再会した初恋の人は車椅子利用者だった──。脊髄損傷を負った男性との恋愛を描く漫画『パーフェクトワールド』(講談社「Kiss」連載中)の3巻が発売された。脊髄損傷者の直面する問題や、キャラクターの葛藤をリアルに描き、今大きな反響を呼んでいる。作者である漫画家の有賀リエさんと連載当初から取材協力をする建築士の阿部一雄さんに話をうかがった。
長野県出身。『天体観測』で「Kissゴールド賞」受賞し、デビュー。代表作に大学天文部を描いた『オールトの雲から』がある。
愛知県出身。阿部建設株式会社代表取締役。一級建築士。オートバイのレース中に転倒し脊髄を損傷、車椅子となる。車椅子でのマラソンや富士登山などアクティブな活動で知られる。
批判も覚悟して
阿部一雄(以下阿部)僕ね、この漫画のすごいところは、障害者の僕が読んでもまったく違和感がないところだと思うのです。たとえば、デート中に樹(いつき)に向けられる視線に、つぐみが不快感を抱くところは本当にリアル。受傷後、はじめて出かけた時のことを思い出しました。皆が自分のことを見ているような、何とも言えない居心地の悪さは今でも変わりません。読者さんの反応はいかがでしたか?
有賀リエ(以下有賀)批判も覚悟していましたが、概ね好意的でした。最近見た感想で印象的だったのは「たまたま身近に障害を持つ人がいないからわからないし、気になるけれど今もわからないままでいる。でもこの漫画を読むと身近に感じられる」というものです。 この漫画はあくまでも恋愛漫画として描いていますが、障害のこともちゃんとお話に盛り込めたかなと思いました。他にはストーリーに感動したというお手紙もいただきました。
阿部:僕この漫画のコミックスを人に渡す時、「何回泣いたか教えてね」って聞いているんですよ(笑)。
有賀:そうなんですか(笑)。でも「泣かせよう」と思って描いたことは一度もなくって、つぐみや樹の人生を追っているという気持ちです。
阿部:だから等身大に感じるのかな。僕はこの漫画を読むとすごくスッキリします。障害者は悔しさや怒り、やるせなさを常に抱えています。この漫画に出てくる登場人物たちは、樹だけでなくつぐみや家族も悩んで、凹んで、揺らいでいてとても人間らしい。そういった心の中のモヤモヤした気持ちが絵と文字で表現されている。そんな人物たちだからこそ読んだ人が感情移入できるし、「もし自分だったら?」とより身近なこととして考えられるのだろうと思います。
「描いてはいけないのでは」という思いと
有賀:実は当初、つぐみも樹も全然違う性格でした。つぐみは初恋の男の子が車椅子になって現れ、びっくりするものの割と簡単に受け入れて好きになっちゃうような子でした。樹はちょっとツンデレで冷たい子というテンプレキャラクターでした。
阿部:何というかサラっとしてますね。戸惑いや葛藤がない。
有賀:表面的過ぎたのだと思います。だからネームに行き詰まってしまって。そんな時、障害に接した時に感じる思いを漫画にすることに、私自身がためらいを感じていると気づいたのです。 それから担当さんと打ち合わせを重ね、実際にあったり感じるたりすることだったら、ちゃんと真正面から描こうと決意しました。
阿部:そういった気持ちは自然なものですからね。
有賀:誰もが感じる思いを描こうとした結果、つぐみはどこにでもいる普通の子になりました。思い悩みすぎるきらいがあるけれど、一途なところが魅力です。小さなことを大きく悩むのは私っぽいかもしれません(笑)。
