ひとくちに「遺言を書く」といっても、自分にとって適した「書きどき」とはいつなのだろう? そもそもどんな場合に書く必要があるのか、それすらよくわかっていない。だが最近は同年代の訃報を聞くことも増えてきたし、健在とはいえ、親もそれなりの年齢となってきた。そう、いつの間にか「遺言を書く」ことは、思っていたよりも身近に、自分や家族の「人生の宿題」として迫っていたのだ。
とはいえ、「実際に遺言書を見たことがある」という方は多くないだろうし、少なくとも私はまだ目にしたことがない。見たことのないものをいきなり書こうとするのはあまりにも無謀だが、他人に聞くのもなんとなくはばかられる──。そんな難問を解決するため、本書を開いてみることにした。
著者は第1章の冒頭で、遺言がない場合の相続についてこう語る。
あなたが遺言を作らないで亡くなると、あなたの財産は、民法にしたがって分けられます。
これは「法定相続」といいます。
(略)民法の法定相続は、いわば「0回目の遺言」です。あなたが遺言を書かないまま亡くなるということは、「民法に書かれている法定相続どおりに財産を分けてほしい」という遺言があるのと同じことになるのです。
民法の法定相続では、遺産を相続する人と、その人たちが相続する割合を定めている。つまり財産を受け取る人が財産を遺す人の希望と合致していて、きれいに「分ける」ことが可能な財産だけで済むならば、法定相続で十分といえる。
だが実際は、スマートな相続ばかりではない。割合だけが決まっていて、「何を」「どう分けるか」についての具体的な指示がない法定相続では、遺された者たちが話し合いで決めるしかない場合も多く、あっという間に「揉めごと」へと発展……といったケースもあるだろう。大変な気力と時間、労力を伴う作業になることは、未経験者でも容易に想像できる。
そんな状況を避けるには遺言を書くことが望ましい、と著者は説く。では「いつ書くのが良いのか」という問いに対してはどうか。
年齢の問題ではないのです。
原則に戻って考えます。遺言を書いたほうがよいのは、「0回目の遺言」が最適ではない場合でした。
「0回目の遺言」、つまり法定相続が最適でなければ、遺言を作るべきなのです。
なるほど……! そうであれば老いも若きも、財産の額すらも関係がない。家族や関係者の間に争いの火種を残しそうな気配があるならば、誰しもが一刻も早く遺言を書いた方が良いということになる。受け取る人々が揉めることなく、その後も円満に過ごせるよう配慮する。去る者の礼儀の1つといえるかもしれない。ちなみに遺言は15歳になったら単独で作れるそうだ。
第2章では、遺言の保管制度や、実際の書き方について詳しく説明されている。ためしに自分でも書いてみたところ、上下左右の空白を測る手間はかかったものの、それ以外に難しい点は何もなかった。住所は書かなくても良いというので省略、するとたった30字で書き終わってしまった! あまりの楽さに本書を今一度読み返してみたが、特に問題も見当たらず。まさか、こんなにシンプルに書けるとは。
むろん世の中には、私のように単純な内容では済まない方も多いだろう。そのため第3章では状況別に、14通りの文例が収録されている。血縁者だけの話にとどまらず、事実婚や同性カップルのケースに加えて、子どもの配偶者、友人や寄付への遺贈、遺品の整理や音信不通の相続人、果てはペットに至るまで、さまざまな「相続」の形が紹介されている。
また、第4章には「専門家に相談すべきケース」として収録されている例もあり、自力では難しい場合が一目で理解できる。人生はひとそれぞれ、そして相続も千差万別だからこそ、その道のプロの助けを必要とすることもあるのだ。
そして実用書としては珍しく、著者と精神科医、著者と元裁判官という2つの対談が収録されていたのも興味深かった。特に、東京家裁の遺産分割部で仕事をしていた松原正明氏の言葉で印象に残ったものがある。
遺産分割事件は家裁の中でも、最も解決が難しい事件のひとつで、理由は、当事者が多いということと、意見の対立が激しいことでしょうか。もし遺言書がきちんと書かれていれば、遺言書どおりに遺産をもらうことになりますから、遺産分割で相続人が長期間争うなんてことはない。
専門家をもってして、「最も解決が難しい事件のひとつ」と語られる重みときたら……! 想像しただけでも恐ろしい。「遺言を書く」ということの必要性が、改めて身にしみた。心当たりが少しでもあるならば、実用的かつ読みごたえもたっぷりの本書を早めに熟読して、その手で遺言を書いてみることを勧めたい。
レビュアー
元書店員。在職中より、マンガ大賞の設立・運営を行ってきた。現在は女性漫画家(クリエイター)のマネジメント会社である、(株)スピカワークスの広報として働いている。