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2018.09.13

レビュー

日本は“超深海大国”なんです。太平洋深層の「異変」は何を物語るのか?

深海とはどのような場所なのか。また、その深海の多くを擁する「太平洋」とは。

日本海は、日本列島とユーラシア大陸に挟まれた閉鎖的な海です。その閉鎖性を前著(『日本海 その深層で起こっていること』講談社ブルーバックス)では、“風呂桶”に喩(たと)えました。これに倣(なら)えば、太平洋はさしずめ、25メートルプールでしょうか。日本海に比べて面積は160倍、体積は400倍。まさに大海とよぶにふさわしい巨大スペースです。これこそ、地球の海そのものです。

人類の住む「校舎」、そこに並んで建つ25メートルプール。なんだかワクワクする記述である。

著者は、25メートルプールになぞらえた太平洋を、液体としての「やわらかい」海水と、固体としての「堅い」海底に分け、両面からわかりやすく解説していく。

「やわらかいほう」は、表層を流れる暖流・寒流、海洋をかき混ぜる深層循環、深層水の話。

「堅いほう」は、西大西洋に集中する海溝群、環太平洋火山帯、ホットスポット火山、海底温泉の役割、深海のオアシスに集まる奇妙な生き物たちの話など。

いくつもの興味深いテーマが語られていく。

地球と宇宙を行き来する宇宙飛行士が550人を数える、現代という時代に、1万メートルを超える海溝底に到達した人数は、たった3人である。

「人類最後の秘境」。著者は「深海底」をこう呼ぶ。

私は、この本を手に取ったときに、1973年に空前のベストセラーとなり、その後映画化もされた『日本沈没』(小松左京著)のことを思い出した。『日本沈没』は、太平洋深海の異変から大惨事へと進行する災害シナリオを、ドラマチックに描いたサイエンス・フィクションである。

「“たかつき”(調査船)は、南から北へ、また南へと、日本海溝の上を、往復三千キロ以上にわたって遊弋(ゆうよく)しながら、“ケルマデック”を海底におろしていった。」(『日本沈没』小松左京著、光文社文庫)

「ケルマデック」。この馴染みのない言葉は衝撃的だった。太平洋にあるケルマデック海溝から名付けられた、フランス製の深海探査艇の名前である。私を含む多くのこどもたちが、「深海探査」をはじめて意識した瞬間だった。

かつて、地上にはヒーローがいた。人類が直面する危機や困難な問題を、果敢な行動と冷静な判断力で「人類の勝利」へと導いていった。

だが、現実社会の高度化、複雑化とともに、街からヒーローが消えた。いるのは、こじんまりとしたリーダーたちだけである。人々はほんとうのヒーローを追い求め、それを神話の世界に求めた。その流れをヒントに、有名映画監督ジョージ・ルーカスは、宇宙での英雄譚(『スターウォーズ』)を綴った。

最後の秘境、人類に残された空間。それが深海である。神秘、恐怖、甘美、興奮。そこにはあらゆる物語が待っている。次のヒーローが生まれるのは深海。そう夢想する人もいる。

さきほど、1万メートルを超える海溝底に到達したのはたった3人であると書いた。そのひとりは、『タイタニック』や『アバター』で有名になった、映画監督のジェームズ・キャメロン、その人である。

「深海」を語るには、さまざまな学問が駆使される。地学、化学、気象、海洋研究など、多種多様な領域での「科学的な」知識が必要となる。

その道の権威である著者(東京大学名誉教授、理学博士、元東京大学大気海洋研究所教授)は、それらの学問を駆使し、太平洋をわかりやすく解説してくれる。だが、それらの「科学的」解説にとどまらず、別の視点からの探求をも示唆する。

戦後、太平洋ハワイ群島周辺の「海山群」での調査研究を進めたロバート・ディーツ博士(海洋地質学者)は、そのうちの一部の海山の連なりに日本の天皇の名前をつけた。その事例に触れ、そうした行為は、日本での戦争体験などから、日本を紹介した書物の代表格、小泉八雲の著書に触れたことがきっかけではないか、との仮説を立てる。

科学を重んじる立場からか、(軽い読み物としての)「ダイアローグ」として紹介するページのなかで、著者はこの仮説について、「たしかめるすべはない。だがこれからは、理系、文系ではない、超学際科学の時代である」とつぶやいてみせる。

未知の領域へのアプローチの王道は、やはり「科学」であるのかもしれない。だが、歴史的過去や未踏の地に対する「ロマン」も、それに対する関心を膨らませ、多くの時間や労力を割き、探査研究を発展させていくことに繋がる。そういう意味でも、この本の存在意義は大きい。

著者は、2017年2月に配信されたあるショッキングなニュースを紹介する。

英国・アバディーン大学のジェイミソン博士のグループが、西太平洋のマリアナ海溝とケルマデック海溝の水深1万メートルを超える海底から採取した端脚類(ヨコエビ)の体内から、高濃度のPOPsを検出したのです。(中略)POPsは難分解性の有機汚染物質で、その100パーセントが人間由来です。

そんな深海にまで人類の影響が及んでいるのかと愕然とさせられるようなニュースである。

超深海で生きるヨコエビは、生命活動に必要なエネルギーを確保するために、海底に沈んだわずかな有機物を摂食する。食物連鎖のなかで有害物質で汚染された生物の遺骸の一部は「マリンスノー」と呼ばれ、早ければ1ヵ月程度で深海底にまで沈降するという。

深海が汚染されている。このことを重大な問題として受け止め、6000メートル以深の排他的経済水域の体積では世界1位である「超深海」大国・日本が、超深海を探る科学と太平洋を保全する営みの双方で、重要な役割を果たしていかなければならないと、著者は力説する。

人間に必要で、とても大事な海を守る。あたりまえの想像力こそが、すべての基本だ。

太平洋の魅力の数々は、ぜひ本書で。多くの疑問の答えが得られ、限りない想像の世界が掻き立てられる。

レビュアー

中丸謙一朗

コラムニスト。1963年生。横浜市出身。『POPEYE』『BRUTUS』誌でエディターを務めた後、独立。フリー編集者として、雑誌の創刊や書籍の編集に関わる。現在は、新聞、雑誌等に、昭和の風俗や観光に関するコラムを寄稿している。主な著書に『ロックンロール・ダイエット』(中央公論新社、扶桑社文庫)、『車輪の上』(枻出版)、『大物講座』(講談社)など。座右の銘は「諸行無常」。筋トレとホッピーと瞑想ヨガの日々。全国スナック名称研究会主宰。日本民俗学会会員。

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