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2018.06.06

インタビュー

『空飛ぶタイヤ』映画公開! 池井戸潤さんが明かす「ヒット小説の書き方」

これまで『下町ロケット』『陸王』など、数々の大ヒット作を世の中に送り出してきた池井戸潤さん。この6月には累計発行部数180万部突破の『空飛ぶタイヤ』が映画化され公開となる。これまでドラマ化された作品も大きな話題となってきたが、意外にも池井戸作品初の映画化となる『空飛ぶタイヤ』は、脱輪事故を起こした運送会社と、大企業のリコール隠しをめぐりくり広げられる大逆転エンタテインメントだ。この話題作の映画公開を前に、担当編集の水口来波がヒット作誕生の裏側に迫った。

人類史で言えばホモ・サピエンスのような作品

水口 池井戸さんが『空飛ぶタイヤ』を執筆されていたのはもう12〜13年前になりますよね。

池井戸 そんなに前だっけ? 書いたらすぐ忘れちゃうから、インタビューされるとインタビュアーのほうがよく知っていたりするんですよ。

水口 そういえば映画の完成披露試写会のとき、「ここでひっくり返したか! なかなか俺もうまかったな」とおっしゃっていましたよね(笑)。

池井戸 そうそう(笑)。今回映画化された『空飛ぶタイヤ』は、僕の初期の作品の中でも今の作品につながる系統です。人類史で言えば、アウストラロピテクスとかいろいろいた中で生き残ったホモ・サピエンスみたいな感じかな。

水口 まさに、ここから進化していったわけですね! 『空飛ぶタイヤ』は、私がまだ書籍販売部にいた2009年に講談社文庫から出た作品です。私は直接の販売担当ではなかったのですが、なぜか刊行時のことをよく覚えているんですよ。初版は上巻が4万部。今の池井戸さんからするとちょっと信じられないくらい少ないですが、その頃5万部というのは結構張っていた部数で、「この作品は面白いから絶対に売れる!」と気合いを入れて。初版の後、しばらく重版がかからなかったのを営業でいろいろ話し合って書店に売り込んだりしたので、私自身とても思い入れのある作品なんですよ。

池井戸 へえ、そうだったんだ。営業を経験してきた編集の人というのは、優秀なセールスマンであり編集者であり、両方の顔を持っている人が多いよね。この間も『架空通貨』の帯が新しくなっていたけど。

水口 『架空通貨』もかなり初期の作品ですが、今話題の仮想通貨を想起させて改めて注目されているんです。以前は多かった書店員さんの手書きポップが最近あんまり書かれなくなってきたので、外されないポップのようなイメージで手書きのデザインにしました。

池井戸 あの手書きがなかなか。誰が書いているの?

水口 私が書いたんですよ〜。

池井戸 え、自分で!? マジか(笑)。

水口 マジです。手書きポップのイメージなので、あまり上手くないぐらいが丁度いいかなと。

池井戸 なるほど。新しいことはしていかないとね。

著者が書きづらいところこそ、読者は読みたがる

水口 ヒット作を立て続けに出していくということには、どんなご苦労がありますか?

池井戸 ヒット作は……ヒットするように書く必要があるよね(笑)。少なくとも今は、書きたいものを適当に書き散らすようなことはしません。下は小学生から上は80代のお婆さんまで幅広い読者がいるので、誰でも読めるように。物語として奇を衒(てら)ったりするようなこともしません。オーソドックスに、より多くの人に受け入れられる作りを意識しています。

水口 その“オーソドックス”は、マンネリと近いようでものすごく遠いものですね。

池井戸 そうなんだよね。新しさを追求するあまり、すごく変わった設定で動かしてしまうようなことはしない。地面に近いところから徐々に築き上げていく感じです。作家にはまず「書く力」がいるけど、それはたいしたことなくて。大事なのは「評価する力」。読者に受け入れられるかどうか、どの辺が弱いか、どこをもう少し変えると良くなるかとか。あとは「直す力」も必要です。800枚書いて、ダメなところが全部で400枚くらいになったら、それはボツにするわけですよ。もったいないからとか諸般の事情でそのまま出すと、不本意なものが世の中に出て行ってしまうことになる。

水口 自分で削るのは、なかなか難しいですよね。

池井戸 あと、それこそ『架空通貨』を書いていたときなんだけど、当時担当だった講談社の編集者から「ここをもう少し読みたい」という指摘があって、なるほどなと思った。そこ、書くのが難しくて避けていたところだったんだよ。作家が書きにくいところって、読者が読みたい部分だったりするんだよね。ストーリーがつながるからといって、書きづらい場面を飛ばしてしまうのは、実はその小説の面白さを削ぐことになる。他の人の作品でも、「ここが一番いいところなのになぁ」というのが結構書いてなかったりするんだよ。

水口 “書きづらい部分こそ小説的に大事”って面白いですね。

ノンフィクションが一番真実を摑めるわけじゃない

水口 『空飛ぶタイヤ』は10年以上も前の作品ですが、大企業のリコール隠蔽事件を軸にした物語は今読んでもまったく古くなっていませんよね。

池井戸 おかげさまで、最近でも大企業の不祥事はいっぱい起きているから(笑)。そのたびに、この作品を書いて良かったなと思うよ。でも、実際に人が亡くなっているような重い事件がモチーフだからね。企業エンタテインメントとしての体裁で、そこをどういうふうに扱うかというのはすごく難しかった。

