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2018.08.06

インタビュー

『罪の声』塩田武士に聞く! 最新作『歪んだ波紋』が操る“誤報”と“虚報”

昭和最大の未解決事件、グリコ・森永事件を題材にした『罪の声』は、どこまでが事実で、どこからがフィクションなのかわからないほどの圧倒的なリアリティを持った“リアルフィクション”として大きな話題を呼んだ。それから2年ぶりとなる社会派小説『歪んだ波紋』は、塩田武士さんにとって初の連作短編となる。1編に3ヵ月は要したという濃密な5編。現代社会における複雑なジャーナリズムの在り方、情報の危うさを浮き彫りにした新作について、担当編集の戸井と語る。

描いたのは、誤報ののちに見えてくる真実

戸井 『歪んだ波紋』が、いよいよ8月7日に発売となります。この話のプロットを最初に塩田さんから聞いたのは、『罪の声』が出て1〜2ヵ月くらいのプロモーションで東北に行っていたときでしたね。

塩田 滞在先のホテルで、全国紙のとあるお詫び訂正記事を読んだのがきっかけでした。ある市役所で働いている人が、フランスで行われた格闘技ゲームの世界大会で優勝したということで、記者会見をして、記者クラブのメディアがそれを報じた。でも、のちにネットで検証されて、まったくの噓だったとわかったものです。

戸井 本当にB級ニュースみたいな話でしたね。渡仏すると言って休暇をとったのに、行ってもいなかった。

塩田 でもこれ、自分が同じ立場なら絶対、記事にしているなと思ったんです。神戸新聞の記者時代、僕も市政記者クラブにいましたから。会見で噓をつかれるなんて、まず思いません。その人はフェイスブックで「現地でこんなもの食べました」とか、いろいろ載せていたんですが、それも全部、どこかから画像を無断転載したものでした。その画像をどこから転載したのか、ネットですぐに検証するリサーチ能力っていうのも、すごいものがあるなと思って。記者クラブという旧来からあるものと、SNSという現在進行形のメディアが、クロスしたような感覚に陥ったんです。これは面白いなと思い、新幹線の中で戸井さんに話しました。この「誤報」というものを現代社会の問題点として深く掘り下げていくと、何か出てきそうな勘が働く、と。

戸井 よく覚えています。それは面白いなぁと思って。

塩田 それで戸井さんが、「誤報の誤を『後』にしますか?」と言ったんですよ。それが僕の中ですとんと落ちて、「誤報の後に真実がある」というテーマで書いたら面白いと、この作品の仮縫いができました。

戸井 あれから2年、その間にフェイクとリアルの話は、かなり他人事ではなくなってきていますよね。平気で噓をつかれて、新聞を読まない人たちが何のソースもなくその噓を信じ、拡散する。この『歪んだ波紋』には、そんな2年間の変化が詰まっていて、まさに今を描いた社会派の小説集になりました。

塩田 本当の社会派小説って、書くときは曖昧だと思うんです。まだ見えていないものを書くからこそ、完成したときに皆が新鮮に感じる。書く側は頭の中で、どうやったらそれを言語化できるのかを考え続けるんです。曖昧模糊としたものを、どうしたら世の中の一つの断片だと言えるのかということを。

「報道小説」という、いちジャンルを築きたい

塩田 『罪の声』が出た2016年、「ポスト・トゥルース」という言葉が出てきました。真実じゃなくても面白ければいいという安易なこの考えは、絶対に定着してはならない。そのテーマを言語化して、皆さんに伝える小説としては、『歪んだ波紋』がぶっちぎりで早いタイミングでやれたと思っています。これによって「報道小説」という新しいジャンルを確立することができるかもしれない。一つのジャンルを形成するというのは、替えが利かないということです。記者をたとえばクラシックのマエストロに替えても成り立つような“お仕事小説”ではなく、この小説をひもといていくと、ジャーナリズムの理論に行きつく。基礎をきっちりして、行間がぎゅーっと詰まっていて、それでいて現代を表現し、しかも面白いという、かなり難しいものですが、それがつかめるかもしれないと思っていて。現代に生きる小説家として、すごくワクワクするものがあります。僕は小説の可能性を追求するために、エンターテインメント小説『騙し絵の牙』(KADOKAWA刊)ではメディアミックスをどう仕掛けていくかなど、さまざまなチャレンジを繰り返してきました。その中でも講談社と組んで生みだしたこの報道小説というジャンルは、僕の芯となっていくかもしれないな、と思っています。

戸井 『罪の声』って、どんな話ですか? と聞かれたら、「グリコ・森永事件」でだいたい伝わりますよね。でも、『歪んだ波紋』は? と聞かれたら、すごく難しい。いわば情報リテラシーの話なんだけれども、それだけじゃ何も伝わらないんです。編集としてどう伝えるべきかずっと考えていたのですが、この5編が揃ったときに、「ああ、これは読めばわかる」と思いました。決してひと言では伝わらないからこそ、小説としての意味があるんですね。

