■ボルドーの価格変動にみる、世界のワイン市場が新時代に突入した瞬間とは
『世界の名酒事典』創刊から40年の価格変動で読み解く、日本のワイン市場。これまでブルゴーニュをみてきましたが、今回は同じフランスのもうひとつの雄、ボルドー。その価格変動をみていくと、ワイン界で最も影響力のある人物の一人が浮かび上がってきました。
創刊号掲載ワインの中でロマネ・コンティの次に高値をつけたのは?
1855年のメドックの格付け筆頭、シャトー・ラフィット・ロートシルトが、ボルドーワインの最高値でした。2万5千円。創刊号の143ページに掲載。輸入元はロマネ・コンティと同じ高島屋。これが創刊号掲載ワインでロマネ・コンティに次ぐ高値です。
しかし、収穫年は69年で、ボルドーではオフ中のオフヴィンテージ。といってもそれは後の評価で、創刊号のヴィンテージ表では20点中の14点でした。そう考えると、この時点での2万5千円は高いのか安いのか、難しいところです。
「パーカー以前」と「パーカー以後」で価格が大変動
ブルゴーニュで最も高価なワインがロマネ・コンティなら、現在ボルドーで最も高価なのがシャトー・ペトリュス。さて、ペトリュスはといえば、創刊号の150ページに掲載。輸入元は、弁護士の山本博先生とともにブルゴーニュワインを開拓した伝説のインポーター「銀座の三美(ミツミ)」。掲載されたのはやはりオフヴィンテージの69年ですが、それでも2万円!
このペトリュスは、その後面白い値動きをします。84-85年版までは、2万~4万円で推移。ところが86-87年版で「82年ヴィンテージ」が突然の10万円超え。同じ82年ヴィンテージが、前年版では2万8千円だったのに、いったい何が起こったのか?
82年ヴィンテージといって思い出すのは、ロバート・パーカーのこと。現在では世界で最も影響力のあるワイン評論家とされる彼はあまたの批評家の評価に反し、ボルドーの82年ヴィンテージの将来性を見抜きました。その後82年ヴィンテージは、彼の名声とともに高騰していくことになります。
要するに、2万8千円は「パーカー以前」の値段で、10万円は「パーカー以後」の値段というわけなのです。パーカーの登場で世界のワイン市場は、まったく新しい時代に入ることになりました。
そのペトリュスとともに、ボルドーの最高値をつけるのがシャトー・ル・パン。『世界の名酒事典』には25年前、91年版に初登場。そう、創刊時の40年前にはまだル・パンはこの世になかったのです。ヴュー・シャトー・セルタンを所有する酒商ティエンポン家が、隣接する小さな畑を購入したのが1979年。著名なワイン・コンサルタントであるミシェル・ロランの助言のもとに醸造を行い、一夜にして高騰したことから「シンデレラワイン」と呼ばれるようになります。そのとき掲載された86年ヴィンテージは、3万円でした。ル・パンを大ブレイクさせたのは、ペトリュスと同じ「82年ヴィンテージ」。やはりロバート・パーカーの力で、彼が100点をつけました。その記念すべき82年ヴィンテージが『世界の名酒事典』に登場するのは94年版から。なんとも遅いデビューですが、値段の推移だけを見ると、4万9千円からスタートし、96年版で14万8千円、翌年は30万円、さらにその翌年には68万円という高値をつけます。たった4年で、初値のなんと14倍になったのです。
ティエンポン家が買い取るまで、ル・パンの畑で造られるワインは酒商に売られる無名のものでした。それがボルドーで1、2を争うワインに生まれ変わったのです。ここでも「パーカー以前」と「パーカー以後」の変化がクッキリと見てとれます。
「ボルドー・バブル」発生の瞬間
その後、ボルドーは、「ボルドー・バブル」とも言われる、価格高騰の時代へ。山本昭彦さんの著書『ボルドー・バブル崩壊』(講談社+α新書)によれば、バブル最初のヴィンテージは、2005年でした。掲載画像の価格情報の左端をご覧ください。05年ヴィンテージが、初登場14万円!
これは、2008年刊行の『世界のワイン事典 09-10年版』に掲載されたもの。2005年は確かに世紀のヴィンテージでしたが、同じく最良年の2000年のラトゥールは、「2003年版」に初登場してからの3年間、2万5千円~5万円(輸入社が複数のため価格差あり)という値段でした。そのことを思うと、この値動きはあきらかに異常です。2005年ヴィンテージは投機目的で買われ、結果「液体資産」と化すことになりました。『世界の名酒事典』はバブルの発生現場も密かに伝えていたのでした。