おにぎりとお味噌汁




双極症は躁と鬱を繰り返す病気。本人は鬱を認識できても、躁状態を心地良く感じているため、自分が双極症であることに気づきにくいのだそうだ。そして社会的に問題を起こしやすいのは、異常に万能感にあふれ、異常に活動的になる躁状態のときだという。昇司が共同生活を持ち出したときも、キャパシティを超える仕事を受けて崩壊するのも、全部、躁状態のとき。また双極症は再発率が非常に高く、一生の付き合いとなる可能性が高い病気でもある。躁の時に問題を起こして、鬱になった時に自分を責める。その無限ループから逃れられない人生を考えると、途方にくれてしまう。それを言葉にするのなら、絶望と言い換えられるかもしれない。
この漫画の著者ふみふみこ氏は、双極症の当事者だ。
ご飯を食べ、働いて、寝て、起きる。
彼女は料理ができないし、家事も苦手。娘の結を預けるにも保育園は待機児童でいっぱいで、頼れる人もいない。そしてお金もない。選択肢が無いなかで、義兄の昇司との共同生活を選んだに過ぎない。それは生きるための打算だ。ただ、
昇司さんのこと全然わからないから
わかりたいとは思います
先に昇司が1個のおにぎりとカップの味噌汁で救われるシーンを紹介したが、この作品には物を食べる場面がたくさん出てくる。
かつて昇司と航平がじゃがいもの皮むきを手伝った、ばあちゃん特製のカレー。
その残りのカレーをアレンジした、カレーうどん。
朝の散歩で食べるバナナ。
結ちゃん用に別の味付けを施した麻婆豆腐。
今日子が唯一作れる、市販のダシを使った鍋。
どんなに心が落ち込んで「死んだほうがマシ」だと思っても、体は物を食べることを欲する。このどうしようもない単純な原理には抗えない。今日子さんは、その原理にとても忠実な人物なのだ。それには理由がある。かつて彼女は空手に打ち込み、全国大会を目指すほどだったのだが、膝を壊して選手人生を諦めた。悔しくて死んでもいいと思った毎日。


そんな今日子さんが、まだ果たせていないことがある。それは大切な人を亡くした悲しみや喪失感に向き合い、航平の死を受け入れる「喪の仕事」だ。昇司の双極症と子育てに追われ、彼女は航平の死に向き合う暇もない。昇司もまた、幼い結からパパと呼ばれることに後ろめたさを感じている。彼らの慎ましやかな生活には、ずっと航平の死が並走しているのだ。この漫画のタイトルは『楽園をめざして』だ。彼らがめざしている楽園とは、どんな場所なのだろう? 多分、昇司が双極症を克服した生活でもなければ、昇司と今日子が結ばれる生活でもない気がする。ご飯を食べ、働いて、寝て、起きる。そんな生活を繰り返しながら、柔らかく炊いたお粥を消化するように航平の死を受け入れて、ほんの少し「死」から遠ざかったところじゃないだろうか。たったそれだけの場所を求めて日々を生きる彼らが、本当に愛おしくてたまらない。
ここまで読んで「暗い作品?」と思われるかもしれないけれど、そんなことはないです。昇司の双極症の症状は滑稽だし、今日子さんは強いし、奇妙な登場人物も出てくる、とても楽しくて面白いお話です。是非、ご一読を。