タイトルの“歪んだ”に込められた意味

塩田 松本清張や山崎豊子、司馬遼太郎といった小説家は、「戦争」を背負って作品を書きました。じゃあ現代に生きる小説家は何を背負っていくことになるかというと、それは「情報」じゃないかと僕は思っています。取材していると、「今、私たちの業界は過渡期なんです」って、いろんな業種の方から聞くんですよ。それって何がもとになっているかというと、情報なんです。新しいビジネスチャンスが生まれる一方で、今まであったものがすごく古くて遅れたものになったりして、誰もが情報の便利さを享受しつつ、戸惑いを持っている。そんな現代社会には何か軸が必要だろうとずっと考えていたのですが、その軸の一つがジャーナリズムじゃないかと思ったんです。

戸井 それが『歪んだ波紋』につながるわけですね。

塩田 今まで、情報は限られていました。そこでは、発信者からの情報が規則正しい波紋を描いて広がっていた。それが、ネットやSNSが入ってきたことによって歪んでいるのが今の状況です。フェイクニュースというのが出てきて、世界的に情報がからまり、何を信じていいのかわからない状態になっています。そのこんがらがっている状態をひもとくのに、誤報というものを分解してわかりやすく提示すると、根本的に見えてくるものがある。今、僕らが生きている世の中の枠組みではジャーナリズムが軸になっていて、その中で起こっている事象に関して、誤報というものを中心にすえれば、それがよりはっきりするかもしれないと思ったんです。

戸井 誤報という大きなテーマの中で、一編一編内容は全然違う。時間をかけて、ていねいに書かれた5本の短編は、長編5本分の面白さがあります。

塩田 本を閉じた瞬間から、その人の『歪んだ波紋』が始まる。読んだ後からが、この本を生かすも殺すもあなた次第、という一冊だと思います。

早さより深さが求められる、これからのジャーナリズム

戸井 今回収録された1本目の短編「黒い依頼」は、誤報と虚報がテーマです。

塩田 誤報というものを考えたときに、まずこの誤報と虚報というものを理解するべきだろうと思うんです。僕も新聞記者時代には記事で間違えまくったんですけど(笑)。でも、その誤報って、悪意があってやったことじゃなくて、ケアレスミスだったり、情報提供者の間違いだったりするものなんですよね。それは虚報とはまったく異なります。虚報には悪意が介在していて、そこには自浄作用がないんです。誤報ならすぐに訂正を打って、間違えましたと言うんですけど、虚報を報じる奴は絶対に訂正を出さない。それを広めてもっと混乱させようとするんです。だから、まずはその誤報と虚報をわけて考えましょうというのが第1章。真実は腐らないんですよね。だから、調査報道という過去にさかのぼって報じることが大切で。誤報に時効はないので、いつでも訂正することができるんです。

戸井 2本目の「共犯者」は、その時効がテーマ。3本目の「ゼロの影」は、誤報と沈黙です。

塩田 今の時代、フェイクニュースよりもっと強い、人を責めたり差別するような言葉が一気に広がることがありますよね。そんなとき、僕たちは関わりたくないから沈黙します。でもそれは、ただの沈黙とはなりません。自分が忌み嫌っているものを「支持している」と思われるかもしれない。無視することが、大げさに言えば正義を歪めることになる。沈黙が過ちになり、罪になる可能性がある、そんな時代に今僕たちは生きているんです。

戸井 そうですね。この本は最初、ノンフィクションライターや新聞記者といったプロに認めてもらうところから始めるべきと思っていたんです。でも、実際に全部の原稿があがってきて、いろんな方に読んでもらったら、皆さんからバンバン本質を突く反応が返ってきた。やっぱり、「自分たちの話だ」って思うからなんですよね。自分たちでは言葉にできなかったこの世の中の“ちょっと嫌な感じ”を、多くの人が強く感じているからこそ、『歪んだ波紋』を読むと「それな!」と思うんです。

塩田 ポスト・トゥルース、「面白ければいい」と考えると、人に役立つことよりも自分に役立つものになってしまうんですよね。今までニュースの前提としてあった「正確で人の役に立つ」というのが、「面白くて自分の役に立つ」というふうに置き換えられてしまう。真実よりも面白さ、それを今、危ない薄氷の上でやっているのがテレビだと思います。4本目の「Dの微笑」では、そんなテレビ業界を描きました。視聴率というものがあるから、まず面白く、わかりやすく、二者択一、白黒はっきりというものがあって、そこの単純さがあるからこそ大衆ウケする。テレビって、事実に対してものすごく危険な装置なんです。

