異世界をオタク文化で「侵略」する、というヤバい発想のラノベがある。
2013年にアニメ化を果たしているので、作品名は耳にしたことがあるかもしれない。そう、『アウトブレイク・カンパニー 萌える侵略者』のことだ。ストーリーはもうご存じの方も多いだろうが、アニメ視聴組のおさらいも兼ねて、簡単にではあるが紹介しておこう。
青木ヶ原樹海で発見された謎の穴、その向こうにはドラゴンが空を飛ぶファンタジー世界が広がっていた。かの地を統治する「神聖エルダント帝国」との交易を秘密裏に独占しようと考えた日本政府は、武力による侵略は現実的ではないと考え、アニメ・マンガ・ゲーム等のいわゆるオタクカルチャーの輸出に活路を見出した。
両親に家を追い出されかけた自宅警備員(ニート)・加納慎一(かのうしんいち)は、就職活動の最中に「アミュテック」という怪しい総合エンターテイメント商社を発見する。その実態はエルダント帝国との交易を担う「極東文化交流推進局」傘下の半官半民企業であった。そうとも知らずテストを軽々とパスした慎一は、深い見識と自由な立場を買われ、アミュテック社の総支配人に就任させられてしまう。
というわけで、慎一はハーフエルフの美少女メイド・ミュセルや巨乳自衛官の古賀沼美埜里(こがぬまみのり)に身の回りの世話を焼かれながら、自分の好きな作品を異世界人に布教していくことになる。しかもこの事業は国を挙げてのものだから、神聖エルダント皇帝ペトラルカ・アン・エルダント三世の庇護まで受けている。ちなみにこの皇帝は異文化に理解のあるおっさんとかではなく、尊大な金髪の幼女であり、オタク文化をマスターするために慎一のもとへ通ってはマンガの朗読をせがんだりするのだが、その際は当然ながら身体を密着させている。
本書はこのような「寝食の心配もなく国賓待遇で美少女たちに囲まれて好きな作品を思う存分布教できる」という願望充足要素がたっぷり含まれており、おまけに著者・榊一郎はライトノベル作家として20年近いキャリアを持つベテランだ。読みやすい文章や魅力のあるキャラ造形、万人受けするツボを心得ている。つまらないはずがない。
しかし、それ「だけ」の作品ではない。『アウトブレイク・カンパニー』が取り扱うのは「オタク文化」だ。「異世界にオタク文化を輸出したらどうなるか?」という問いを様々な角度から考え、異世界ハーレムモノの構造に違和感なくはめ込んでいる。筆者はあらすじを読んだ時に「これは異世界版クール・ジャパンでは?」と感じたが、実際、そのような読み方をしても楽しめるように練られているのだ。
例を挙げよう。『アウトブレイク・カンパニー』の世界では魔法の指輪をはめることで異世界人同士の意思の疎通が可能になるが、どうやらテレパシーのようなものらしく、紙に書かれた文字や録音された音声までは翻訳できない。こんな世界にマンガやアニメを輸出しようと思ったら、まずは日本語を教えなければならない。
ページをめくると隣でミュセルが嬉しそうな声を漏らす。
「これは旦那様のことですよね。私、読めます」
そう言って彼女が指さすのは、『可能』という文字に振られたルビだった。
『可能』と『加納』。
まあ確かに読みは同じだ。
「あ……音は一緒なんだけどね。でも意味はちょっと違うんだ」
「そうなんですか?」
「この漢字ってのはそれぞれ意味があって……たまたま、同じ音になってる単語でも意味が違う場合があるんだよ」(1巻p199)
たまにアニメやノベルゲームを楽しむために独学で日本語を学びました、という海外オタクがいる。エルダント帝国でも熱心な者は自主的に勉強するのだが、もちろん独学よりはきちんとした教育機関で学ぶ方がずっと飲み込みも早いだろう。慎一の手腕が光るのはここで、彼は1巻の時点でオタク文化の学校を作るよう提案している。
