夫婦とは、一番近しい他人、である。
“一番近しい”けど“他人”、“他人”だけど“一番近しい”という関係は、実はなかなか難しい。
近しいことだけに安心してると、思わぬところで、えっ?ということになるし、ひとつ屋根の下で毎日生活を共にしながら、常に、この人は自分とは他人なのだ、と意識して暮らすのは、なんだかちょっと心寂しい。
要するに、友人よりも恋人よりも親子よりも双方の距離の取り方が難しい関係が、夫婦なのだ。
小野寺さんの新刊『それ自体が奇跡』は、『その愛の程度』、『近いはずの人』に続く「夫婦三部作」の完結編でもある。
この「夫婦三部作」、いずれも“夫婦の距離”について、物語としてアプローチしたシリーズだと私は思っている。
『その愛の程度』では、文字通り、夫婦間の愛の“程度”を、『近いはずの人』では、妻と夫の間にある“意識の差”を浮かび上がらせていた。
そして本書が描き出しているのは、結婚という“奇跡”を経て、夫婦でいることの難しさと、それ故の面白さ、だ。
主人公は、2人。結婚3年目になる貢と綾の田口夫妻だ。
二人は同い年で30歳。職場も同じ、銀座にある百貨店だ。年は同じだが、綾は高卒で入社しているため、同期ではない。綾は貢の4年先輩にあたる。
この設定も絶妙なのだが、加えて職場では綾のほうが遥かに有能、というのが物語の中で効いてくる。というのも、結婚3年目にして田口夫妻の間に大きな問題――貢が本気で夢を追う決断をしたこと――が勃発したからだ。
貢の夢とは、サッカーチーム「カピターレ東京」で、Jリーグ入りを目指すことである。それまでも、社内のサッカー部で活躍していた貢だが、その部が廃部となったことで、サッカーへの想いは宙ぶらりんになっていた。
そんな折、大学の先輩から持ちかけられた“本気のサッカー”は、とてつもなく魅力的だった。報酬ゼロ、仕事を続けながら、というハードルの高さは、彼にとってなんのストッパーにもならず、その場で入団を決意した貢だったが……。
物語は、貢視点、綾視点と交互に語られていくのだが、そもそも綾にしてみれば貢の決断は寝耳に水。そんな大事なこと――百貨店勤めと両立できるのか、そろそろ産みたいと思っていた子どもの件はどうなるのか、等々――を、どうして事前の相談ではなく、「事後承諾」にするのか。貢にとって、妻である自分はなんなのか。
一方で貢は、「事後承諾」に関して、どうしてそれほど綾の怒りを買うのか分からない。
この夫婦間のボタンの掛け違えを、小野寺さんは丁寧に描き出す。夫婦でいるために必要なのは、夫の言い分、妻の言い分、どちらが正しいのかではなく、どちらも正しいのだ、と双方で歩み寄ることなのだ。その歩み寄りを支えているものこそが、愛なのである。
「夫婦三部作」は、シリーズ共通のテーマとして、「愛」があるのだが、本書はシリーズ完結編にふさわしく、そのことがくっきりと際立つ作品でもある。
レビュアー
書評家。「本の雑誌」の編集者を経てフリーに。著書に『恋愛のススメ』(本の雑誌社)がある。