広い東京のなかでも銀座の特別感といったらない。例えばリーフパイ1枚だって「銀座に本店がある」というだけで「間違いのない手土産!」と信頼できる(実際とびっきりおいしいのだ、銀座ウエストのリーフパイは)。
1度でも週末の中央通りを歩けば「ららら~」と歌いながらクルクル回りたくなるのだ。お金があっても、なくても、ルンルンしてくる。銀座だけが放つこの魔力、きっと一朝一夕で生まれたものじゃない。
今から100年前、昭和初期の東京が舞台の『東京ステッキガール』も、そんな銀座の「ららら~」な魅力と、この街に生きる人たちの弾むような心が伝わるマンガだ。
現代とはずいぶん違うのに、いろんな場面で「わかるなあ……」とつぶやいちゃう。
当時の文化・お店・ファッションの考証がとても丁寧なのも手伝って、100年前の銀座が目に浮かぶ。かつて銀座に出没したという謎の職業婦人こと「ステッキガール」だって本当にいたんじゃないかなあって気持ちになる。それにほら、教文館は今もありますし!
女学生の“葉子”と、葉子の家の女中“みち”は大の仲良し。みちにとって、葉子は大切なお嬢さんであり、妹のような存在。そして2人が足繁く通う銀座は「庭」のようなもの。そんな銀座に、最近ある「職業婦人」が現れるらしい。葉子いわく「断髪のモダンガールが街を颯爽とエスコートしてくれる」のだそう。
でもみちにはステッキガールなんて信じられない。
本作の解説によると、当時の女性の断髪は差別の対象だった。だから髪が短いだけで起こる不利益がめちゃくちゃ多い!
そして尋常小学校もあまり通えなかった女中のみちと、女学校に通ってセーラー服姿の葉子の「ちがい」がいろんなところでさりげなく描かれる。生まれも育ちもちがうから、知っていることと、知らないことがちがうけれど、2人はお互いが大好き。
好奇心旺盛で、お見合いが主流の1930年代に「これからは私たちが選ぶ時代よ」と自由恋愛を望む“おませ”な葉子と、女中としてお嬢さんを大切に思ってコンサバに生きるみち……だったはずなのだけど、とある理由によってみちは断髪する。
「断髪するだなんて気がしれません!」と言っていたのに! そしてこの決意の表情! 大騒ぎとなり、みちは女中の仕事を追われることに。身寄りのない、昭和初期の女がどうやって1人で生活していくの?
そう、なんかとってもきれい。自由で、弾むようで、銀座にぴったりだ。
ありったけのお金を使って頭からつま先まで洋装でオシャレした無職のみちは、銀座の街を駆け出す。
うん、本当に生まれ変わったみたいに見えるよ。さあ銀座6丁目のコロンバン(今は原宿にクラシックなお店があります)前でステッキガールとして立ってみるも……どうやって「仕事」を手に入れるのか。
こんな感じでお金をもらいそこねる失敗もいっぱい! こっぴどく騙されちゃったり! 女が自分で仕事を選んで、働いて、ちゃんとお金を手に入れて生活するシステムが当時は本当になかったんだろうなあと想像してしまう。
でもみちには誰にも負けない得意なことがある。
みちは、今までずっと、葉子のためにいろんな銀座の抜け道を駆使していた。そして今は葉子がくれた銀座の地図もある。なにより2人でたくさん歩いた大好きな銀座! スマホがあってもこんなガイドは無理じゃない?って思うくらいのルート案内がみちにはできる。
(現在の銀座の地図と見比べて、残っているお店、なくなってしまったお店を見るのも楽しい!)
お仕事だけじゃない、ステッキガールの日常もなんだかとても魅力的だ。
ガウンのような浴衣のような寝巻に、小さな台所。それからのりのつくだにを塗った食パン、洗濯板。お金はないけれど、ものすごくまぶしい。そして当時の生活を丁寧に取材して描かれた作品であることが察せられる。だから全ページ見飽きないのだ。
洋装のモダンガール(モガ)のメイク事情なんてステップも道具も最高。現代の銀座でもすてきに輝く資生堂のことがますます大好きになる。
髪型、装い、メイク、そして生き方。「これからは自分で選ぶ時代よ」と言った葉子もまた葉子の人生で大切なものを自分で選んでいる。みちもまた自分で明日を選んで生きていく。100年前の「自由」は私の「自由」にもつながっているはず。そんなことを考えながら今の銀座を歩くと、みちのようにスキップしたくなるよね!
レビュアー
花森リド
ライター・コラムニスト。主にゲーム、マンガ、書籍、映画、ガジェットに関する記事をよく書く。講談社「今日のおすすめ」、日経BP「日経トレンディネット」「日経クロステック(xTECH)」などで執筆。
X(旧twitter):@LidoHanamori