なぜヒトだけが老いるのか。実に考えさせられる話である。
アンチエイジング花盛りの時代。誰もが年を取りたくない。身体の自由も効かなくなり何かと不安も募る老後だ。
人間以外の生物は「老い」を経験せずに死ぬ。多くの生き物は、子孫を残すための繁殖行動が終わると同時に生物としての役割も終え、静かにこの世を去る。なんのことはない、ヒトだけに特別な「老後」が残されているのだ。私たちは、老後を楽しく、そして正しく生きられているのだろうか。
著者は気鋭の生物学者である。前作の『生物はなぜ死ぬのか』は、18万部突破の大反響を呼んだ。
人間は死ぬために生まれてきた。死ぬことが進化の原動力であり、生命の連続性を支える源だ。生が利己的であるのに対し、死は利他的、公共的。これからの「新しい生命」のために、ヒトは死ななければならない、というのである。
ヒトは死ななければならない。だが、ヒトは他の生き物のように(必ずしも)ピンピンコロリではなく、案外ダラダラと老後を生き続ける。
本書は、我々の老後の意義やその心構えを、「生物学的な観点」から解き明かしてくれるのだ。
ヒトを、「進化することを義務付けられた生き物」の一種として捉える「生物学的なダイナミズム」は、本書でじっくりと味わってもらうとして、著者が読者に投げかけてくるいくつかのキーワードについて、自分なりの整理をしてみたい。
まずは、「シニア」という言葉である。
シニアとは、「年輩者」に対して何気なく使う言葉である。だが、この言葉が何歳以上を指し示すのかは問題ではなく、シニアという「状態」にふさわしい人物であれば実際の年齢は関係ないと、著者も語る。
では、どのような状態がシニアなのか。
シニアとは、「知識や技術、経験が豊富で私欲が少なく、次世代を育て集団をまとめる調整役になれる人」のことである。
果たして、そんな立派な人物に(そう簡単に)なれるのか。
なるほど、私のような「完全にシニアになりきれていない発展途上の『なんちゃってシニア』」には、耳の痛い定義である(余談ながら、著者と私は昭和38年生まれの同い年である)。そうなのだ。著者はつまるところ、シニアとは「徳のある人」であると言う。
人間は社会性の生物であり、その状況を進化の過程で選び取ってきた。その社会を維持するには、繁殖要員だけではなく、潤滑油になるような補助要員が必要となる。つまり、社会のなかで一定の数のシニアがいることが、生物学的にも最適な状態となっている。
シニアの存在は、認められている。だから、年取っていることを恥じたり、すまながったりすることなく、堂々としていればいい。
だが、ここで考えなきゃいけない言葉がもうひとつある。「調整役」である。
シニアは調整役でなければならない。それは主役ではなく、脇役だ。もちろん、脇役にだって称賛はあるが、その役割はあくまでも補助的であり、また利他的であるべきだ。たしかに、政界や企業の中枢でも、「調整役」で名を上げたり、欠かせない人物になっているケースはけっこうある。
「現役」時分だけの話ではない。老後こそこの調整役で、社会で、地域で、家庭内で、名を上げるべきなのである。(と、私は理解する)
「調整役」などという小物的(?)な言い方を嫌がり、あくまでも俺が主役、若輩者の上に立つ「相談役」然としてふんぞり返っていると、それは社会にとって害になる。シニアはあくまでも公共的であり、社会の「役に立つ」べきであり、その最終形態として、「死して進化の役に立つ」というわけである。
著者は社会の2層構造の確立を提案している。
想像力豊かに新しいことを始める「クリエイティブ層」。これは若い人が中心になります。この層は「学びと遊びを生業とします。そしてその自由度を支える基盤となる「ベース層」。これはシニアが中心となる教育やルール作りなど社会基盤を支える層です。ベース層は、知識・技術や文化をクリエイティブ層に継承します。そして、この2層の連携が、経済やさまざまな分野において高い生産性を可能にします。
そのベース層の充実には、なにが必要なのか。
それはシニアがいつまでも、たとえ90歳を過ぎようとも元気でいることが重要なのである。
たとえ生き物としての生殖に関わらなくても、たとえ企業人としての利益に関わらなくても、たとえ地域の運動会で健脚を披露できなくても、元気で社会の下支えとなる「調整能力」が発揮されていれば、社会人としてのみならず「人間」としても正しいあり方なのである。(そう私はこの本を理解した)
長くしあわせな老後を超えた先にある「最後の瞬間」を、筆者はこう想像して見せる。
布団に横たわり薄れていく意識の中で、「結局ここはなんだかわからなかったけど、楽しく幸せな時間が過ごせたな、みんなありがとう。なんかこれまで出会った全ての人と、周りの自然や生き物と、みんなとこれからもずっとつながっていられる感じがする。そしてまたみんなと会える気がする。その日までさようなら」やがて目も見えなくなり、私を呼ぶ声も遠ざかり、ただただ幸せな気持ちに包まれて(後略)
「老後」のことを必死に考え、また実際に経験してきた多くの先人たちが気づいた世界。それは、あまりにも「禅的」であった。
著者によって散りばめられているいきいきと老後を楽しむための「知恵」は、ぜひ本書で。
レビュアー
コラムニスト。1963年生。横浜市出身。『POPEYE』『BRUTUS』誌でエディターを務めた後、独立。フリー編集者として、雑誌の創刊や書籍の編集に関わる。現在は、新聞、雑誌等に、昭和の風俗や観光に関するコラムを寄稿している。主な著書に『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社、扶桑社文庫)、『車輪の上』(枻出版)、『大物講座』(講談社)など。座右の銘は「諸行無常」。筋トレとホッピーと瞑想ヨガの日々。全国スナック名称研究会主宰。日本民俗学会会員。