年間数百万PVを集める「note」上のエッセイを始め、あらゆるメディアで注目を集める作家・岸田奈美さん。「小説現代」の連載をまとめた本作は、独自のワードセンスと感性が高い評価を得ている岸田さんにとって新たな境地を切り拓く一冊となった。担当編集の山下直人とその完成までを振り返る。
小説現代で初めてぶち当たった「書けない」という壁
山下 小説現代で約2年にわたった連載がやっと一冊の本になりました。担当の私が言うのもなんですが、改めて読んでもめちゃくちゃ面白かったです。岸田さんの代表作ができたという手応えを感じています。
岸田 そう言われてしまうと、「そんなことないですよー」って謙遜モードになるから困るんですよ。山下さんはもう飴と飴と飴で、いつも褒めてくださる。夜中に高田馬場とかに呼び出されたりして、「お前の書きたいものはこんなんじゃないだろ。愛って何か、説明してみろ!」なんて怒られてみたかったな(笑)。
山下 いえいえ、毎回すごくしっかりした原稿でしたし、つらい部分を絞り出して書いているのが十分に伝わってきて。僕はただ受け止めるだけでした。
岸田さんとは、小説現代のリニューアルのときに「半生を描く連載を」とお願いして、最初は「2億パーセント大丈夫」というタイトルでスタートしました。
岸田 それが、連載5回で書き終わってしまって。私の人生、連載5回分だったという(笑)。
山下 そこで一度、仕切り直しをさせていただきました。
岸田 私、noteではいつも起承転結があってオチで笑わせる「すべらない話」みたいなものを書いてきたんですが、初めて書けない壁にぶち当たったんです。ストックが完全に切れてしまったと思いました。でも、山下さんが「うまく言葉にできない話って書くのがつらいけど、ここにまだ何か岸田さんの本当に大事なことがあると思う」と言ってくれて。
山下 自分の中でまだ起承転結していない話、結論が出ていない話を書くのは大変ですよね。
岸田 SNSでバズって出てきた人間としては、正直、そんなオチも決めずに書き始めるエッセイなんてバズらんだろうと思ったんですけど(笑)。でもそこで、これまでみたいにゴールを決めずに、場所をフックに思い起こしたことを芋づる式に書き出してみようということになりました。
山下 苦しい苦しいと仰りながらも22回、一回も原稿を落とすことなく無事に連載終了にこぎつけられて、感無量です!
7歳のときに知ったやさしいネットの世界
『飽きっぽいから、愛っぽい』著者の岸田奈美氏。
山下 岸田さんがこれまで出された本は、noteの記事をまとめたものでしたよね。今回初めて雑誌に連載するために書かれたわけですが、いかがでしたか。
岸田 noteは横書きなので、縦書きの原稿はまったく違いました。ネットだと、だいたい改行で1行スペースを空ける書き方をするのですが、その1行を空けることで、ポンと話が飛んでも成立したりするんですよね。
山下 noteでも岸田さんならではの文章のリズムで、“らしさ”が存分に発揮されていましたが、小説現代では岸田さんの必死さや気概が、すごくソリッドに凝縮されているのを感じました。
岸田 毎月必死でしたから(笑)。
山下 それがいい味になって、反響も大きかった。ネット出身の岸田さんの才能が次の段階に進むためには、この試練がこのタイミングで必要だったのではないでしょうか。岸田さんにとって、ネットはどんな世界ですか?
岸田 7歳のとき、お父さんがパソコンを買ってくれて、「お前の友達はこの箱の中になんぼでもおる」と言ってくれました。そこからですね。身近な友達に話すより、ネットの世界で知らない誰かに向かって話しかけるほうがすごく気楽で、それが当たり前になっていったんです。
私は、中学のときにお父さんが亡くなって、高校ではお母さんが下半身不随になってしまい、弟はダウン症です。でも、友達にはそういうことはなかなか話せなかったんですよね。かわいそうと思われるのも嫌だったし。そんなとき、ネットの世界にはいつも話を聞いてくれたり、共感してくれたりする人たちがいました。私も寂しさとかつらさ、弱さをさらけ出しながら、でもそこで、ちょっとだけ面白おかしく書いて。
山下 ユーモアをもってね。
岸田 はい。せっかくなら笑いながら話しましょうよと。だから、ネットは私にとってはやさしい、一人ぼっちが彷徨う場所。炎上の問題とかありますけど、私はこれからもネットの世界に希望を見出していきたいですね。
自分の弱みや苦しみが価値になるのかも知れないと決意
左、『飽きっぽいから、愛っぽい』著者の岸田奈美氏。右、作品を手に持つ、担当編集者の山下。
山下 物書きになることは、子どもの頃から意識していましたか。
岸田 両親が一生懸命に読み聞かせをしてくれたので、子どもの頃から本は好きでした。でも、読書感想文で入賞したことも、作文で褒められたことすらもなかったので、文章を書く才能なんてないとあきらめていたんです。
山下 いつ頃、転機が?
岸田 私は大学在学中にベンチャー企業に就職したのですが、営業をやっても何をやっても怒られてばかりで。唯一褒められたのが広報の仕事でした。ブログやツイッターを書いたら、書くの早いね、わかりやすいねと。初めて人に文章を褒められた瞬間でした。
山下 それがnoteで書くということにつながったんですね。noteで人気が出て、すぐにプロの作家を目指されたのですか。
岸田 いえ、最初はぜんぜん。noteが何回かバズっても、まさかこんなので食べていけるわけがないと思っていました(笑)。でも、ちょうどその頃に私、バーンアウトしちゃったんです。寝る間もなく働く中で、自信を失い、会社に行けなくなりました。それで2ヵ月家に閉じこもっていたとき、弟と温泉旅行に行ったんですよ。
そうしたら、弟がバスで私に両替をしてくれたり、運転手さんにありがとうと言ったり、私が会社で忙しくしている間にめっちゃ成長していて。私は人の目ばっかり気にして、人に怒られることも見放されることも怖がっていたのに、弟はこんなにのびのびと生きている。それをすごく誇らしく思いました。これを伝えたいなと。そういう家族について書くことで、私も再生できると思ったんです。こんな駄目な私でも、エッセイで人を笑わせる場所に行けば、自分の弱みや苦しみは価値になるかも知れないと、会社をやめて物書きになる決意をしました。
山下 本作でも登場人物のほとんどがご家族です。普通の尺度で見るとすごく大変な人生のように思えますが、岸田さんは本当にポジティブなんですよね。
岸田 私は、「人生は一人で抱え込めば悲劇だが、どんなつらいことも笑い話として書いてしまえば救いになる」をモットーに生きていますので(笑)。
山下 元ネタであるチャップリンの「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」を超える名言、いただきました!
撮影/森 清 (講談社写真部)
1991年生まれ。兵庫県神戸市出身。 大学在学中に株式会社ミライロの創業メンバーとして加入。広報部長を務める。2019年、noteの記事が反響を呼び注目を集める。翌2020年、会社を退職し作家として独立。同年6月、世界経済フォーラム(ダボス会議)が任命するグローバルシェイパーズに選出される。同年10月、Forbes誌の「30 UNDER 30 JAPAN 2020」に、2021年4月「30 UNDER 30 ASIA 2021」に選出。同年7月、日本文藝家協会編『ベスト・エッセイ2021』に「海を隔てバズった母」が選出される。2020年に刊行された初の著書『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』はドラマ化され今年5月14日放送開始。著書はほかに『もうあかんわ日記』『傘のさし方がわからない』。いまもっとも注目を集める作家の一人。