『100万回生きたねこ』というロングセラーの絵本がある。猫がいろいろな人生(猫なので猫生でしょうか)を生きる中で、大切な猫と出会い、生の尊さと悲しみを知っていく物語です。小さな子どもから大人まで読め、読む年齢や環境で受け取り方が変わります。
一度は人生で出会うであろう『100万回生きたねこ』という絵本。その絵本を生み出した作家・佐野洋子さんが、このエッセイ本の著者です。
絵本作家さんの随筆にとても興味がありました。手に取って、ふと「あれ? これなんとなく知っているなぁ」と思い調べてみると、現在NHKでゆるい絵とナレーションの番組が放送されていると知りました。たぶん、その放送を何度かテレビで見ていたのだと思います。ゆるく進むイラストと、ゆっくりなのに軽快な言葉が朗読のような形で進み、なんともいえないまったりした時間が流れました。朗読に合う言葉が選ばれているからでしょうか。絵が付いたラジオのような心地よさでした。
エッセイ本は人気で、テレビ番組とあわせて大変評判が良いそうです。今回ご紹介する『ヨーコさんの“言葉” じゃ、どうする』は5巻目にあたります。大きなイラストと、つぶやくような優しい言葉で進むので、読むのが早い人だと30分くらいで読めてしまうかもしれません。ただ、言葉のチョイスと並び方に深みと面白みがあるので、ゆっくり味わいながら何日もかけて少しずつ読むこともできます。マイペースに読書ができるスルメ系の本です。
あとがきを含め9つのストーリーがありますが、その中で私のお気に入りは『その2 先入観』と『その8 じゃ、どうする』です。
■人は一人ひとり違うんだ、という優しい眼差しが伝わる話
『その2 先入観』のお話は「で、私、男に対して偏見がある。」から始まります。開始3行ですでに面白いのは、言葉のチョイスの秀逸さなのだなと感じました。たった15文字でもう心が掴(つか)まれるので、ふっと現実に戻ってきてビックリしました。
そこから、佐野さんの偏見紹介が続きます。「ハンサムで姿がいいのは バカである、見ただけでバカ、と思ってしまう悪い癖がある。」とバッサバサ切ってきます。気持ち良いほど切っていきます。そこへ、ご自身の息子さんの話が続きます。学業が上手くいかない息子さんに家庭教師を見つけてきて、勉強を見てもらうことになりますが、その家庭教師がイケメンで高学歴、良家育ちの男性。佐野さんが苦手な条件が揃った男性でした。最初は疑いの眼差しを向ける佐野さんですが、息子さんに丁寧に勉強を教える先生に知性を感じ、好感を持ちます。無事に息子さんが進級できたこと、良い先生と出会えたことで、佐野さんが持っていた男性への偏見が大きく変わっていきます。
外側や条件で人はわからない。
一個一個調べないとわからない。
一個一個違うからね、
一個一個調べるのよ。
この言葉で締めとなります。個性を尊重したとても優しい言葉に、ほっこりしました。人は偏見とまではいかなくても、意外と他人をカテゴライズしがちです。過去の経験における統計の感覚が悪いわけではありませんが、それで自分自信の考え方を固めてしまうと、相手の個性を勝手にイメージで上書きして消してしまうことがあります。
みんな違うんだなぁという柔らかい眼差しに、佐野さんの人柄を感じます。本文の中で自分の中にあった偏見を反省する部分も、柔軟さと素直さ、優しさを感じました。
■いつか誰にでもやってくる老いを微笑んで受け入れる話
もうひとつのお気に入りのお話は、この本のタイトルにもなっている『その8 じゃ、どうする』です。
こちらは佐野さんの物忘れの話から始まります。リモコンだと思っていたら電話の子機だった。冷蔵庫から洗ったコーヒーカップが出てきた。プラスチックの箱から記憶にないものがどんどん出てくる。日々の物忘れがひどくなってきて、物忘れへ怯えと好奇心を持つ。年齢的なものによる物忘れ。面白おかしく書いていますが、それは佐野さんなりの老いに対するユーモアな向き合い方です。
人は年を取ると見た目が老けていき、「あぁ年を取ってきた」と自分も周りもわかりますが、記憶が曖昧になる部分は見えづらい。だから、受け入れたり感じたりするのはどんな人にも怖く、奇妙なものなのだろうと思います。
この章を読んでいると、自分の、祖母・母・自分の3世代の家族が重なりました。家族はゆっくり年を取りますが、実家を出てからは年に数回しか家族に会えないので、老いの変化をよりはっきり感じるようになりました。クリアに見える老いの輪郭と、自分自身もゆっくり年を取りつつ、ちゃんと老いてきているなと知ります。
気持ちは若いような感覚があっても、同じ話を何回も夫にしてしまったり、同じ巻数の漫画を何回も買ってしまったり。メモを取ったはずなのにメモをどこに置いたかわからない。暮らしの中に「はて?」と思うことが確実に増えてきました。
これをより何度も何度も繰り返していくことで、私も未来ではテレビに電話の子機を向けてしまいそうだし、冷蔵庫に食べ物ではないものを入れてしまうような気がします。
■不安を「穏やかな笑い」に変えてくれる本
そんな感覚へ向けて「じゃ、どうする」と言葉を置いても、結局「どうしようもないか(笑)」と笑うしかないんだなと知ります。老いは巻き戻すことができず、生きていれば仲良くやっていくしかないもの。逃れられない人生の一部なのでしょう。
どうしようもないものが、いつかやって来る。今日より明日はそれに近い。その当たり前の忘れそうな感覚を、笑い話にしてくれる人生の先輩の佐野さんに、少し救われた気がしました。どれだけ正論を置いても、怖いと感じる気持ちは誰の中にもきっとあります。怖くていいんだよと。怖くて良いし、みんな怖いから。とりあえず怖いまま笑ってみましょうか、と優しく声をかけられているように感じます。
この本の面白さは、佐野さんの言葉選びと、その言葉選びのセンスを作っている佐野さんの心の深い場所にあるユーモアのある優しさです。どうしようもないこと、人生にまつわるちょっとしたお話。誰にでも当てはまりやすいたとえ話で、悲しみや恐怖をガハガハ無理に大笑いするのではなく、にやりとしてふっと力を抜くような静かな笑いに変えてくれます。
どの年代の人にもきっと届くお話があるはず。今、自分が感じている漠然とした不安や気になることを、ちょっとだけ笑顔に変えてくれます。
レビュアー
AYANO USAMURA Illustrator / Art Director 1980年東京生まれ、北海道育ち。高校在学中にプロのイラストレーターとして活動を開始、17歳でフリーランスになる。万年筆で絵を描くのが得意。本が好き。
https://twitter.com/to2kaku