テロリスト予備軍の「無敵の人」が運命に弄ばれる
低学歴、低収入、低級国民。俗にいう底辺。日雇い警備とぼろい団地を往復して、人生39年目。何も持たないゆえに守るものもなく、未来への希望もない。いわゆる「無敵の人」だ。
社会から断絶された男は孤独と絶望の果てに、私憤を公憤に置き換えて世を憂う。ひとり自宅にこもり、政権与党のトップ6人を暗殺するテロを起こすための武器の製作、および自己流の暗殺術トレーニングに熱中する毎日を過ごしていた。
テロの決行を1週間後に控えたある日。慎太郎は、ぼろい団地の壁の穴から入ってきた隣の部屋に住む女の子・ヨツバに、自室の銃やその他の武器を見られてしまう。はじめは口止めをするつもりでヨツバを手なづけようとする中で、気づくとヨツバとの交流を深めていた慎太郎。そこから彼の運命は大きく変わり始める。
その数日後、テロの決行を予定していたその日。大きな物音がした隣家に乗り込むと、ヨツバが借金のカタとして、闇金融に攫われてしまっていた。政権トップの6人の命を奪うべく磨かれていた凶刃は、ヨツバを攫った闇金融・藤藍産業に向けられる。
狂気のテロリスト予備軍が見せる「人としての優しさ」に共感する
実はテロリズムも、隣に住む家族を守るための暴力団相手の激闘も「ビジランテ」=「自ら(独りよがりな)正義を行う人」という意味では変わらない。なんなら、集会に乱入して政治家の命を狙うテロよりも、自作の武器で単身、暴力団に立ち向かう行為のほうが明らかに命懸けだし、よほど「狂気」と言えるようにも思う。
それでも、不遇な中で健気に生きる子どもたちや、問題を抱えながらも必死に戦っている母親のために「狂気」にその身を染める慎太郎にはやはり共感も覚えるし、やっていることは間違いなく「人殺し」だというのに、ふとすると応援もしたくなる。
ヨツバを助けるための暴挙に我が身を投じ、異常なまでの冷静さを発揮して粛々とヤクザたちをその手にかける。その後、自身といったん別れて北海道に向かうヨツバたちの、寂しさを強がりで紛らわせている心中を敏感に察知し「お別れに慣れんな!」と叫ぶ。
「大量殺人」という狂気の行動に呑み込まれる中でも、人としての感情を失わない慎太郎の描写が、ふとするとダークサイドに堕ちて行きそうな作品の雰囲気に、絶妙なバランスをもたらしている。
第1巻終了の時点で、闇金融のケツ持ちである暴力団との戦いは始まったばかり。いかに慎太郎が「人殺しの才能」に目覚めているとはいえ、マトモな武器もなしで、警察も恐れてかかわりを避けるような暴力団を相手に単身で戦いを挑む姿を見ると、やはり正気とは思えない。
狂気を宿した「天才的な素人」が、この先、プロを相手にどんな立ち回りを見せてくれるのか。北海道に向かったヨツバたち一家と、無事に再会できるのか。特にアクション漫画は、読者から転がる先が想像できない作品ほど、面白い。