現実にオタク文化を輸出すると考えると、日本語というマイナーな言語を教えるより英訳した方がはるかに多くの読者に届いてしまうため、費用対効果の面であまり有効ではないかもしれないが、文化的なバックボーンもなしに楽しめる娯楽作品ばかりではないし、かといって全ての概念や文化を『Bushido』のように異国語で著述するのは骨が折れる。もし新渡戸稲造が『kawaii』や『moe』を書いてくれるなら話は別だが、そんな人間はいないのだから、まずは下地を学べる環境を整備するのが急務。これは国家ブランド戦略を考える上で実に示唆的な描写ではないだろうか。
しかしそのようなやり方には危険も伴う。エルダント帝国は封建社会、種族間の差別は当たり前のようにあり、メイドのミュセルや下男のブルークは「打擲(ちょうちゃく)を受けるのも給金の内」とばかりに虐げられる身分だ。近衛騎士には現代日本風の「騎士道」が通じない。
「どうやら君は騎士のというもののあり方を誤解しているようだ。いいかね。騎士とは神聖エルダント帝国という国体そのものを守る存在、この国の法と理の具現者だ。道理に反することならば身を挺して戦うが、筋道の通った出来事に介入する権利はない」
「筋道の通ったって――」
「彼女はエルフですらない――血の濁ったハーフエルフで、ペトラルカはエルダント帝国の皇帝だ。生殺与奪の権利は陛下にある」(1巻p225-226)
ところがオタク文化は現代日本の価値観をベースに作られている。しかもオタクは好きな作品となれば熱心に布教する伝道師のような性質を有しているため、感染力は非常に高い。エルダントに文化を輸出すれば、その背景にあるイデオロギーまで爆発的に浸透し、この世界を支えていた思想を丸ごと塗り替えてしまう恐れも出てくる。そして、学校は文化の発信基地だ。ここで学んだ生徒たちは世界を作り変えていくことになるだろう。
もちろんそんな蛮行をこの世界の保守派が許すはずもなく、慎一たちにはやがて魔の手が忍び寄ることになる。『アウトブレイク・カンパニー』は文化輸出の負の面――文化侵略さえも取り扱うのだ。
しかし、なにゆえ負の面まで描くのか?
ここから先はあくまで筆者の予想、というか個人的な見解としてお読みいただきたいのだが、『アウトブレイク・カンパニー』の根底には、作品をあるがままに愛したいという願いがあるのではないだろうか。自分の好きなアニメやマンガが武力に代わる侵略手段として使われるかもしれないという恐れ、外貨獲得のための商品として使われることへの寂しさ、表現規制運動の火種として槍玉にあげられる悲しさからは無縁でありたい。もっと卑近な例を挙げれば、オタクは読書冊数や観たアニメの本数で己の格を誇ることもあるし、売り上げ数で作品間の優劣を示したり、ダメな点をあげつらってその作品が好きなファンをおとしめたりすることもある。それは自分や誰かの「好き」をこん棒にして殴りつけるようなものだが、我々は戦いの道具にするために作品を求めたわけではなかったはずだ。
懐の深い作品だ。異世界モノやハーレムモノを読み慣れていても、こうした部分で引っかけられてナイーブな気持ちにさせられるのだから。まあ、文化輸出について考えるための示唆に富んだテキストとして本書を紹介している筆者の言では説得力はないかもしれないが、少なくとも多面的な魅力を持った作品であること、クール・ジャパンについて考える人にも刺さるような作品であることは、伝えられたのではないかと思う。
レビュアー
ミステリーとライトノベルを嗜むフリーライター。かつては「このライトノベルがすごい!」や「ミステリマガジン」にてライトノベル評を書いていたが、不幸にも腱鞘炎にかかってしまい、治療のため何年も断筆する羽目に。今年からはまた面白い作品を発掘・紹介していこうと思い執筆を開始した。