後藤治康 モーニング編集部 40代 男
無傷で帰った兵士は、本当に無傷か?
小学生低学年のころから、私の心には「戦争」という事象への好奇心がある。きっかけはガンダム、ではなく(まごうことなきガンダム世代ではありますが)、父親が話してくれた第二次大戦中の話だ。昭和ヒトケタ生まれの彼は終戦時、小学6年生だった。空襲から逃れ、母と死別するまでの一連の物語は、同じ年代の少年が登場するリアルな冒険物語のようであった。もちろんフィクションとは違い、彼の目の前で失われた命は絶対に帰ってこない。その重さは、心のアンテナを人と違った方向に曲げるのに、充分なものだった。
「人は、なぜ戦争をするのか。戦争とは、なんなのか。戦争をして、得をする人はいたのか。戦争の経験は、その後の人生にどんな影響を与えたのだろうか」
小学生のときから、今に至るまで自分の心の一角を占める疑問である。
この会社に入ると、自分の好奇心の赴くまま、好きなことを徹底的に調べることができる。私はかつて在籍していた週刊少年マガジンにおいて、漫画家・三枝義浩氏の「ドキュメントコミックシリーズ」の担当となり、戦争の本当を話してくれる貴重な証言者に多数会うことができた。故アレン・ネルソン氏もその一人だ。
彼を紹介してくれたのは、児童局の後輩編集者だった。ネルソンさんの講演会が明後日あるのだが、戦争に興味があるなら来ませんか、という言葉とともに、ハードカバー版の本書を貸してもらったのだ。もしかするとネタになるかもしれない、ぐらいの軽い気持ちでパラパラ読み始めた。数時間後、私は彼の内線に電話をし、コミック化の交渉を開始することになる。
ネルソン氏のドキュメントコミックを掲載する際、こんなリードを書いた。
「戦争になれば人を殺さなければならない。しかし、軍服を着る前は、彼らも平和な市民の一人だった」「国家に命じられた殺人『戦闘』。だが、そのことで負う『心の傷』は、一体誰が背負うのか」
殺人に伴うストレスは、本人の意思とは関係なく、状況の是非に関係なく、ヘビーな体験だ。国家のため、救国のため、という美名は、多くの軍人に殺人行為を肯定させる。だが、その人生に大きなストレスを受け、心にダメージを刻み、人生に影を背負うのは「国家」ではなく、軍人個人が背負うことになる。彼らはそのことを、あらかじめ了解しているのだろうか?
戦地から帰ってきたネルソン氏への子どもたちの問いかけの言葉、「Mr.Nelson, Did you kill the people?」のフレーズは、そのことを象徴的に問いかける。子どもたちは直感で見抜いているのだ。目の前の男が、心に大きな傷を抱えて帰ってきたことを。とても怖い思いをしたことを。自分の代わりに、手を血で染めてきたことを……。
コミック版の結末は独自の追加取材をしたことで、PTSDに対する(想像以上に)長く苦しい治療の様子を描いたものとなっている。こちらも機会があればぜひ手に取っていただきたい。
今も、世界中の兵士たちが、国家により、重苦しいテロ戦争を担わされている。ネルソン氏は、残念ながら、文庫版の発行直前に亡くなってしまったが、最期まで若い出征兵士たちのことを気にかけていたという。
執筆した社員
後藤治康【モーニング編集部 40代 男】
※所属部署・年代は執筆当時のものです