水口 でも、ノンフィクションノベルみたいなものにはしなかったわけですよね。

池井戸 実際に事故を起こした運送会社さんや亡くなられた方のご遺族には取材していないから、ノンフィクションには当然できないわけだけど、ノンフィクションが一番その真実を摑(つか)めるかと言ったら、実はそうじゃないと思う。フィクションのほうが、かえってものの本質を深くえぐるということができる気がします。

水口 確かにそうですね。この作品は対立軸がすごく明確になった作品だと思うんです。悪のほうの論理も、一つひとつ納得がいく形で出てくる。「私もここにいたら、こう動いちゃうだろうな」という感じで。

池井戸 立場が変われば言うことも変わるっていうね。会社員の悪は凶悪犯罪ともちょっと違いますから。

水口 映画化って、公開されるとそれを観た方が満足しちゃって原作が売れなくなるタイプと、逆に売れ出すタイプがあると思うんですけど、この『空飛ぶタイヤ』は絶対に後者。映画を観たらより深く知りたくなるので、原作もまた売れると思います!

池井戸 それを願う(笑)。今回映画化をOKしたのは、脚本に納得がいったから。その脚本の元になった原作も、映画と同じように純粋なエンタテインメントとして楽しんでもらえたら嬉しいです。

著者よりジャンルにファンがつく傾向がある昨今

水口 池井戸さんの作品が「企業小説」ジャンルに入れられていた頃は、難しいイメージもあったと思うんです。でも今、これだけ女性読者が多いのはすごいことですよね。

池井戸 今でもいわゆる企業小説は読者の男女比が10対0くらいだと思いますよ。それに対して、6対4くらいまできているんじゃないかな。

水口 幅広い読者に向けて、どういったことに気をつけていますか?

池井戸 たとえば、企業に勤めていないと「稟議」という言葉もわからない読者は多い。専門用語を使うとそこで落ちる読者がいっぱいいるので、使いません。『陸王』も、証券会社の人には「あれ『転換社債』のことでしょう?」と言われたりします。でも、そういう言葉を使っていないことには「別に違和感はない」と言われるので、それでいいと思います。横文字もあまり使わないようにしているし、難しい言葉はルビをふるように。今は昔より読者の反応がわかって、いろいろとチェックポイントが増えました。

水口 ご自身で書かれるものに対してはそのように常に客観的に、全体図みたいなものを遠くから眺めている感じなんですね。

池井戸 それがすごく大事なことです。あと、「新しいものをつくる」というのを勘違いしないこと。いつも変えなきゃいけないと思っている作家が多いけど、そんなことはない。池波正太郎さんなんかがいい例で。あのパターンをずっと書くというのがいいわけです。だって、他のまったく読み味の違うものを書くというのは、まず難しいから失敗する確率が大きいし、他の読み味が欲しいんなら読者は他の作家の本を読めばいいわけだから。

水口 そうですね。著者らしい味を求めて、新作を読んでくれる人のことをファンというのかもしれませんね。

池井戸 その人が持っているパターンがあったとして、これはいいなと思っている読者がついていたら、それを書き続けるべきなんだよね。

水口 今って、刑事ものとかのジャンルにはファンがつくんですけど、作家にはなかなかつかなくなってきたと言われていて。やっぱり、クセになる味を出すって難しいことですよね。ところで、池井戸さんのファンは、本に出てきた店のモデルとなった場所まで探して実際に行ったりするとか。

池井戸 そうそう。サイン会でそこだけ付箋を貼って持ってくる人もいるからね。いろんなところに付箋を貼ってきてくれるけど、一番多いのは「共感できる言葉、仕事で役立ちそうな言葉に貼っています」という人。次に多いのが「一番行きたい店に貼っています」というの。いろんな人がいるんだなぁと思うよ(笑)。半分ぐらいは実在しているからね。

水口 じゃあきっと、皆さん本を持ってその店を探しに行くんですね。

池井戸 そうみたいですね。

水口 じゃあ池井戸さんのお気に入りの店は出せませんね(笑)。

池井戸 確かに、一番好きなお店はね。あ、でも今度の作品で出しちゃうことになると思う。ただ、両方とも悪人の行きつけの店になっているから……あとでおやじに「なんであんな奴がうちの常連なんだよ」って怒られるな、きっと(笑)。

池井戸 潤(いけいど・じゅん) イメージ
池井戸 潤(いけいど・じゅん)

1963年、岐阜県生まれ。慶應義塾大学卒業。1998年、『果つる底なき』(講談社文庫)で第44回江戸川乱歩賞を受賞。『空飛ぶタイヤ』(講談社文庫)は吉川英治文学新人賞・直木賞の候補作となり、2010年に『鉄の骨』(講談社文庫)で第31回吉川英治文学新人賞、2011年に『下町ロケット』(小学館文庫)で第145回直木賞を受賞する。その他の著書に、『架空通貨』『銀行狐』『銀行総務特命』『仇敵』『BT’63(上)(下)』「花咲舞シリーズ」『不祥事』『ルーズヴェルト・ゲーム』(以上、講談社文庫)、『株価暴落』「半沢直樹」シリーズ『シャイロックの子供たち』『民王』(以上、文春文庫)、『七つの会議』(集英社文庫)など。

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