戸井 最終章「歪んだ波紋」ではこれまでのすべての話がつながって、本当に読み応えのある連作短編集となりました。

塩田 僕が新聞記者になったときって、新聞社に入社したら自動的にプロになるという状態だったんですよ。記者クラブに入って、日々根性で仕事を覚えるところから。でもこれからは、入社前に大学で何を学ぶかということが、ものすごく大事になっていくと思うんです。ジャーナリストの基本を学んでから入社していたら、僕も全然違った記者人生を歩んでいただろうなと思います。当時は、夕刊に出すか朝刊になるか、その12時間違うだけで、早く出したら勝ち。新聞社のメンツが保たれるということになった。早さが最大の価値観でした。でも今、早さという点ではもう絶対ネットには敵わない。ニュースは、早さよりも深さの時代に入っています。早さというのは通信社の役割で、新聞社は分析。それで完全に割り切るのは不可能かもしれないけど、まずそういう意識を持つというのが大事なんです。早さを求めるジャーナリズムか、深さを求めるジャーナリズムかは全然違います。今はまだ、それがごっちゃになっている。そんなふうに、ジャーナリズムの何を自分は伝えたいのか、根本的に書かなきゃいけないことは何かを一つ一つ拾っていったのが、この5本の短編なんです。

『罪の声』が映画なら、『歪んだ波紋』はVR

戸井 最初は、「贅沢な短編やりましょうよ」みたいなところからスタートしたんですよね。トータルしてみると、1本1本、本当に時間をかけていて、内容の濃さは長編と変わりません。

塩田 『罪の声』のときは徹底的に取材をして、膨大な資料をそろえましたが、今回は極力取材はしませんでした。それよりも、考えを整理したかったので。

戸井 『罪の声』は、どこか映画を観ている感覚がありました。昭和の事件だし、知らない人も多いので、「こういう話があったんだ。今も当事者が生きているのかもね」というのがあった。それに対して『歪んだ波紋』は、どちらかというとVR(バーチャルリアリティー)に近い。本当に個人の話だから、自分の話だと思える人が多いと思うんです。

塩田 『罪の声』はグリコ・森永事件が基になっているから、「キツネ目の男」とか、挑戦状の画が、ぱっと浮かぶんですよね。でも『歪んだ波紋』は、曖昧模糊としたものを言語化したので、誰もヴィジュアルを知らない。ヴィジュアルがつくられるのはこれからで、その前段階に言語がある。そこに、小説としての意義があるわけです。『罪の声』と『歪んだ波紋』では挑戦しようとしたことが全然違うんですよね。

戸井 なるほど、確かにそうですね。

塩田 過去に引きずられるという意味では、『歪んだ波紋』に虚像の象徴として出てくる安大成(アンデソン)は、バブル時代に暗躍した財界のフィクサーをモデルにしているわけですが、彼を知れば知るほど不思議なことに描きたくなくなったんですよ。

戸井 つまんないなっていう、ね(笑)。

塩田 そう。あれ、知ってるぞ!? もうすでにあるぞっていう既視感が、すごくあった。彼の人生はこんなに興味深いのに、小説にしようとしたら、とんでもなくつまらない。『罪の声』とは逆だと気づきました。だから、安大成の使い方は当初の予定と全然違います。でも、僕の経験上、いい小説って作者に気づきがある小説だと思うんです。最初から想定内の、プロットが一個も変わりませんって小説は、絶対に面白くない。書いている間に、ああ、こういうことなんだ!と気づいて、そこから展開するのが、本当に面白い小説なんです。

戸井 やっぱりこれは、社会派小説ですよね。社会派って、僕たちにとって今はどんな世の中なのかを提示してくれる小説だと思っていて。『歪んだ波紋』は、僕たちがどういうふうに情報を受け取って、どうやって生きていくのか、すべての人のための小説になっています。『罪の声』に続く社会派小説として全然ひけをとらないものができたのではないでしょうか。

塩田 今回は短編ですが、分解したピースの数はめちゃくちゃ多いですからね。一編一編、長編に引けをとりません。長編だからとか短編だからとか関係なく、思いっきりぶつかっていかない限り、面白い小説は生まれない。テーマに対して、どこまで深く迫れるか。これからも常に、挑戦者でいたいと思っています!

塩田武士(しおた・たけし) イメージ
塩田武士(しおた・たけし)
1979年兵庫県生まれ。関西学院大学社会学部卒。新聞社に在職中の2010年に『盤上のアルファ』で第5回小説現代長編新人賞を受賞して作家デビュー。他の著書に『女神のタクト』『ともにがんばりましょう』『崩壊』『盤上に散る』『雪の香り』『氷の仮面』『拳に聞け!』『罪の声』『騙し絵の牙』などがある。

歪んだ波紋

著 : 塩田 武士

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