阿部:樹が「ウンコもらすことあるよ」と口にしているのもすごくリアルですよね。もしかしたら、女性漫画のヒーローとしてはらしくないかもしれない。でも脊髄を損傷すると、下半身のコントロールがきかないので肛門が緩んでちょっと腹圧かけたりすると出てしまう。これは避けて通れません。おしっこや排便のコントロールが出来てこそ一人前の障害者、という共通語があるくらいですから。お話しさせていただいたことがキチンと描かれていたので感動しました。
有賀:多くの人がブログなどで、割とオープンにしているので、樹にとっても当たり前のこととして描きました。樹を描いていると、人間としての本質的な強さとは何なのだろうとよく考えます。「自分は弱い人間だ」とかデリケートな部分をサラッと口に出来るのは彼の強さだと思うんです。
初恋の人との久しぶりの再会。胸を躍らせたつぐみだが、車椅子姿を見て言葉を失ってしまう。
はじめて任された大きな仕事。没頭するあまり樹は体調を崩してしまう。
大切な人のために何が出来るのか
阿部:僕ね、2巻でつぐみが駅のホームから落ちたのを見て、ハッとしたんですよ。もともと僕が有賀さんに「こんなのどうですか?」と言っていたのと逆のシチュエーションでしたよね。
有賀:そうですね。確か「つぐみと樹が河原を散歩していて、堤防のところから樹が転がり落ちてしまう」というお話だったと思います。
阿部:僕は自分が車椅子だから、樹がアクシデントに遭うシチュエーションが自然と思い浮かびました。健常者であるつぐみの方が危ない目に遭うなんて思いつきませんでした。
有賀:逆にしようと思ったきっかけは、取材させていただいた方々が、大事な人のためにしてあげられないことがつらいとおっしゃっていたことでした。自分自身が障害を持っていることは大変だしきついけれど、それと同じくらい大切な人に与えられないことがつらいのだなと。
阿部:それは僕も感じています。樹は目の前にいたのに彼女を助けられず無力感に苦しむ。一方つぐみは樹に心配をかけてしまったことや自分の弱さに苦しむ。自分も傷ついているけれど、相手も傷ついているという……、あらためて見てもすごいシーンだと思います。
有賀:このシーンを描いて、何も問題がなくて完璧に満たされた状態だからといって、幸せに暮らせるかというと必ずしもそうじゃないと思いました。お互い相手のために出来ないことがあるからこそ、大切にしようと思えたり、出来ることが輝くこともあるだろうと。
阿部:現実としては、障害を負うと離婚率が高まる傾向にあります。突如障害者になったパートナーを受け止めきれず、相手の方がキャパオーバーになってしまうからです。僕と奥さんも一時期心が離れてしまったことがありました。
有賀:どうやって関係を修復したのですか?
阿部:障害が日常になるにつれて自然と、ですね。今では以前よりずっと仲良くなりました。有賀さんがおっしゃったように、限られているからこそ相手への思いが研ぎ澄まされたような気がします。
体調を崩した末にめまいを起こし、ホームから転落したつぐみ。伸ばした手は無情にも届かない。
もし車椅子じゃなかったら──。己の無力さに樹は打ちひしがれる。
本当のバリアフリーとは何か
阿部:僕は普段建築士として色んな障害を持った方のバリアフリー住宅設計に関わる中で、バリアフリーには体のバリアだけでなく心のバリアもあると感じているんです。
有賀:体の方はハード面ですよね。心のバリアとはどういうことですか?
