精神医学の診断マニュアルとして世界的に広まったDSM-III(『精神障害の分類と診断の手引』、1980年)と、ICD-10(『精神および行動の障害――臨床記述と診断ガイドライン』、1992年)。このふたつの分類書について、内容は知らなくとも名称ぐらいは一般人でも聞いたことがあるかもしれない。実はその内容は、ドイツの精神医学専門家エミール・クレペリン(1856~1926)が、20世紀初頭に築いた体系に明らかに依拠していた……と、この本の著者は語る。
自身も精神病理学を専門とする医学博士で、精神科医でもある著者の渡辺哲夫は、現代の精神医学の礎を築いたといわれるエミール・クレペリンの知られざる実像と業績を本書で解き明かそうとする。なぜ「知られざる」かというと、同時代に現れたジークムント・フロイトに比べ、その名は世間から忘れ去られているからだ。現在も医療現場で活用されているマニュアルにも、その研究が色濃く影響を与えているにもかかわらず、なぜクレペリンの名は残っていないのか? 本書はその謎をさまざまな文献を手がかりに掘り下げながら、19世紀末~20世紀初頭のヨーロッパにおける精神医学の黎明期も活写する。
クレペリンは自著『精神医学教科書』で、早発性痴呆という、現在では使われなくなった言葉(のちに分裂病と呼ばれ、またのちに統合失調症といわれるようになった)を発明した。さらに躁鬱性精神病(いまでいう双極性障害)、癲癇ないし癲癇性精神病という「三大精神病」ともいうべき柱を打ち立て、精神疾患の体系化を目指した。現在の視点から想像する以上に、当時のヨーロッパではかなり革新的な学説であり、激しい批判の対象ともなった。後年、ドイツの精神医学者ハンス・グルーレがクレペリン生誕百年に寄せた文章に、その功績が分かりやすく記されていると著者は語る。引用の引用になるが、ここに引いておこう。
クレペリン以前には、精神病は四十以上の診断に分れていた。種々の症状と経過を持つ疾患を一つにまとめようとするクレペリンの努力に対しては、当時強い抵抗があり、多くの批判が集中した。また単一疾患論も非常に有力であった。クレペリンは、不断の努力によって収集し秩序づけた臨床的事実によって、彼に対して懐疑的であった人達を、次第に彼の二大精神病論に説得していったのである。
また、著者自身の言葉でその功績と存在の大きさを語ると、以下のようになる。クレペリンなしに我々(精神科医)は存在しなかった、というぐらいの迫力だ。ちなみに文中のハイデルベルクとは、クレペリンが活動の絶頂期に籍を置いた大学のこと。
そして、こんにちなお、われわれが、それに依拠して臨床の仕事に従事し、それに依拠して医師としての経済生活を送っているパラダイムは、一九世紀末から二〇世紀初頭にかけて、ハイデルベルクで創られたという史実はもっと知られてよい。人間クレペリンとその業績を知ることは、過去記憶の問題ではなく、精神科医たちが、現在只今、日々生かされ(給与を貰い、食べさせてもらっ)ている経済活動と生存条件の根拠の場所、直下からわれわれを支えている起源的な基盤を知ることである。
一方で、クレペリンという人物は「冷酷で人付き合いの悪い、研究の鬼」「ユーモアのかけらもない禁酒運動家」として当時の医学界では知られたという。また、反ユダヤ主義者で、民族主義的愛国者でもあった。そういったマイナスイメージが偉大な研究者として素直に称揚することを妨げているのではないか、とも評される。だが、一面的な見方だけでは決して推し量れないのが人間である。著者はそんなクレペリンの多感な少年時代から、苦しい生活のなかで研究に没頭した青年期、彼の代表作とされる『精神医学教科書』第四版から第六版をハイデルベルク大学で著した絶頂期、そして迷走ともいえる晩年まで追いかけていく。
その筆致が、とにかく熱い。学術書とは思えないほどエモーショナルで劇的で、私見が随所に入り込む文体は、本書の大きな魅力である。たとえば、クレペリンが実は絵画愛好家で、特にバルトロメ・エステバン・ムリリョの作品を好んでいたと知り、同じくムリリョのファンである著者が喜びを語る場面はこうだ。
文脈からすると、クレペリンがプラド美術館を訪れた第一の目的はムリリョの作品に会うためであったろう。私は、人類に与えられた聖母マリア像の中で、ムリリョの描くマリアの美しさが飛び抜けていると思うが、クレペリンも同感であったとするなら、その感動には心底から同意する。
著者は歴史が見落としがちな人間クレペリンの実像を、愛着を込めて描き出していく。喪失の悲しみを乗り越えながら築き上げた家族関係、動植物学者の兄カールとともに南洋ジャワ島で味わった心とろかすような海外旅行体験、絵画や音楽を愛する一面などなど……コチコチの「研究の鬼」というイメージだけにとどまらない人物像は、クレペリンの名前と簡単なイメージだけ知っていた人にも新鮮な驚きを与えるだろう。なかでも、十代のクレペリン少年が心奪われたカント=ラプラスの「星雲説」が、のちに彼が歩む人生の重要な伏線となったのではないかという推論は、まるでよくできた小説のように感動的だ。
その多面的で人間味あふれるキャラクターをおおむね擁護しつつ、同時にクレペリンという人物の冷淡さや非社交性、医学者としての欠点も、本書は等しく拾い上げる。病者の人格を無視した考え方は、特に批判の対象となった。
ハイデルベルクの薫風の中で書かれた『第六版』であるにもかかわらず鋼鉄のように冷酷なクレペリンの精神医学の生硬さを、ジルボーグは指弾してゆく。これはおもに『第六版』に関連した論難だが、「人格」概念の切り捨てという傾向はすでに『コンペンディウム』以来、一貫して見られる。「体系的な完全性」を維持するために「人格への配慮」が犠牲になったこと、「体系」自体の「人工的な特徴(捏造)」が固執され持続したこと、「精神病患者治療への冷淡なニヒリズム」……。ジルボーグのクレペリン批判は鋭い。不可抗力の自然災害の跡地に呆然と立ち尽くすようなクレペリンの姿すらジルボーグには浮かんでいたようだ。
クレペリンは独自の疾患単位学説を追求しつつ、晩年にはそれを翻して症候群学説に急転回するなど、その思想は終始一貫していたわけではない。世間的評価の定まらなさも、その不安定なイメージによるところが大きいのではないかと著者は指摘する。
確かに全肯定できる人物像とは言えない。だが、すべてが終始一貫している人間などいるだろうか? 人間は内面的にも外見的にも、年齢や環境によって変わっていくものだし、晩年の公的なイメージだけでその人を語るのは危うい。また、職場などで見せる対外的な表情と、プライベートな空間で見せる表情が、完全に一致する人間のほうが珍しいだろう。枯れない人間などいないし、周囲には変節と見えたものが実は柔軟な進歩だとしたら……などと、つい読みながらそんな思いを馳せてしまう。そして、クレペリンの場合、第一次世界大戦という悲惨な戦争に立ち会っていたことも見逃してはならないと本書は示唆する(どんなに立派な人間でも、性格を歪ませるには十分な出来事だったはずだ)。
精神医学の研究者、あるいは現役の精神医療従事者であれば、もちろん手に取って損はない1冊だろう。また、少しでも精神医学に興味のある一般人、あるいは伝記好きの読書家でも、夢中になって読み進められるはずだ。極力明解な体系化を推し進めた人物がたどった、決して単純ではない人生の道筋に、思わずカート・ヴォネガットのように「そういうものだ」と呟(つぶや)いてしまうかもしれない。
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。