京都には「同和のドン」だけでなく、「農協のドン」もいた。JA京都中央会会長、JAバンク京都信連会長、JA全農経営管理委員などの肩書を持ち、京都の農協で27年以上もトップに君臨する男、中川泰宏。その有無を言わさぬ政治力と、一線を越えた問題行動の数々に迫ったのが本書である。
著者はJAグループの機関紙「日本農業新聞」の記者を経て、「週刊ダイヤモンド」記者として農協周辺の疑惑に食らいついてきた千本木啓文。本書はその戦いの記録でもある。
中川泰宏とは何者なのか。何をもって「農協のドン」と恐れられるのか。本書は著者自身の体験も含め、実例を挙げながら解析していく。
まず驚くべきは、その地位と知名度に比して、異様に低い支持率である。「週刊ダイヤモンド」誌が実施した、全国の担い手農家を対象にしたアンケートの回答がすごい。自分が営農する都道府県の農協中央会会長の名字を「知っている」と回答した人数の割合(=知名度)、その中央会の方針を支持するかどうかの問いに「はい」と答えた人数の割合(=支持率)は、京都では以下の数値になったという。
二〇一九年 知名度五八・六パーセント(全国順位四位)、
支持率三九・七パーセント(同四三位)
二〇二〇年 知名度六〇・七パーセント(全国順位二位)、
支持率二二・二パーセント(同四六位)
その評価と知名度が分裂した奇妙な人物像を裏付けるかのように、各章のトピックには「農協労組潰し」「ファミリー企業による悪質な不動産取引」「強引な農家数水増し」といった物騒な文言が並ぶ。決して過剰な煽り文句ではなく、ひとつひとつの事柄が細かいデータや現場取材によって実証されていく。ノンフィクションとして読み応え満点だが、同時に、その節々から「決して隙を見せられない相手」と闘っていることが緊張感をもって伝わってくる。その上で疑惑に切り込み、長期にわたる裁判沙汰のプレッシャーにも耐える著者の胆力は、敬服するほかない。
1951年生まれの中川泰宏は、小児まひのため足に障害があった。小学校時代には壮絶ないじめに遭い、中学校教員の露骨な差別にも直面したという。そんな環境が、いつか周囲を見返してやろうという強靭な反骨心、苛酷な状況に耐える持久力、なりふり構わぬ上昇志向を培った……という分析は、中川本人が自ら認めるところもあり、嘘はないだろう。しかし、本書ではそんな立志伝的ストーリーに収まらない、ある突出した才覚や執着の噴出を、さまざまな局面で捉える。読み進めるうちに浮かび上がるのは、おそらく中川自身が望むパブリックイメージとは大きく異なる、謎と闇をはらんだ存在だ。
高校卒業後、中川は行商からキャリアをスタートし、貸金業・不動産業を経て農畜産業にシフト。いつしか農協の経営にも関わるようになり、持ち前のスキルで経営難の組織を整理(大規模なリストラも含む)。異例のスピードで重要なポストへと上り詰めていく。やがて京都のみならず全国組織のなかで確かな地位を確立すると、今度は政界進出に意欲を燃やし、ついには小泉チルドレンとして2005年の「郵政選挙」に出馬する……。描きようによっては力強いサクセスストーリーにもなりそうだが、その驀進ぶりはどこか危うい。その言動が熱気を帯びていくのと同時に、矛盾や変節も際立ち、背筋が凍るような心理スリラー的戦慄が走る瞬間もある。特に国政に乗り出すくだりでは、もともと本心から社会変革を目指していたのかもしれないが、ある時期から別の個人的執着に取って代わったかのような過程も描かれる。
最も劇的な展開を見せるのが、中川と野中広務の火花散るバトルを描いた第四章「小泉チルドレンVS.政界の狙撃手」だ。被差別部落出身の野中と、障害者差別を身をもって経験している中川、ふたりは若い頃から同和問題に取り組む同志でもあった。しかし、あるとき中川は本来批判していたはずの同和利権に手を出し、狡智に長けたビジネスマンとして巨額のカネを動かしていたことが野中の逆鱗に触れる。さらに、1998年に国政進出を目論んでいた中川が、野中にまさかのヒネリ技で阻止されるという事件も起きる。そこで生じた確執は、やがて自民党内をも分裂させる壮絶な闘争劇に発展していく。
他人事として見ればこんなに面白いドラマはない。しかしそれが国政に直結する場所で行われているのだから、笑っている場合ではない。
党内で激しく対立する野中広務への刺客として、小泉純一郎総理(当時)一派が「毒をもって毒を制す」と、"あの農協の中川"を擁立しようとしている……それを知った農水省の石原葵事務次官が、首相官邸に飛び込んで首相秘書官・飯島勲に放ったという「警句」が強烈だ。それに対する、小泉元首相のリアクションも。
「私は、次官として、省の代表として、飯島秘書官にお願いします。あの中川さんだけは、頼むから止めてください。毒どころじゃない。農水省の組織が壊れちゃう。すでに公認することになっている財務省のキャリアでいいじゃないですか」
(中略)
小泉は、「至急捕まえて、会え。面接しろ。公募の第一号でも、何でもいい」と中川の擁立を飯島に指示したという。
小泉一派没落後にも繰り広げられた戦いを描く第五章以降は、もはや戦争の不毛さ、惨めな帰結を世に伝える寓話のようだ。いくら立派な人物でも、最後にどんな相手と相対するかによって「晩節を汚す」ことは有り得る。そして最終的には勝者になったかのように見える者の偏執的な行動にも、空しさを感じずにいられない。支持率の低さは、まだ人々の目が濁りきっていないことを示す微かな希望にすら思えてくる。
ある程度の立場や影響力を手にした者であれば、ただ独り善がりな刹那の栄華を追い求めるだけではなく、社会や環境の永続性を考慮した活動や振る舞いをしなければならない。そのために行われるのが「改革」でもあるはずだ。そんな当然の理(ことわり)が、行き過ぎた資本主義や権威主義の前で霧消していくさまを、ここ何年かは世界のあらゆる場所で見せつけられている感がある。本書もまた、そんな時代に対する「警鐘」のひとつなのかもしれない。
(以上、敬称略)
レビュアー
ライター、ときどき編集。1980年東京都生まれ。雑誌や書籍のほか、映画のパンフレット、映像ソフトのブックレットなどにも多数参加。電車とバスが好き。