阿部:障害があるから出来ない、自分はここまでだと限界点を決めてしまうことです。1巻に出てきた高校生で車椅子になった晴人くんがそうですね。さらに心のバリアは当人だけでなく家族にも起こりえます。たとえば自分の子供が車椅子になってしまったら、将来のことを考えて出来る限りのことをしてあげたいと思いますよね。僕が設計を担当する時、本人よりも家族と話すのは、まず家族の心のバリアを取り払いたいと思っているからなんです。そうじゃないと家族は我慢してしまうんですよ。
有賀:障害を持っている相手を思うあまり、自分のことを後回しにしちゃうんですよね。
阿部:そうです。そして障害を持っている人間は自分の生活が家族の犠牲の上に成り立っていると後で気づく。家っていうのは家族・パートナーと住む場所です。毎日生活していく場所だからこそ、障害を腫れ物のように扱ったり、無理をしてはいけない。障害は日常の一部なんです。
有賀:日本は障害者の存在に慣れていないですよね。障害を持った方のブログで「海外ドラマにみたいに普通に障害を持った人が出てきてもいいのに」と書いてあって、その通りだと思いました。たとえば私が漫画の脇役に車椅子の人を出したら、その理由を聞かれると思うんですよ。
阿部:そうでしょうね。本当に慣れていない。だから過剰なんです。樹も僕も歩けないだけで他の人間と何ら変わりがない。もっと日常の中に落としてもらっていいんです。
障害を受け入れられず、引きこもる晴人。樹が投げかける言葉は──。
障害を日常として捉える
阿部:今だから言えますが、取材の依頼を受けた当初、本当に僕の話が恋愛漫画になるのかなって思っていたんですよ(笑)。
有賀:えっ、そうなんですか(笑)。
阿部:障害にまつわることはネガティブな考えがついてまわりますから、女性向けの雑誌で車椅子の建築士との恋愛漫画と言われてもピンときませんでした。でもつぐみが車椅子の樹に後ろから抱きついているのを見て、すごく良いなと思いました。女性の方から寄り添いたくなる気持ちが、日常の中で自然に表現されているなって。
有賀:つぐみと樹は手をつないで歩くことが出来ません。でも車椅子だからこそ出来ることが絶対あるし、そういうトキメキポイントは入れようと思っていました。車椅子から降りた樹が床をポンポンって叩いて隣につぐみを呼ぶシーンは、つぐみがくっついて甘えたくなっちゃうだろうなあと思いながら描きました。
阿部:新鮮だなあ。そういえば、ヘルパーの長沢さんがつぐみの恋敵として出てくる前、お電話をいただきましたよね。
有賀:「看護師さんや理学療法士、作業療法士の人に恋愛感情を持つことってありますか?」とか「実際結婚した方はいるんですか」とか「阿部さんはどうでしたか」とか色々質問しちゃいましたよね。女性側、男性側、色んな立場の人のことをあれこれ教えていただき、とても参考になりました。
阿部:彼女のように白か黒かはっきりと先を示してくれる姉さん女房タイプの人は、障害に悩み苦しんでいる時は楽だし魅力的です。実際彼女が背中を押してくれたおかげで、樹は建築士への道を歩み始めますし。
有賀:そうですね。元看護師でヘルパーの長沢さんはずっと障害のある人に向き合ってきた人ですから、彼女が言っていることは正しいという感想もあるんです。「障害を日常としてとらえることができなければ、どんなに好き合っていても一緒にはいられない」という長沢さんのセリフは、取材でいろいろな方から聞いたことが元になっています。好きなだけではやっていけないという現実は、これからつぐみが越えていかなければならない問題です。ちょっとネタバレになってしまいますが、3巻でつぐみと樹は大きな壁にぶつかるのですが、そんな二人が再びスタートするためには、あらためて障害との付き合い方を考える必要があると思うんです。
長沢につきつけられた現実。つぐみは反論する術を持たなかった。
不完全な二人が向かう未来
阿部:タイトルの『パーフェクトワールド』はどのようにして決まったのですか?
有賀:最初は響きが美しいなと思いました。このタイトルは、樹側の視点です。この作品のアオリやキャッチで「この世界は不完全 君がいなければ」と打たれているので、お気づきの方もいるかもしれません。それともう一つ、樹自身がどんなに頑張っても出来ないことはあるし、満たされない部分がある自分を不完全な存在だと思っていることも大きく影響しています。『パーフェクトワールド』は、そんな彼がつぐみという大切な人と出会い、二人でいろいろなものを乗り越え絆を深めた末に、世界を完璧だと思えるまでを描こうという物語です。
阿部:僕ね、数年前に車椅子で富士山に登ったのです。2度失敗して、3度目の正直でした。その時テーマとして掲げたのが「挑戦心」「勇気」「感謝」でした。この時の僕と同じ気持ちを、樹とこの漫画から感じるんです。
有賀:阿部さんにそういってもらえるとうれしいです。障害を持っている人の排泄のことなど、この漫画にはデリケートな話がたくさん出てきます。でも本当のことだからとバンバン入れているかというとそうでもなくて、躊躇して常に悩んでいます。漫画はベストがないと言われるように、描き終わってもあれで良かったのかと考えるんです。でもこの漫画はそういう漫画だし、これからもネームに苦労して悩みながら描いていきたいと思っています。