した快作である。

奇子をエロいと感じる人は、なぜ彼女はエロいのか考えてみることをオススメしたい。彼女のエロさは、おそらく同性愛の方でもご理解いただけることだろう。

まー、そんな面倒なこと考えて読むもんじゃないけどね、マンガって。

レビュアー

草野真一 イメージ
草野真一

早稲田大学卒。書籍編集者として100冊以上の本を企画・編集(うち半分を執筆)。日本に本格的なIT教育を普及させるため、国内ではじめての小中学生向けプログラミング学習機関「TENTO」を設立。TENTO名義で『12歳からはじめるHTML5とCSS3』(ラトルズ)を、個人名義で講談社ブルーバックス『メールはなぜ届くのか』SNSって面白いの?』を出版。「IT知識は万人が持つべき基礎素養」が持論。2013年より身体障害者になった。

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