読後、自分の手元や胸元にとてもあたたかいものを感じるマンガだ。体の半分をもぎ取られるような思いをしてしまったあとでも、生きている限り人間には暮らしが待っていて、その暮らしのなかで喪失感は埋まりっこないかもしれないけれど、それまでとは別の何かが自分のどこかから育っていくんじゃないか。残り時間が長くても短くても、幼くても老いていても、チャンスは等しくあるのでは。『浦さんちのロスタイム』の人びとを見ていると、そう期待してしまう。
妻と娘に先立たれた71歳の“おじじ”と、13歳の孫娘“ニコ”。それまでろくに会ったこともなかった二人が家族として暮らしはじめると、まあ本当にいろんなことが起こる。
そうめんにツナを入れるかどうかだけで大騒ぎ(ツナそうめんおいしいよね!)。生活は事件の宝庫であり、本作はその生活の描写がとてもいい。そうめんが入ったざるの水滴や食卓に無造作に置かれたティッシュ箱から日常の匂いを感じる。そしてエピソードごとに登場する食べ物がこれまたリアルかつおいしそうなのだ(お風呂上がりのスイカアイスとか)。
事件はまだまだ続く。そもそも食べ物の好みどころか二人はお互いの距離感だってつかめていない。
とくに、おじじはとても頑固かつ不器用。13歳の子どもが71歳の祖父に向かって「世話をしてやる」と言ったなら、その実現性はさておき「ありがとね」くらいのレスポンスを繰り出せそうなのに「君の世話になるつもりはない」なんて仏頂面で突っぱねてしまう。
そしてうっかり口を滑らせたニコの言葉に、おじじはグサッとくる。そう、おじじは娘(ニコの母)の“一美”と絶縁状態で、彼が久々に知った娘の近況は訃報だったのだ。
おじじの喪失感は猛烈な後悔とともにある。彼をさいなむ虚しさやさみしさは身から出たサビだと本人は自覚しており、もっというと孫娘の登場で孤独な自分が救われるんじゃないかと一瞬期待してしまったことも、そんな生やさしいものではないことも、よくわかっている。とても繊細で聡い人だ。そして「なんてこと言っちゃったんだろう」というニコの横顔が切ない。
そんな波乱含みの二人の新生活が心配なのは読者だけではない。
おじじの妻“幸子”と娘の一美は、残された家族が心配すぎて成仏できる気配なし。ちょいちょい二人でおしゃべりをしている。まあ、もう死んじゃっているので「はははは」と笑うしかないのだが。
火葬も終わって心臓だってない。それでも母は娘のことがずーっと心配。
この遺影たちのおしゃべりを、おじじとニコに聞かせてあげたいなあと思うが、そうもいかない。それに残された二人は不器用なりに何かできる気もするのだ。
おじじと同じようにニコもまた家族を失った人であり、そして13歳であり、そんなニコの心の動きが私はとても好きだ。
母親と一緒に暮らしていた東京を離れ、おじじの元にやって来たニコは、引っ越し屋や母の友人といった大人とフランクに接し、それまで交流のなかった祖父にも「おじじ」とかる~く呼びかける。初対面のご近所のおばさんたちともペラペラ話せる。
一見するとそれはコミュニケーション能力が高く堂々とした態度に思えるが、厳密にいうと違っており、かつて13歳だった大人の読者のなかには身に覚えのある人が多そうだ(私もその一人です)。
同世代のみんなとの関わりになると、ニコはとたんに緊張してしまう。自分のことを相手に素直に打ち明けるのが怖くて、どう見られたいかばかり気にして、ちょっとした一言に傷ついたり怖くなったり。そんな自分をどうすることもできないが、自覚はしているから、大人と話すほうがラクだということにも気がついてしまっている。
おじじもニコも不器用であり、自分の内側を見つめることに人一倍長(た)けている。そこに私は浦家の血を感じる。
本作はニコの成長がとてもうれしいマンガでもあるのだ。
浦家の人びとも、その周りにいる人も、みんないい。悲しいことも後悔も当然あるし、喪失感を帳消しにはできないけれど、まるっと全てを含めて暮らしが続いてく様子が心地いい。イージーな癒やしともちがう、誰にでもきっと備わっているはずの魂の丈夫さのようなものを予感させるマンガだ。
頑固なおじじは日々こんな調子なのだが、そこも味わい深くて愛しい。このロスタイムはできるだけ長く続いてほしい。
レビュアー
花森リド
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori